津村記久子「ディス・イズ・ザ・デイ 最終節に向かう22人」
津村記久子の新作「ディス・イズ・ザ・デイ 最終節に向かう22人」目当てで毎週土曜日にコンビニで朝日新聞を買っています。本来は金曜日の夕刊に掲載されているようなのですが、夕刊が出てない地域なので翌土曜日に載っています。
「ディス・イズ・ザ・デイ 最終節に向かう22人」とタイトルにあるように、この小説はサッカー2部リーグの最終節当日を描いた群像劇であり、舞台はサッカー・スタジアムです。
「THIS IS THE DAY」というのは「今日がその日です」「ついにその日がやってきました」という意味で、1年の締めくくりを迎えるサポーターの気持ちを表しています。
1話=1試合であり、対戦する2チームそれぞれのサポーター2名が中心になり話が動きます。この構造に気づいてから、読む楽しみが増しました。
全11話(恐らく)のなかで1人くらいはスタジアムに来ないサポーターも出てくるのでしょうか?
ある1日を描いているということで、1904年6月16日を描いた『ユリシーズ』のことを思い浮かべなくてはいけません。『ユリシーズ』を読んだことないので言及しないけど、傑作の予感があります。
2017年の1月に連載がはじまり、6月第2週に22回が掲載され、第4話が終わりました。
ここまでの4話に登場した2名の関係は、いとこ、家族、バイト仲間、バスで乗り合わせたというもの。次の話はどういう関係なのかと期待が高まります。
1話「えりちゃんの復活」
オスプレイ嵐山(ヨシミ) VS CA富士(えり)
2話「若松家ダービー」
泉大津ディアブロ(母・供子) VS 琵琶湖トルメンタス(長男・圭太)
3話「三鷹を取り戻す」
4話「眼鏡の町の漂着」
鯖江アザレア(香里) VS 倉敷FC(聖一)
第4話「眼鏡の町の漂着」はテイストが、それまでの3話とは異なっていました。
それまでの3話は以前から面識のある2人で、最終節を経て関係が強くなる雰囲気がありました。
しかし、鯖江アザレアと倉敷FCの試合会場へ向かうバスで隣りに座り、終了後の売店で言葉を交わして別れた2人は、恐らくこれきりの関係です。
香里は元彼に影響されて鯖江アザレアを好きになり、誠一は地元のチームにかつて所属していた選手が在籍しているということで倉敷FCの試合を見に来ています。
同じチームのサポーターであれば再会の可能性はあるけれど、わざわざ遠方から異なるチームを応援に来た2人が再会することはないのでしょう。
『浮遊霊ブラジル』『枕元の本棚』など、声高でない正確な観察眼に触れると呼吸しやすくなる感じがしてよく再読する津村記久子さんの作品。連載中の『ディス・イズ・ザ・デイ』第22回も4つ目の試合が終わり、人と人がすれちがうけど声をかけない無言の納得感を、さっと描くのがすばらしかったです。
— 木村俊介 (@shunsukekimura) 2017年6月11日
木村俊介さんも言及されていたように、付かず離れずの、誰の日常にもありえそうな距離感を描くのが津村記久子は本当に優れています。
内牧巻子さんによる挿画は、その話の主要な場面がイラスト化されておりビジュアルでも楽しめる連載です。
「すばる」2017年4月号(特集「あの人の日記」)に津村記久子は「観戦日記」を寄稿していました。与えられた分量を丸々使って1試合の観戦記が記されていました。日記というと一定の期間内で、この日はどこどこで試合、この日はどこどこで試合と複数の観戦記録が書かれていると思いきや、短いルポになっていました。
スタジアムに足を運び、細部に目を凝らされていることで小説にリアリティが担保されています。
そうそう、津村記久子×サッカーといえば『この世にたやすい仕事はない』に出てきた「カングレーホ大林」。いつ登場するかを津村フリークとして楽しみにしています。
5話から9話までについては、こちらを
「DAMN.」Tシャツが深読みされている。
「総じて言いたいのは、この帽子がきっと私の全ての言葉だと思うの」という言葉のあと、大島優子のキャップには「F***」と書いてありました。
その言葉の向けられた相手だと推測される、須藤凜々花は「DAMN.」と書かれたTシャツを着て報道陣の前に姿を現しました。
スラング同士をぶつけ合う対立の構図をネットニュースは妄想しているけれど、擦れ違ってんなぁという印象です。
まず、大島優子のキャップ。
そもそも「F***」と書いてある帽子が市販されるわけはないし、字体から考えて、本人が無地のキャップに手書きしたものなんでしょう。中学生かよ。あるいはケブ君?
一方の須藤凜々花。
着ていたTシャツに書かれた「DAMN.」。このTシャツはKendric Lamar「DAMN.」のMERCHでした。意訳すると「なんて日だ!」にあたるのかと。
雑誌「BUBKA」で漢 a.k.a. GAMIと対談し、雑誌「SWITCH」のラップ特集で好きな曲を問われるほどラップ好きと知られている彼女です。
ちなみに日本語ラップという括りで選んでいたのは以下の3曲。
RIP SLYME「雑念エンタテインメント」
SEEDA feat.BES,MC漢「また不定職者」
STUTS feat.PUNPEE 「夜を使いはたして」
「あのモデルもアイドルもたぶん俺らのYou Tubeを見てる」というリリックへのアンサーとしてもこれだ!と思いました。見てまーす!!大好きでーす!!、というコメントの秀逸さ!
大島優子は意図して「F***」と書いたけれど、須藤凜々花はファンだから着ていたのです。
もしChance the Rapparの「CHANCE」Tシャツだったら、余計に反感を買ったのだろうか。
もしMIGOSの「CULTURE」Tシャツだったら、「不倫は文化」と結び付けられていたのだろうか。
キャンプ時のイチローや、樋口毅宏、宇野維正(チャンコレ)など一握りの人たちを除いて、どんなTシャツを着ているか指摘しないであげて欲しい。
自分が築いてきたAKBの総選挙を汚されたと思う大島優子の気持ちも分かるけれど、辞めたOBの小言が世の中で一番邪魔なので、小姑は黙っていて欲しい。
前田敦子は発言してないので、それだけで好感度が上がります。もうAKBのことは切り離しているのかもしれないけど。
大島優子や高橋みなみ、柏木由紀、橋本奈々未とか上位の人たちにはスキャンダルを揉み消してくれる大人が周りにいるけれど、下の人たちにはいないのでしょう。
「スキャンダルを起こして坊主」という先例もなぞれなかったから、別れさせられるくらいならの結婚宣言。
チャン・グンソクが「ダウンタウンなう」で、「韓国ではマナージャーと24時間一緒にいるけど、日本では仕事が終わるとあとは自由」ということを言っていました。
スキャンダルを起こさないためにはこのくらいの管理が必要だし、AKBという看板を背負っていれば、男が寄って来ないわけがありません。
そもそもモテてたからオーディションに参加している女の子が大半だろうし、自制を促しても無理だろうなと思います。
脱線ついでに書くと、「この時期の沖縄で開催するのは無理があった」と後出しジャンケンで言った1位のあの人はあざといですよね。KOUKATSU。
唯一、小嶋陽菜は「DAMN.」のTシャツを理解しているから、そこのみが希望。
やっぱり、AKB48大好きだなぁ。って感じた数日間でした😌
— 小嶋 陽菜 (@kojiharunyan) 2017年6月18日
今日は落ちついたので、久しぶりにジムに行ってきた。ウエイトトレーニングの時は、気分が上がるからいつも聴いているの。#DAMN#kendricklamar
あかり、育つ NICU編(17年5月25日~)
5月25日(木)
定期検診に行っているはずの妻からメール。
「胎動を確認したいが寝ているようなので起きるのを待って検査するから、午後までかかる」
父親に連れて行ってもらったが、午後までかかったため昼食を摂ることになって奢らされたと怒っていて、その様子が伝わってくる。
「お腹が張ると胎児の心拍も低下している。何かが起きている可能性を捨てきれないので手術(帝王切開)をする」という突然の宣告に妻は1日猶予を与えて欲しいと懇願する。
しかし、「外からでは、機械をあてて心拍を確認するくらいしかできない。取り出せば小児科医による治療を行うことができる」という説明を受け入れて手術をすることになった。
19時55分 誕生
取り出した時、身体は真っ白であったという。
本来なら胎児に行くべき血液が何らかの影響で胎盤に流れ、胎児に供給されていなかったとの説明を受ける。通常20必要な赤血球の数値が4しかなく貧血状態になっていた、と。
色々な処置が必要なのでNICUに入院することになった。
輸血、酸素、抗生物質などの処置をし、心電図測定もする
NICUに入れるのは両親だけなので私のみ面会に行き、対面する。
5月26日(金)
職場に顔を出して出産の報告をし、休みをもらい、朝から面会に行く。
昼食は病院近くの寿司屋でちらし寿司を頼んだ。刺身定食のような盛り方であったが、ご飯は酢飯で温かかったから良しとする。
面会は夕方から。妻は術後の痛みがひどいので車いすを押してNICUへ行く。
妻は子が視界に入った途端に涙が止まらなくなる。それを見てもらい泣きする。
妻の両親が面会に来る。25日のことがあり、妻はイライラしている。
5月27日(土)
面会。オムツ交換をし、今回は妻がミルクをあげる。よく飲んでくれた。
5月28日(日)
面会。オムツ交換をし、ミルクをあげる。よく飲んでくれた。
搾乳の途中で両親が面会に来たので、私だけ病室へ戻る。
両親に名前を伝える。
5月29日(月)
出生届を提出する。
日中、排便がなかったので浣腸がおこなわれ、排せつしたという。
夕方、面会へ行く。
オムツ交換をし、ミルクをあげる。よく飲んでくれた。
もっと泣いてくれてもいいのだが、すぐに泣き止んでしまう。
目を開けるようになったが、まだ焦点が合わない様子。
ずっとこのままでいいんだけれど、保育器やNICUからは出て欲しいので早く大きくなってください。
毎回、写真を何枚も撮ってしまう。妻は容量を軽減したいがデジカメに残った写真を削除できないと言う。
5月30日(火)
妻からのメールで日中に45㏄のミルクを飲んだことを知る。
個室に入院していた妻が大部屋へ移る。
夕方、面会へ行く。
ミルクを飲んだ後、お腹がヒクヒクするのが気になる。しゃっくりであるという。
帰宅して駐車したら、おとなりさんの旦那の帰宅タイミングとあったので「あかり」が産まれたことを伝える。お隣さんの娘は元気で、11月に家を建てて引っ越すという。
5月31日(水)
本人はNICUで処置を受け、妻は帝王切開であったため入院費が高額になりそうであるとのメール。限度額認定書がもらえるよう申請する。
11時59分「午後に耳と脳波の検査をする。ピクピクする痙攣みたいなものが最近多くて、念のため来週の月曜にMRIをすることになった」
18時36分「耳と脳波の検査はお利口に出来たって。結果はわからない」
消防団部長会のため今日は面会に行けなかった。
順調に成長するかどうかということばかりを考えてしまう。手術するのかな、なんとか回避してほしいなとか。
退院するまでアルコール摂取はやめようと思う。あとは何をやめれば早く良くなってくれるのか。
「水曜日のダウンタウン」、面白かったけど内容がいつもより頭に入ってこなかったし、大笑いすることもなかった。
NICUから出ないとお母さんが悲しんだり心配しすぎたりするので、早く世の中に慣れて出てください。
100年の人生を考えると最初の何日かなんて誤差みたいなものだけれど、産まれてからの日数全てが保育器の中というのは親として申し訳ないのです。
急がせて悪いけれど、よろしくね。
6月1日(木)
書店に寄ってから面会に行く。
昨日のメールで妻は不安になっていたが、今は心配しても仕方ないから開き直ったという。
妻は日曜日に退院になると言っていたが、本人はいつになるのか、そればかりを気にしてしまう。
NICUから呼ばれたので妻と向かう。
手洗いの前に様子を確認してしまう。今日は昨日よりも目を開いていた。まだ見えていないと妻は言うが、見えてるんだと思う。
オムツの確認をする。尿か便が出ていればオムツのラインが青になっている。便秘気味らしくて今日も浣腸を行ったという。
交換後、妻は搾乳のため自室に戻り、私が「あかり」にミルクをあげた。食べる量は増しているようでミルクを55㏄飲んだ。途中、眠そうになる瞬間はあったが、飲みきってもらえた。
浣腸の甲斐あって、ミルクをあげた後にも排せつしていた。
痙攣が多いからMRI測定を行うと妻からのメールにあったが、その痙攣とは両足が震えることだという。確かに気になる。なんでも気になる。
手についていた管だか測定のコードは外れていて、あとは酸素を減らしていけばいいらしい。
色々検査やって、何事もないことを願う。
6月2日(金)
帰宅して病院。
6月3日(土)
買い物してから病院へ向かう。
保育器から出たと妻からメール。
手の指は長くて、いい手をしている。足の指は潰れている私のに比べて、丸々としている。最初はこういう指だったのにいつのまにか潰れて、、、と残念な気になる。
6月4日(日)
午後1時ころ病院へ行く。
妻が先に退院することになったので、授乳してから妻と帰宅する
誕生即NICUなので、NICU生活が11日目を迎えている。「あかり」の他にNICUに入ってくる稚児たちもいるが、いつの間にかいなくなってしまう。他の子たちは出れているのだろうか、それとも他の病院に転院しているのだろうか。
NICUの主みたいになっているので、退院するときは盛大に送り出してもらえそう。
6月5日(月)
妻からのメール
10時30分に授乳して小児科医から聴力と脳波の結果聞いてきた。
脳波、、、異常なし
聴力、、、左、20~30デシベル(異常なし)
右、40デシベル(少し聴こえずらい?)
通常赤ちゃんは40あればいいんだけど、念のため耳鼻科で検査します。
7~9日付き添い入院するので、早ければ9日には退院できるかな。
帰宅したら妻も帰宅していた。自分一人で面会に行くのは気後れするので、今日と明日は面会に行けなくなってしまった。
会えないと「お父さんスイッチ」がオフになってしまう。ピタゴラスイッチのそれとは違うものだと思って欲しい。
妻は10時30分に病院へ行って11時に授乳し、2時に授乳をして帰ってくるというスケジュールのよう。
17時、20時、23時、2時、5時、8時、11時、14時、17時、、、と3時間おきに搾乳or授乳をしていくのが妻のスケジュール。本人と会っていれば授乳で、会っていなければ搾乳。
授乳時に吸うのは上手だが、柔らかい乳首がお好きなようで固いと顔をしかめると言っていた。些細な事であっても何らかの意思表示をしてもらえるのはありがたい。
7日(水)の午後から48時間の付き添い入院をすることが決まった。付き添い入院中、妻の分は食事が出ないということで、面会に通いつつ妻の食事を届けることになった。何を用意していけばいいのか。授乳しているからいきなりカップラーメンというわけにはいかないし。ほっともっと、すき家、まぁ何でもあるな。
脳波の異常なし=MRI、と思って安心していたが、どうやらMRIは別の検査であるという。検査結果は退院の時に聞くことになると衝撃の事実が!
お願いしますお願いします。祈る。
病院から沐浴の写真を貰ってきていた。あれ?雰囲気が違うような。もっとかわいかったような。
6月7日(水)
付き添いのため入院する妻を病院へ送り届けるため午後休む。
5日、6日と会えなかったので久しぶりの対面。髪や爪が伸びている。
授乳&搾乳後、一般病棟に移る。
妻が何かの用事で部屋を出てじきに泣き始めたので、確認をしたらオムツの黄色いラインが青になっていたので交換する。
交換してしばらくしたらまた泣き出したので、もう一度確認するとラインがまた青くなっていた。
それでも泣き続けると妻が戻ってくる。お腹がすいているんだろうとのこと。泣く理由は排せつと空腹の2択しかないという。このくらい単純に生きれたらいい。
その後は音もなく寝ていた。妻がシャワーを浴びている間も音をたてずに寝ていた。生きているのか不安になるほどの眠り。
産まれて2週間の乳児ですら私の思い通りにならないのだから、親が子を管理するというのはふざけた話であるように思う。
友だちが1人増えたくらいの感覚が丁度いいような気がする。
6月8日(木)
お弁当とデジカメ用のSDカードを調達してから面会に行く。
次の授乳は20時で、それまで寝かせておくということで寝ていた。
昨晩は理由わからないままぐずついていたけれど、その後はよく寝たという。4時間以上の睡眠はよくないらしい。
目の下に泣きぼくろができていて、あったっけと聞くと爪で引っ掻いたから血が出たためと。うむ。極小の爪を切る勇気など持てない。
MRI検査の結果は異状なし。
耳の聞こえにくさは耳垢が溜まっているためではないか?とのことで後日再検査をすることに。
日中、病院帰りの両親が寄って果物とベビー服をおいていったという。
向かいのベッドの人は?と聞けば「おたふく」に罹ったとかで別室に移り、そのあおりで妻は検査を受けたという。潜伏期間は2、3週間。心配が増える。
職場の先輩も同時期に出産していて、その人は既に退院しているけれど検査に来ていて授乳室で会ったという。
お弁当を食べながら、こういった話を聞いた。
20時近くなって起きだしてぐずついていたのでオムツの確認をしたが、出てはいなかった。
寝てる顔のかわいさが、起きて正面を向くと落ちるような気がする。
授乳に行くと言うから、そのまま帰ることにした。
帰りに実家によってチャイルドシートをセットする。
6月9日(金)
昨晩の帰りがけに実家で子育てしたいと言ったら、電話が何度もかかってくる。体感では100回くらい。
いろいろなやりとりがあって、「一般論として妻の実家に帰るものだと思っていたが、妻が妻の父親と喧嘩したのなら仕方ないから、アパート戻るのも寂しいし、家に来ればいい」という結論に落ち着いた。
ベビーベッドを買ってくれるという。
午後4時に着けるような時間で休みをとり、病院へ迎えに行く。
午後4時に退院するということだったが、授乳したタイミングでということになり1時間くらい待つことに。
勤務室前で挨拶したが、2週間いたわりにはあっさりした感じであった。
私の実家へ行く前にアパートへ寄る。
チャイルドシートに乗せたまま交替で部屋へ荷物を取りにいく。妻が部屋へ行っている間、隣室の家族が外に出ている雰囲気だったので、おろして披露する。
2年弱の期間、トータルで数ターンしか会話なかったのに、披露した途端に大歓迎を受けてしまう。
会計の窓口でも知らんおばちゃんが話しかけて来たし、威力が凄いな。
隣人との挨拶を済ませて、実家へ行く。
尾崎世界観「苦汁100%」
水道橋博士が発行人のメールマガジン「メルマ旬報」で連載されているクリープハイプ尾崎世界観の日記が早くもまとまりました。
誰かの日記を読むとき、この人は何を吸収しているのかという音楽や本などの具体名が気になります。
本書にも「書店に行った」、「家で読書をした」という記述はありますが、具体的な書名は明らかにされません。
フェイスブックでつながっているメルヘン趣味な女の人が百田尚記「風の中のマリア」を載せて落胆したことがあります。読んだもの、聞いたものにはその人のセンスが出てしまうから、「あぁ、こういうの好きなのね」というテンプレートに嵌められることを避けたのでしょう。
尾崎世界観が百田とか石田衣良、「夢をかなえるゾウ」とかを読んでいたら、逆に興味が湧きます。百田とかを読んで「祐介」が書けるなら、書いている内容と読んでいる作品とのギャップがありすぎです。そもそも「祐介」が書けるなら百田を読んでも得るものはないでしょう。
書名や作品名を出す以上は、”「〇〇〇〇の〇〇」という作品を読んだ”だけでは済まず、短くとも感想なり「良い/悪い」の評価が必要になるから迂闊に書名を出せないのはよくわかります。
では、書名などの具体性を追うことのできない日記から何を楽しめばいいのか。3点を挙げてみます。
1.バンドマンの日常
「水道橋博士のメルマ旬報 る組」の新連載、尾崎世界観の日記がめちゃくちゃおもしろい。とにかく生々しい。「大丈夫か」とか言いたくなるくらい本音。ファンじゃない人が読んでも、ミュージシャンはこんなふうに感じながら日々活動している、ということがわかって、相当読み応えあると思う。
— 兵庫慎司 (@shinjihyogo) 2016年8月24日
昨日9/20配信の「メルマ旬報」待望の尾崎世界観『苦汁100%』第2回。今回もおもしろい! バンドマンがツアーレポートを書くとこうなるのか! と。というか「文筆家兼バンドマンが書くとこうなる」ってことか。大阪ABCラジオ「よなよな」火曜への愛が綴られてるのも個人的にうれしいとこ。
— 兵庫慎司 (@shinjihyogo) 2016年9月21日
「水道橋博士のメルマ旬報」10月20日号尾崎世界観「苦汁100%」。引き続きツアー中で、僕はこの仕事25年以上だけどこれまで知らなかった、バンドマンがツアー1本1本をどのように感じながら行っているのかがわかるところが、たまらなくおもしろいし、ハッとさせられる。あと文章きれい。
— 兵庫慎司 (@shinjihyogo) 2016年10月20日
兵庫慎司さんが(「メルマ旬報」発行のたびに)ツイートしているように、バンドマンの心情を知ることができます。1回1回のライブに臨む気持ち、フェスやファンに対する思いなどを知ることができます。
音楽雑誌は新作についてのインタビューが主で、たまにライブ密着はあれど、フェスやファンに対する率直な気持ちや毎回毎回の体調とその日のライブの出来具合の関係を知ることはできません。
石巻のap bank fesでライブ。半分以上のお客さんが会場内を移動するのを眺めながらライブをした。知名度が無く、中身も伴っていないからしっかりライブを見て貰えない。普段のロックフェスでどれだけ甘やかされていたかを痛感した。悔しかったけれど、貴重な経験だった。
フェスでのライブが続いた後、クリープハイプだけを見に来てくれるお客さんを前にすると特別な気持ちになった。Tシャツを着てタオルを巻いて、嬉しそうにステージを見ているこの人達が周りから馬鹿にされるようなバンドにはなりたくない。
2.交遊録
風貌から勝手に日常がやさぐれているかと思いきや、年上年下を問わず多様な交流があります。
峯田和伸、石崎ひゅーい、スカパラ加藤、新井英樹・入江喜和夫妻、清水ミチ子、椎木知仁(My Hair is Bad)、BLUE ENCOUNT田邊、松居大悟、伊賀大介、DIGAWEL西村浩平、寄藤文平などなどと飲みに行ったり、自宅にお邪魔したり、自宅に泊まらせたりしています。
また、仕事としても又吉直樹、ユースケ・サンタマリア、鈴木おさむ、若林正恭&光浦靖子(ご本、出しておきますね」の単行本用!)、チプルソとの関わりがあります。
極めつけは、フジテレビの番組「ハイ_ポール」。著者はナレーションというか神の声として参加しています。バンドマンがレギュラーで番組に参加する例はあまり聞きませんし、テレビと関わることと距離を置いているように思っていましたが、尾崎世界観は「ハイ_ポール」の収録の楽しさを隠すことがなく、必要な存在であることが伝わります。
フェスやツアー、創作の部分は苦汁の濃度が高いけれど、交流が充実しているから「苦汁100%」が緩和されているように感じました。
3.文章
兵庫慎司さんが「文章がきれい」「読んでいてハッとしたり、「うまい!」と唸ったりするフレーズ多い気がする」と書くように文章が非常に優れています。
幾つか引用します。
あのときベンチに座って、道行く大人の目を盗んで無理して煙草を吸ったりしていたけれど、今は大勢のお客さんを前にして堂々と無理して声をしぼり出している。上質な無理だ。贅沢な無理だ。
沖縄、楽しいな。好きになってしまったじゃないか。また好きな物が増えるのか。荷物が重くなる。失う物が増える。手を離さないようにするのが面倒くさいな。それでも良いと思ったんだから仕方ない。
嫌われたくないな、と思っても書いてしまう。
でも、たとえ不細工な感情だったとしても、残っているのは嬉しい。忘れてしまいたいことと忘れてはいけないことの違いはわかる。
読み返して恥ずかしいのは、今月もしっかり生きた証拠。
その他、個人的な思い付きやメモを書いておきます。
著者である尾崎世界観の顔が伊野尾慧のそれとダブりやすく、顔を思い出せば半々くらいで伊野尾が浮かぶ。
読み終ってからSpotifyでクリープハイプ「世界観」を保存し、チプルソ参加の「TRUE LOVE」を通勤用のプレイリストに入れました。良い曲でした。
製本は「祐介」に続いて、著者の勤めていた「加藤製本」。
エロチャット2017(guide to ero-chat)
さよなら、もう落ちるよ。
落ちる、というのはチャット利用者が最もよく使う用語の一つで、退室するという意味のネット専門用語だ。チャットをやめ、そのチャットルームのページから出る、という意味として使われている。初め私は何がどっからどこへ落ちるのかなどと考えて混乱するばかりだったけれど、何回かその言葉に出くわすうちにいつも会話の最後に用いられていることに気づき、なるほど落ちるは“帰る”の意味だ、と分かった。人が仮想から現実へ落ちてゆくのだ。綿矢りさ「インストール」
用語集(DMM版)
「アダルト」 … 20代まで
「人妻」 … 人妻/30代以上
「ノンアダルト」… 20代まで/裸なし
「パーティー」 … 発言可能/多人数。
「2ショット」 … 発言可能/女性と1対1
「のぞき」 … 発言不可能/パーティー時の閲覧のみ。
「あちゃ」… アダルトチャット
「まちゃ」… マダムチャット
チャットレディーの皆さんが一緒くたの一覧もありますが、「アダルト」「人妻」「ノンアダルト」という区分けのされた一覧もあります。
「アダルト」「人妻」は「ノンアダルト」ではないので、誰もが裸を見せててくれるかと思いきや、人によって「顔あり/裸あり」「顔あり/裸なし」「顔なし/裸なし」「顔なし/裸あり」の線引きが異なります。
「裸や自慰行為は見せるけれど、顔は見せたくない」「パーティーでは顏は出せないけど、2ショットなら顔や胸を出す」などなど。
「顔あり/裸あり」の(かわいい)女性の入室数が多くなり、「顔なし/裸なし」の女性は入室数が少なくなる傾向がみてとれます。
エロも可能というだけで、女性にも人格や気持ちがあるため、誰もが裸を見せてくれるわけではありません。とはいえ、誰もが裸を見せるという前提で入室してくる男が多いとチャットレディーの方たちに聞きました。
収入(奨学金の返済や留学費用を目的としている人もいる)が得られるとはいえ、文字だけとはいえ、精神的にキツイだろうと思います。
そういうこともありつつ、手順としては「パーティーのぞき」から入って様子をみるのが簡単ですが、わからなかったら聞きながら覚えていくのもいいだろうと思います。
エロチャットには「女の子と会話する」「女の子が裸になる(胸を出す)」「女の子が自分の胸を触る」「女の子が自慰行為をする」というパターンくらいしかないため、性的欲求を満たすために閲覧してると、いずれ飽きが来ます。
ランキングに入ることに対して不満を持つ男がいるとも聞いたので、特定の子をアイドル視して独占欲が刺激されて過剰になる男もいるのでしょう。チャットの世界くらい、広く浅く目移りさせてくれよと思います。
話しを聞けば、人づきあいの苦手そうな人が多くいると言っていました。家族関係のことなどドープな話をされて滅入るし、20代半ばの自分ではどう返せばいいか分からないとか。全く関係ない他人にだから話せることもあるのは分かるけれど、聞かされる方はそんなつもりじゃないと思っているんでしょう。
エロチャットのマナーはあくまで自己判断であるから、キャラを装ってカッコつけても、結局は普段の実生活でのコミュニケーション具合が出てしまうようです。普段のキャラと違う風を装ってもばれてしまうみたいですよ。
AV女優の完璧な美貌や身体とは違って、チャットレディーには総じて現実的な存在感があります。
しかし、いくら好意を持っても実際に会えるわけではないし、一時の安堵はあれど、エロ目的なら長続きしません。音楽の趣味があうとか、ただただ話すだけで楽しいとかエロ以外の目的があれば長続きするでしょう。
いずれ終わる時がくるし、実を結ぶことはないので、外に出てみることをお薦めします。
仮想から現実へ落ちてゆこうと思う。
綿矢りさ「インストール」
綿矢りさ「インストール」を12年ぶりに再読しました。第38回文藝賞発表号の「文藝」で読み、2001年11月の単行本刊行時に読み、2005年10月の文庫刊行時に読んだので、12年ぶり4回目です。
自意識が膨らんで破裂した女子高生が学校をサボることになり、自室の断捨離ついでにパソコンを粗大ごみに出すところから物語がはじまります。そのパソコンは、Eメールでやりとりするため祖父に買い与えられたものの配線の接続ができず、一度もやりとりしないままになっていたものです。マンションの粗大ごみ置き場でたまたま会った小学生がインストールしなおし、エロチャットをはじめることになります。
2017年に綿矢りさ「インストール」を再読すると、2001年当時のネット環境に驚きます。
12年前はパソコンに詳しい小学生が珍しかったのですが、小学生がスマホでネットにアクセスすることが普通になった現在からすると隔世の感があります。
読み進めるには、Eメールのためにパソコンを買う、読んでる小説は「ハリー・ポッター」で宇多田ヒカルがコロンビア大学に進学という2001年の状況やトピックを受け入れなくてはいけません。LINEが覇権を獲り、Eメールを使うことがない現代のティーンたちは読みきることができるのでしょうか。
主人公の女子高生と小学生の男の子が共謀し、風俗嬢の代理でエロチャットをはじめます。2001年のエロチャットは文字だけのやり取りだったのでなりすますことができていますが、スマホやパソコンにカメラが付き、女子大生やOL、主婦が裸体や自慰行為を求められる2017年なら通用しない設定です。
2017年から振り返れば、文字だけで満足している2001年の男たちの欲望はおとなしいと思ってしまいます。2001年がおとなしいのか、2017年が過激すぎるのかはわかりません。
2001年の発表当時は、女子高生がエロチャットを扱った小説を書いたということが、作者本人のかわいさもあり、大きく注目を集めました。2作目の『蹴りたい背中』で金原ひとみ『蛇にピアス』と芥川賞を同時受賞し、その注目はピークを迎えます。
発表から15年以上経って牧歌的に感じるデジタル・ツールの古さに足を引っ張られる面はありますが、「他者」との居心地悪い関係を描いている箇所に綿矢りさの才能が発揮されています。
主人公と小学生の関係は師弟であり、共犯者でもある関係です。
しかし、主人公と母親、小学生と小学生の母親(継母)、主人公と小学生の母親、主人公の母親と小学生の母親という関係はいずれの場合も、どちらか(あるいは双方)が居心地悪く思っています。
「我々がコミュニケートしなければならないのは、きっとどこかに居るであろう自分のことをわかってくれる素敵な貴方ではなく、目の前に居るひとつも話が通じない最悪のその人なのである。」と書いたのは渋谷陽一ですが、このことを書いてある小説です。未成年にとってエロチャットの相手が素敵な貴方であるわけもなく、「最悪のその人」である両親とコミュニケートしなくてはいけないのです。
学校を休んで取り組んでいたエロチャットはそれぞれの両親にバレたことと風俗嬢の引退をもって終わることになり、物語も終わります。
数本の長い毛がからまった綿ぼこりが点在しているその乾いたコンクリートの上に座ったら、その尻の感触でゴミ捨て場で呆然と座り込んでいた時のことを思い出した。私は今もあの時と同じように呆然としている。何が変わった?
という主人公の独白が終盤にありますが、エロチャットで変わるほど人生は甘くないし、エロチャットきっかけで目覚める何かがないことも教えてくれます。
やっぱり、不器用は罪なのだ。同情という言葉で彼らに甘えて、安心してはいけないと思った。
併録されている短編「You can keep it」は、「インストール」「蹴りたい背中」の次に発表された作品です。綿矢りさは「蹴りたい背中」以降しばらくの間、作品を発表してませんでしたが、「インストール」の文庫化に収録という形でいきなり発表したので非常に驚きました。
「You can keep it.」は2017年の現在にも通じる居心地の悪さが描いてあります。
これ以降、私は綿矢りさ作品を読んでないのですが、今も居心地悪い小説を書いているんだろうか?「勝手にふるえてろ」「かわいそうだね?」「憤死」「大地のゲーム」とタイトルは私好みのキレがあるので読んでみよう。
「はあちゅう」とは何者か?
「はあちゅう」さんが肩書きを「作家」にしようとしたら炎上しました。
「はあちゅうさん、吉田豪さんに認識されていて凄い!」というのが私の第一印象でしたが、いろんな人がいろんなコメントをし、あれよという間に炎上したので驚きました。
「作家・はあちゅう」に一言ある人は、「はあちゅう」に対して「何をしている人か分からない」「収入源がわからない」「ネット界隈で小金を稼いでいる」というイメージを持っているんだろうと推測します。
あるいは、「作家」を名乗りたいけど、おこがましいから、、、と躊躇している人を軽々飛び越えて行ったことへの嫉妬も含まれていそうです。
『半径5メートルの野望 完全版』『言葉を使いこなして人生を変える』の2冊を買い、読みました。けれど、結局「はあちゅう」さんが何者であるかはわかりませんでした。
両作とも日々の生活で心がけていることなどが書かれており、怠惰な自分には眩しい内容でした。
「はあちゅう」さんは、ネットで課金制のnoteを公開したり、サロン開いたり、スケジュールを公開したり、手帳作ったり、小説書いたり、多方面な活躍が支持されています。小説を除いた著作については、「はあちゅう」さんの活動を支持する人への「副読本」と認識すればいいのではないでしょうか?
著者のことを知らずとも、タイトルに興味があれば手に取ります。一方で、著者のことを認識しているから手に取ることもあります。
世に出ている本の多くは本を読むだけで完結するけれど、「はあちゅう」さんの著作に関して言えば、読み終ると「はあちゅう」さんはどういう人であるかが分からなくなり、ネットで「はあちゅう」さんの情報を探しています。探しても課金を強いてくるサイトにつきあたるから、ジレンマが生じます。恋かもしれません。
古い価値観と対決していかなければいけないんだから、「はあちゅう」さんは大変だろうなと思います。
でも結局は、
というコメントに同意します。正しい反応は「作家さんだったんですか。すごいですね」だと思う。
— ホームラン (@muteit) 2017年3月28日