音楽フェスティバル雑感、というかフェスがしんどい
(1)音楽フェスに行く人
音楽フェスは「去年はサマソニへ行ったけど今年はケンドリック来るからフジロック行こう。来年は20周年で気合い入れたブッキングあるかもだからロッキンに行こう」というようにブッキング次第で行くフェスを決めるものだと認識していました。
私は5回くらいしか音楽フェスに行ったことないし、だいたい目当てのアーティストいるから参加しています。フジロックは金曜日にもやってて、行ったことなかったから、たまたまタイミングあった時に行けました。
ところが、そういうことでもないらしいのです。
ロッキンは開場待ちしてると、並んでる人はみんな過去のロッキンTシャツ着てますからね。で、帰りは「来年は何日来れるか」っていう話をしてる。だからリピーター率めちゃ高いんですよね。実は出演者にそこまで依存してないっていう。
フジロックが2019年で21回目、サマソニやロッキンが来年20周年ということで、今までの積み重ねにより「場所」の重要性が増してきています。
今年の開催の最終日に来年の開催と日程が発表され、年明けには早割チケットが売り出されて売り切れているので、リピーターが一定数いるということなのでしょう。
フェスは営利事業だし、乱立すれば客の取りあいになるのだから、独自性が必要になります。
ロッキンは快適さが良いらしいし、フジロックは不自由さや自然が良いらしいし、サマソニは都心からの利便性が良いらしいし、エゾロックは遠くて良いらしい。
それぞれの独自性に気づかないと、ロッキンの快適性に慣れた音楽ライターのようにフジロックの不自由さを批判することになります。
(2)音楽フェスは魅力的だが、物足りなさもある。
私には定宿や実家のように思えるフェスはまだないです。2,3回行った「りんご音楽祭」の勝手がわかる程度です。
フェスへの参加が習慣になってないし、りんご音楽祭の裏かぶりに耐えられないのもあるし、何より1時間程度のセットしか見れないくらいなら、2時間近くが期待できる単独公演に行きたいと思うようになりました。
私は県内でアナログフィッシュのコンサートを5回くらい見ているけれど、いずれも単独公演ではなく、2マンかフェスなので1時間くらいしか見たことがありません。見てない公演もあるけれど、それだってフェスかなんかで、単独公演は開催されていません。
アーティストと側とすれば単独公演に人を呼ぶためにフェスへ出ているんだろうけど、参加者からすると大半のアーティストはフェスで見れば満足できてしまいます。フェスで見てすぐ単独に足を運ぶことは稀で、実際は、前から音源を聞いて気になっていたアーティストの演奏が良かったから次は単独へ、という流れなんだろうと。
地方でもフェスなら集客が見込めるので多くのアーティストに来てもらえるけれど、りんご音楽祭出演アーティストのほとんどの単独公演がなかなか実現しないところをみると、集客は私が思うより厳しいのかもしれません。
ライブハウスでの公演があるのはThe Birthday、ザ・クロマニヨンズ、Ken Yokoyama、MAN WITH A MISSIONなどバンドばかりです。
東京を含めて単独のキャパが需要とあっていないアーティストはチケット取れないのでフェスで見るしかないのかなとも思います。
(3)音楽フェスとはバイキングである
フェスで会場内を移動して時に演奏に足を止めたり、行く行かないに関係なくラインナップやタイムテーブルを見ているうちに、これは新人を探すコンベンションなのかと思うようになってきてしまいました。
コンペティションと思ってしまうと、「音楽フェスとはバイキング(ビュッフェ)である」という結論に至りました。
ホテルの朝食バイキングには、ご飯ものだけでも、白米、玄米、おかゆがあって、夕食だと更に寿司やおこわも追加されます。この種類の多さはステージの多さに似ています。
あれもこれもとちょっとずつでもいいし、3つ抑えるだけでもいいし、定番ばかり選んでしまうということも置き換え可能な共通した「楽しみ方のバリエーション」です。
サマソニにチャンス、フジロックにケンドリが来るってのは、ホテルビュッフェにイレブン・マディソン・パークやフレンチランドリーが出張するみたいなことで、サザンやユーミン、山下達郎の出演するロッキンやライジンはすきやばし次郎や賛否両論、瓢亭が出張するみたいなことです。
自分の好きなものだけを皿に盛り、いつも以上に食べ、、温泉やアスレチックを楽しむのも悪くはないけれど、2時間を料理人にゆだねる体験の方に今は魅力を感じます。
一つの店に絞るのは、他を捨てることです。寿司を選べば、ステーキやラーメン、カレーを食べることはできません。
色々楽しめるのも悪かない別に。とはいえ、旅費の負担はあるけれど、狙いを絞って入り込んでいきたい。