中溝康隆「プロ野球死亡遊戯」

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文春オンライン「文春野球コラムペナントレース」は西澤千央ファンなので、読売ジャイアンツ推しの「プロ野球死亡遊戯」のコラムは読んでませんでした。


しかし、週刊文春「文庫本を狙え」に取り上げられていたので読むことにしました。

読み終わって思ったのは「面白かった。村田修一頑張れ。」。

コラムの1本1本はおもしろいけれど、何本も読み進めるうちに、しつこさを感じはじめました。

「しつこさ」の理由はえのきどいちろうの解説で腑に落ちました。

 死亡さんがプロ野球選手をサラリーマンに喩えたりするの「わかりやすいけど、ちょっと浅くなる」んですよね。肉体で特権的な物語を紡いでいるプレーヤーと、サラリーマンが同じわけがありません。比喩としてわかりやすいだけ。今後はそういう次元を突破していく必要がありますね。

各章のタイトルを引用します。「ライバルやトラブルとの戦い方」「一芸で生き残る方法」「伸び悩む中堅社員は子どもの頃のヒーローたちに学べ」「村田修一、37歳の生き様」「人生逆転ホームランをかっ飛ばしたいあなたへ」と野球の9回と同じく9つの章それぞれがサラリーマンに絡めたタイトルになっています。

えのきどさんの指摘のとおり、そのことは最近の巨人軍の選手のことを知らない読者にとってはわかりやすさの一助となっています。

でも、プロ野球選手は等身大の存在ではありません。年下であっても、スターです。距離感を見誤ってはいけないと感じました。

サラリーマン像も定型のサラリーマン像をなぞっているように思えて共感しませんでした。なので、サラリーマンで喩えず、エピソードの引用でまとめた回(落合博満クロマティ星野仙一)は毛色が異なり良かったけれど、引用を重ねるのは同じくブロガーあがりの「てれびのスキマ」こと戸部田誠さんの二番煎じになるから手法として使いたく無かったのかなとも思わせました。

物足りないとこばかり挙げましたが、本書の肝であり、最重要ポイントは、自分のことを書いた「プロ野球死亡遊戯が生まれた日」という回。

「プロのライターになる」という決意で2010年10月24日にはじめたブログ「プロ野球死亡遊戯」の初期が振り返られています。

 とにかく書く。言い訳をしないで書く。断り切れない飲み会があったら、帰宅すると熱いシャワーを浴びて酔いを醒ましてから書く。/書いて書いて書きまくる。書くことを、飯を食ったりナニったり風呂に入る生活習慣と同じレベルに組み込もうと思った。/ひたすら書く。/いつ何時も書き続ける。3年間そんな生活を続けたら、いつの間にか1日10万アクセス突破。プロ野球死亡遊戯はモンスターブログと呼ばれるようになっていた。

 18年1月31日をもって終了した。最終的なプロ野球死亡遊戯のブログの累計ページビューは7年3ヵ月で「71924756」だった。

ななせんまん、、、、。ちなみにこのブログのアクセス数は記事数145件で「173578」です。

帯コメントは「またかよ感」のある糸井重里

糸井重里自身が巨人ファンなので人選に不満はないのですが、「ほぼ日」は巨人戦を見に行く企画で2014年以降、毎年のようにワンデープログラムへの寄稿を依頼しています。ブログのアクセス数よりも糸井重里からのフックアップを感謝しているようでした。

www.1101.com

余談ですが、今まで「ヒットの崩壊」で知られる音楽ライター柴那典さんと「てれびのスキマ」こと戸部田誠さんの顔が似てると思っていましたが、「プロ野球死亡遊戯中溝康隆さんの顔も似ている。