ザ・ウィークエンド、「TIME」誌掲載インタビュー(和訳)

2018年12月18日にザ・ウィークエンドが来日公演を行います。

ザ・ウィークエンドはケンドリック・ラマー、チャンス・ザ・ラッパーに並んで、今年来日するアーティストのビッグ3の一画です。

しかしながら、ザ・ウィークエンドの位置ははっきり言ってよくわかりません。ヒップホップ界隈は記事が充実しているけれど、ヒップホップではないザ・ウィークエンドのことはほとんど語られていないのが現状です。

そうなると海外メディアの記事に当たるしかないのですが、幸いなことに雑誌などに掲載された記事はネットにも転載され、触れることができます。

 

ということで、アメリカのニュース週刊誌「TIME」2018年5月28日号掲載の特集「次世代リーダー」で取り上げられたザ・ウィークエンドの記事を翻訳しました。

きっと誤訳だらけです。読める人は原文に当たってください。

※ 「The Weeknd」の読み方は「ジ・ウィーケンド」「ジ・ウィークンド」が好きなんですが、「ザ・ウィークエンド」に統一しました。

 

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ザ・ウィークエンド、その名声、愛、「憂鬱」 / The Weeknd on Fame, Love and 'Melancholy'

 

エイベル・テスファイは昨年セレブリティたちが身を寄せるカリフォルニア州カラバサスに引っ越してきた。明るく風通しの良い家はヒドゥン・ヒルズの近くで、近所にはドレイクやキム・カーダシアン・ウェストも住んでいます。額はどこかに吊るすべきだし、ワインの貯蔵庫もすきずきしているけど、部屋の隅には彼の胸像があります。ビバリーヒルズに比べて過度に注目されない所を彼は気に入っています。「またかつてのような状況に戻りたいとは思わない」と彼は言いました。「いつも誰かに見られているようだった」。

 

テスファイ、一般にはザ・ウィークエンドとして知られる、はわかりやすいところから登場してきました。彼が音源をリリースした2010年当時、彼は意図的に曖昧さを保っており、主にインターネット経由でバズを起こしました。「ザ・ウィークエンド」とはバンドなのかソロなのかもわからないまま、ファンは彼に夢中になっていきました。一連のナンバーワン・ヒット(「ザ・ヒルズ」、「キャント・フィール・マイ・フェイス」、「スターボーイ」)や新作「マイ・ディア・メランコリー」(SpotifyApple Musicともに公開24時間で2,500万回以上再生という記録を作った)で新進のスーパースターとなり、4月開催のコーチェラで彼はビヨンセと別日のヘッドライナーを務めました。

※2018年は4月13日(金)~15日(日)、20日(金)〜4月22日(日)に開催(3日間×2公演)。
ヘッドライナーは、ザ・ウィークエンド、ビヨンセエミネム(曜日順)

 

あちこちで彼の名前を目にする割に、ザ・ウィークエンドについてよく知らないと感じているのはあなただけではありません。彼はめったにインタビューに応じることがありません(最後に受けたのは2016年11月です)。もっとも、彼の謎めいた姿勢は、主として神経質なところに起因しています。「生放送のテレビ・インタビューに答えなきゃいけないと思うだけで吐きそうになるよ」。個人的なことについてはほとんど語ってきませんでしたが、彼が女優で歌手のセレーナ・ゴメスやスーパーモデルのベラ・ハディットとデートしているのをパパラッチに撮られた写真は簡単に見つけることができます。

 

しかし、音楽において、テスファイは自分自身をさらけ出し、愛やドラッグ、セックスについて気まぐれに歌っています(君が触ってくれるだけでいいんだ、感情なしで/ラリってるときの俺は正真正銘の素の俺「ザ・ヒルズ」)。重く、感染力のあるビートと忘れられないフックを持つ彼の楽曲はとても良く、それはR&Bとポップの間に位置付けられます。テスファイは楽曲がミレニアルズ(1980~2000年初期に生まれた世代)、中でも思春期の子たちなら共感してくれることを信じています。少年少女のことがわかり、楽曲を作るテスファイ自身は28歳です。「私たちが感じている愛の定義は、キッズやティーンの子も経験しています」と彼は言います。「音楽は特別なものです。そして人々が必要としているものです」。
※ エイベル・テスファイの誕生日は、1990年2月16日。

 

テスファイはエチオピア系移民としてトロントで産まれ、母親と祖母に育てられました。彼は17歳で学校をドロップアウトし、それから数年間は保護者のいないティーンエイジャーのしそうなこと、ドラッグや万引き、ホームレスまがいのことをして過ごしました。「僕は学校をドロップアウトしたり家出したりしている16、17の子たちを奮起させようとはしていない」と彼は言います。「単に自分も同じだっただけなんだけど」。

 

2015年に彼がリリースした「ビューティ・ビハインド・ザ・マッドネス」は200万枚を売りあげ、グラミー賞を獲りました。リードシングル「アーンド・イット」は映画「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」の主題歌としてオスカーの歌曲賞にノミネートされました。「星が自分のために並んだように思った」「連日のハードワークはあったけれど、正しい場所に、正しいときに収まったように感じた」。翌年リリースした3枚目のアルバム「スターボーイ」は初登場1位となり、最終的には200万枚を売りあげました。

 

ヘッドライナーを務めるコーチェラへの移動まで1週間を切ったタイミングでインタビューを行いました。コーチェラのヘッドライナーは彼にとってランドマークの1つとなる出演です。2015年にヘッドライナーのジャック・ホワイトが早い時間の出演を選んだので、彼は2日目を締めることになりました。「今までの人生はこの瞬間のためにあったんだと感じた」「打席に入れ。いいか、輝く時が来たぞ」。そして彼は演奏しました。観客のエネルギーを呼び戻し、彼の演奏で観客は立ちすくんでいました。彼の空へ抜けるような歌声は冷たく荒れた空に色を与えました。彼のキャリアは上昇していきました。コーチェラは3年早いとがっかりさせられていたので、とりわけ成功を感じた瞬間でした。Apple Musicのゼイン・ロウは2012年のザ・ウィークエンドを「スターの器じゃない」と評しましたが、結局はテスファイを鼓舞させることになりました。
※2015年のコーチェラでのジャック・ホワイトは、2018年のフジロックでのボブ・ディランと同じようにヘッドライナーでありながら、トリ前の出演だった。


それは興味深い許可であり、彼の平穏に加え、不屈の願望を覗く機会にもなりました。多くの人がスターになろうとして、しかし、何人がスターになることを認められたでしょうか?恐らく率直に言ってテスファイはスターになったことがわかり、満足しているようです。グラストンベリーのヘッドライナーになり、デヴィッド・ボウイスティービー・ワンダーポール・マッカートニービヨンセに並ぶことを目標にしているようです。目標どおりにいきそうかと尋ねました。「ええ、恐らく」。それにも関わらず、彼は賞や評価をそれほど気にしていないように見えます。それどころか彼はレジェンドたちがそうしているのを認めていて、レジェンドのようになるなら同じように引き受けていかなければいけないとわかっているようです。そのアプローチに注目すると、言うまでもなく、独自性が彼の仕事につながっています。

 

テスファイの新作EP「マイ・ディア・メランコリー」はリリースから数週間後に彼とゴメスの関係の終わりが伝えられ、「Wasted Time:無駄な時間」「Hate You:君を憎む」といった暗いタイトルの曲が収録されていたことから、すぐに「別れのアルバム」と呼ばれるようになりました。彼はその詳細については慎重になっています。「ゴメスとのことはパンドラの匣と同じであり、僕はそれを開けたくない」。しかし、彼は先行シングル(「Without a Doubt」)とレコーディングが浄化をもたらしたことを認めています。「それはセラピーであった」とテスファイは言います。「それについて話すことを求められているんだろうけど、言ったとおり終わった話なんだ」。

 

だけれども、話は終わっていません。「憂鬱な気分を優先して、このアルバムの曲を書いてきた」とテスファイは言います。「これまでの人生で憂鬱になることは少しもなかった」。私はこのアルバムのレコーディング期間中はまだゴメスと続いていて楽観的だったのではないかと尋ねました。「あぁ」、彼は言います。「それはとても楽観的だし、美しくもある」。しかし、彼はその仮定を破棄しました。なぜなら彼はその時期を過ぎていたからです。「僕がやりたいと思わないことは実行したくない」と彼は言います。それを聞かせてもらうことは?「決してない」と強く主張しました。

 

その日の午後遅く、母屋の向かいの全く同じような作りの2棟の犬小屋について話を振りました。犬が好きかを聞く前にテスファイは誇らしく微笑み、ドーベルマンの子犬、カエサルとユリウスを呼びつけました。彼はどのように散歩しているか実演し、結局は倍の大きさまで育っていることを自慢しました。彼らは泳げるけど、プールから出る方法はわかっていないから教えているんだ。その瞬間の彼は、のんびりした春に犬とくつろぐ一人の男性でした。ザ・ウィークエンドの謎めいたベールは決してはがされないだろうけど、たくさんのことを知ることができたのではないだろうか。

 

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