あかり、育つ(17年6月21日~)

6月21日(水)

午後から「あかり」の検査と妻の検査結果を聞くため病院へ行く。

最初は、「あかり」の検査。

体重を測ったら3,500gになっていた。産まれたのが2,666gだから1kg増えている。太ってきてて丸くなりはじめている。このままどこまでも成長していってください。

「あかり」の検査の時に、助産師が待っていて、出産時の担当だったから付き添うとのことを聞かされる。何かの話をしていたときに涙ぐむから、何なんだコイツは?と思う。

ギャン泣きの声が聞こえて来たと思ったら、採血したらしく絆創膏が貼ってあったので納得する。

その後、婦人科。

診察室へ入る寸前で、相談員と名乗るおばちゃんが担当に付くと言ってきた。そういうことか、、、。

診察室で結果を聞く。転移していた。肺と肝臓と子宮、、、。

来週から入院、、、、。抗がん剤、、、。副作用、、、。口内炎、、、。脱毛、、、。

仕方ない。しょうがない。こういうこともある。

セカンドオピニオンについては、病院としても、事例としても稀なケースであるから、大学病院と連携をとりながら対処していただけるとの説明があった。

セカンドオピニオンは、風邪と診断されたけど「風邪ではなくもっと重いのでは?」と思った時に行くもので、この場合、その必要はないだろうと思う。と思ってたら、セカンドオピニオンの解釈が違っていた。

セカンドオピニオンとは、「患者さんにとって最善だと思える治療を患者と主治医との間で判断するために別の医師の意見を聴くこと」であるらしい。最善を探すために行うのがセカンドオピニオンであるらしい。納得した。

思い返せば、出産の時も医師の懸念で動いてもらって処置を受け、助けられている。今回も助けられることになった。

医師には何の不満もなく全幅の信頼をおいているのですが、相談員と助産師は気持ちが先走っているように思う。親身になってくれているんだろうけど、感情が先行しているような気がする。医師から検査結果を聞く前に、悪い結果を匂わすような発言や態度は控えて欲しいと思った。

結果を聞いたあと相談員が早速、「あかり」の育児環境についての確認を求めてきた。矢継ぎ早に聞いてくるけど、こっちは今聞いたばかりなんだから、家に持って帰らせろと。こうなっているとは思わず結果を聞きに来てるんだし。

持って帰りますから、と話を切った。

私のなかでは、祖母、父、母のいる私の実家で何とかしようと結論付けたが、妻は祖母の畑仕事など気兼ねがあった。

妻は妊娠するためにレディース・クリニックに通っていて、そこでの妊娠誘発剤がよくなかったのか、自然妊娠を待てばよかったのかと自問していた。

私にも責任はあるだろうし、そこは責めて欲しくない。こどものいる今を手放す事は出来ず、「あかり」のいる今が正解だったと思っている。現実はいつも正しい。

家に帰り、結果を伝えた。

家で「あかり」を看ることで話がまとまった。

母は私が小学生の時にがんになっていて胃を全摘出した経験があるから、理解と協力への決断が早かった。

妻は妻の母親に電話していた。がんばろうな、みたいなことを100回繰り返していてうんざりした。第2子は?みたいなことも話しに出していて、何なんだと思った。

妻の心情はわからない。「あかり」の成長のスタートに不在になるから、つらいに決まっている。でも、「悲しい」が口ぐせの妻が「悲しい」と言わないんだから、よっぽど悲しいんだろうと思う。

抗がん剤治療により授乳させることはできなくなると伝えられた。そのことの重みを理解する回路を私は持っていない。妻に聞くこともできない。

夢なら覚めれば、と言っていた。どこまでが夢だと思えば良いのか。「あかり」がいる今になれば、こうなるとわかっていても、もう1度こうなる道を辿りたい。

こういう闘病記の当事者になるとは思っていなかった。誰だってそうだろう。

書くことで落ち着くので、記していこうと思う。

落ち着きはしないな。言葉にしたら、余計悲しくなってしまった。

 

6月22日(木)

職場で、上司を含めて数人に妻のことを伝える。

アパートに寄って届いた荷物や郵便物を確認する。アパートを解約することの提案が妻からあった。

この部屋に3人で戻りたいと思うから、お金が続くうちは家賃を払おうと思う。

この部屋を1人で片づけることはできない。たった2年であるが、たった2年なのに、思い出が詰まりすぎている。

帰宅する車で環ROY「なぎ」をSpotifyで流す。泣きそうになる。

帰宅後、ソファに涙目の妻がいた。

友人に打ち明けたら、2人で泣いたという。

昼間、友人たちが来て、その時間は楽しかったというから安心した。

気持ちが決壊しそうだと言ったら、妻も同じだと言う。

夜、物音が理由か分からないが、授乳前に起きてしまった「あかり」をあやす。

抱いていて泣きそうになったり、泣きやまなくてイライラしかけたり。これを妻はやっていたのか、と今になって気付く。

とことん付き合うよ、と改めた。

便秘常習の「あかり」のお尻に綿棒をグリグリ突っ込んで排便を促す。少し出て、オムツを履かせて時間をおいたら更にたくさん出てた。安心した。

授乳用のミルクの調合にも、これから馴れていくんだろう。

授乳させたら泣きやんだので寝ることにした。

このくらい、なんてことないよ。


6月23日(金)

早朝2時30分と5時30分のミルクは妻に任せてしまった。

泣いたりぐずったりする時、哺乳瓶の口を使うと泣きやむから「おしゃぶり」を買うことになった。避けてたけど、仕方ない。何で避けてたかは忘れた。そもそも聞いてないかも。

出勤前、妻に「いろいろ頼ってくれ」と伝える。

小林麻央さんのことを想わないように、考えないようにする。

治療方法について検索しようとしたけれどやめた。信じるのみ。

 

6月24日(土)

妻は午前中に、口腔外科と婦人科の受診に行った。

口腔外科へは副作用で口内炎ができやすくなることに備えて、ホワイトニングを受けに。

婦人科は入院前の説明とか。診察のなかで医師から断乳を勧められ、妻は号泣したという。投与の関係で母乳に影響があるから授乳がストップすることは仕方ないとはいえ、完治後の授乳もできなくなるのでは、、、。

医師のことを信頼しているとはいえ、飲みこむことが出来ず、搾乳を続けることになったという。

木曜の夜から「あかり」は夜になると全然眠らなくなってしまった。

「寝ぐずり」というらしい。本人も寝たいけど寝れない状態らしい。

 

6月25日(日)

10時ころ、妻の両親が来る。

妻の入院中は私、両親、祖母、そして妻の両親という6人体制で「あかり」の世話をすることになった。

日中は私の両親のどちらか、夜は私中心。祖母が補助というのが大枠。日中、両親が不在になる時は妻の両親に来てもらうことになったので、その予行演習がてら来てもらった。

そして、妻と私が「あかり」を残して出かけられることになった。

そもそもは妻が入院前に美容院に行くのが発端で、予行演習兼ねて見てもらえることになった。

妻を美容院におろし、私はブックオフ、本屋、コンビニに行き、マツモトキヨシで追加分の「すこやか」などを見ていると妻が合流してきた。

その後、焼き肉をたべ、参拝し、プリンを買い、100円ショップで入院時のスリッパなどを買ってから帰宅した。

妻の両親はまだ帰宅しておらず、一緒に夕飯を食べて家族写真を撮った。

例によって、今晩も「寝ぐずり」があった。

23時ころ授乳させ、それでも「あかり」は寝なかったので、妻に任せて寝ることにした。

26時30分の授乳も妻がして、その後、翌朝6時30分近くまで寝ていた。

26時30分の少し前からうとうとしはじめていたとのこと。