SAKEROCK『SAYONARA』とは、どういうアルバムか

f:id:tabun-hayai:20170126111935j:plain

2014年12月29日にオンエアされた『星野源のラディカルアワー・リターンズ』。ゲストのレイザーラモンRGを送り出した後、終盤の近況報告で「SAKEROCKでレコーディングをしている」ことが星野源さんから語られました。

SAKEROCKがレコーディング、、、。SAKEROCKは、まだ終わっていませんでした。

11年11月21日に田中馨さんの脱退が発表された後、翌年6月のカクバリズム10周年ライブ『boys in the city』に出演したきり、14年1月22日にベストアルバム『SAKEROCKの季節』がリリースされるまで、SAKEROCKの動きはアナウンスされませんでした。

 この間(11年11月21日~14年12月29日)のメンバー3人の活躍は周知のとおりですが、簡単にまとめました。

● 星野源 

主演映画2作品公開(『箱入り息子の恋』『地獄でなぜ悪い』)

著書4冊刊行(単行本3冊、文庫本1冊)

アルバム2枚、シングル6枚をリリース

 ● 浜野謙太

めちゃイケ』で岡村隆史とダイエット対決するなど地上波のバラエティ番組に出演

在日ファンクとしてアルバム1枚、ミニアルバム1枚をリリース 

● 伊藤大地

奥田民生くるり岸田繁と「サンフジンズ」を結成

細野晴臣グループや真心ブラザーズ、須藤寿GATARI ACOUSTIC SET、安藤裕子などなど書ききれない程多くのライブやレコーディングにサポートドラムとして参加 

メンバー3人が3人とも「SAKEROCK」の肩書を必要とせず、個人の名前で“売れっ子”となり、どの活動も歓迎できることだったので、再開しないことに不満はなかったものの、寂しさは付きまといました。

 

そんな状況のなかで、昨年末にレコーディング中であることが発表されました。リリース日のアナウンスを待っていると、2月28日(日)に「SAKEROCK 5人でラストアルバム『SAYONARA』 6月に解散」というニュース。

 

今まで好きだったバンドがいくつも解散しましたが、解散理由に納得できたものはありませんでした。「このメンバーでやりきった」というコメントを信じることはできませんでした。

星野源さんの綴った解散理由。そこには反論を挟める隙が全くありませんでした。

全文を引用します。 

少し長いですが、お付き合いいただければと思います。

2013年の夏の入院中、「SAKEROCKでやりたいことはなんだろう」とずっと考えていました。3人体制になってからというもの、バンドとしての活動がうまくできず、次の動きを考えている間にメンバー個人の活動が本格化し、次第にそれぞれの「戦う場所」が生まれました。どんどん時間は過ぎ、「SAKEROCKで戦う意味、活動する意味」を見つけようと思えば思うほど、やりたいことがわからなくなっていきました。ここはきっぱり解散するしかないのかな……。そんな想いでベストアルバム『SAKEROCKの季節』に収録された「Emerald Music」のMVの編集をしていたとき、差し込んだ過去のオフショット映像で馬鹿みたいに笑っている初期の自分たちを見ながら、ふと「この頃に戻りたいな」と思いました。「でも解散するとしたら、もう無理だな」とも思いました。すると、急にポジティブな感情が生まれたのです。「解散するからこそ、できるのではないか?」解散するからこそ「最後にもう一度脱退した二人を呼び戻すこと」もありなのではないか。そうしたら今まで一度も作ることができなかった「オリジナルメンバーでのアルバム」ができるのではないか。そしてその5人で、戦ったり、挑戦したりするのではなく、ただ「メンバー全員で楽しく演奏する」ことがしたい。そのとき、SAKEROCKで心からやりたいことが見つかりました。メンバーの大地くんとハマケンに相談すると、解散することを含め賛同してくれ、元メンバーである卓史くんと馨くんにお願いすると、二人とも快く引き受けてくれました。5人での制作は本当に楽しく濃密で、ポジティブな空気に満ちていました。その勢いの中、1stアルバムのようなラストアルバム『SAYONARA』が完成しました。この1枚で思い残すことなく、自分が結成当初から目指していた音、インストバンドSAKEROCKのすべてを出し切ることができたと思います。

6月のライブをもって、SAKEROCKは5人で解散します。
5人で同時に終われるということが、本当に嬉しい。
メンバーのみんな、本当にありがとう。
そして、ここまでたどり着けたのも、今まで応援してくれた皆さんのおかげです。
本当にありがとう。

SAKEROCK 星野源

 

2006年11月リリース『songs of instrumental』を買ったとき、SAKEROCKは4人のバンドでした。

少しずつSAKEROCKに対する情報が増えていき、伊藤さんは脱退したメンバーと「グッドラックヘイワ」というユニットを組んでいることを知りました。

過去の雑誌を読み返していると『Quick Japan』65号(12年4月)にて星野源さんと、脱退したメンバーである野村卓史さんの対談が掲載されていました。

 「野村卓史は、サケロックが世に出た最初のCD『YUTA』のジャケットに描かれている幻のメンバーその人。そして『YUTA』の完成を前に脱退し、二度と戻って来なかった人である。」という松永良平さんのリード文にもある通り、野村卓史さんは02年末に脱退しました。

対談のタイトルは「微笑ましくも真剣な仲直り」。

松永良平さんによるリード文は「その星野と野村が最近、<復縁>を果たした。ゼロ年代も半ば、今一番気になる音楽の作り手と、これから誰もが気になってしまうに違いない音楽の作り手との、微笑ましくも真剣な仲直り。そこから何か面白い未来がやって来そうな気がするじゃないか」と締められています。

 

 対談を少し引用します。

 ふたりはもともと先輩(野村)と後輩(星野)という間柄。野村作のトロピカル時代に絞った「細野晴臣ベスト」カセットテープを星野がコピーしてもらい、そこで星野が衝撃を受けたのがきっかけになり、共通の友人を介して出会い、意気投合。このふたりを中心にサケロックが誕生する。

 そして2001年の夏、『YUTA』の録音が開始されたが、その頃のムードは、あまり振り返りたくないものだった。

 

星野

  あの頃はまだ、自分のやりたいものが見えてなくて。人のやってるのを見て「こういうのヤだ」みたいな、消去法で考えてたんですね。でも、そういう葛藤を全然説明もしなくて・・・

野村

  イニシアチブを持ってるのは源くんに間違いないんだけど、何をすればOKなのか、まったく読めなかった。あれもダメ、これもダメ・・・もう最後の方は、オレも腹立って、頑なに無視してたよね。

星野

  人がやってない事をやろうとしてたから先が見えなくて。それで余計にそうなってましたね。今考えたら、みんなやめててもおかしくないくらいだった。

野村

  でも、録ったときの異様なまでの熱量は、今でも覚えてる。

星野

  追いつめてたね。空気抜かなかったし。

 

脱退した野村さんを心配した伊藤さんが声をかけて「グッドラックヘイワ」が結成されました。

対談によると和解したのは05年後半に「お互いの友だちの結婚式でサケロックのライブを見たのがきっかけ」だったそうです。

 バンドが終わって友だちに戻ったエピソードを耳にすることはありますが、友だちとして終わることを選んだバンドを他に知りません。

野村さんの脱退後にSAKEROCKへ加入したのが浜野謙太さんです。

 

SAKEROCKが最後にリリースする『SAYONARA』というアルバムは、SAKEROCKにとって最初で最後の、在籍したメンバー5人全員による作品です。

 

SAKEROCK解散後の星野源活動は偉いことになっているので、こちらもどうぞ。

tabun-hayai.hatenablog.com

同じテーマを音楽ライターの方が書くとこうなるといる例を貼っておきます。

兵庫慎司さんの原稿でも屈指の出来だと思います。

realsound.jp