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岡康道『勝率2割の仕事論 ヒットは「臆病」から生まれる』


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 光文社新書から「TUGBOAT」岡康道さんによる仕事論の本が発行されました。講演会で出待ちして『TUGBOAT 10 YEARS LOG BOOK』にサインをもらったことのあるファン目線でも、示唆に富んだ名著であったから文章を引用しながら感想をまとめます。

 

 プレゼンで心がけているのは、なるべく商品の本質から考えて、クライアント(発注元)に提案するということ。すると、たいてい「そんなこと、頼んだっけ」という反応が返ってくる。発言ではなく、表情が語る。しかし、二割くらいの確率で「おもしろいかもしれませんね」と言ってくれる人と出会う。僕たちは、その二割に賭けて仕事をしている。(p7)

 「グッドデザインカンパニー」の水野学さんも「クライアントからの依頼まんまではなくて、こちらから提案する」というようなことを言っていた。水野学さんへの依頼はグラフィックデザインで、岡康道さんの所属する「TUGBOAT」への依頼はCMだから勝率2割になってしまうのかもしれません。

 岡さんと小田嶋隆さんの対談集のタイトルも『人生2割がちょうどいい』(講談社/09年5月)であったから、一貫しているなと感じました。

 

 タグボートにコピーライターがいないと先に述べたが、コピーライターをつねに一人に決めてしまうと、全部の仕事がその人のトーンになってしまう。そのことを恐れて、コピーライターを在籍させていない。(p53)

 Facebookの他人の投稿より自分の投稿の方が読み返して楽しいのは、自分の文章のトーンに自分が馴れてしまうからと気づきました。デザインは技法によってバリエーションを増やせるけれど、文章のトーンにバリエーションをつけることの難しさを教えてくれています。コピーライターを選任にすると「TUGBOAT」の色ではなく、そのコピーライターの色がついてしまう。それを避けるために、毎回コピーライターを選ぶそうです。

 「外の血が入るだけで、広告の雰囲気が変わるのではないか、と期待する」と続くように、言葉には広告の雰囲気を左右する力があるということです。

 

 代理店時代の後半、海外の独立エージェンシーを調べているうちに、やがてこんな流れが日本でも起こるなら自分が率先してやろう、と決意して会社を飛び出した。我々が独立すれば、フィーで食べていこうとするクリエイターがあとから続くだろう、と予測したが、その読みはまったく外れてしまった。誰も辞めなかったし、辞めたとしても、僕らのような独立エージェンシーを作った人間はいない。(p60)

  岡康道さんの過去の著作でも、「メディアとの仲介料と、その広告企画料込み」のビジネスではなく「フィー(企画・制作料)」で食べていこうとするクリエイターは続かないし、「TUGBOAT」のような独立エージェンシーを作った人間はいない、と書かれています。

 岡さんが広告代理店「電通」を退社し、「TUGBOAT」を設立したのは1999年。2000年くらいから『広告批評』を購読するようになり、電通博報堂から何人もの人たちが独立したという記事をいくつも読みました。「SAMURAI」の佐藤可士和さん、「風とロック」の箭内道彦さん、「シンガタ」の佐々木宏さん、黒須美彦さん、権八成裕さん、「ワトソン・クリック」の中治信博さん、山崎隆明さんなどなど、「TUGBOAT」以降の15年で多くの広告制作者が独立していきました。

 岡さんの言葉が正しいとすれば、「TUGBOAT」以降の広告制作会社はフィー以外の何で収入を得ているのでしょうか?また、それらの広告制作会社は独立エージェンシーではなく電通博報堂の子会社ということなのでしょうか?

 疑問が残りました。

 

  二八歳から、つまりクリエイティブに籍が移ってから実行していることがある。「五〇の法則」である。年に映画を五十本、本も五〇冊、そして大好きな横浜ベイスターズの試合も年に五〇試合は見ることにしている(ベイスターズはCSができて以降の話だが)。

 遅れてきた者はこれくらいやらないと、先に行っている人間に追いつけない。(p89)

 

 ベテランになるとなかなか「叱られる」機会がない。しかし、「叱られる」ことで人の能力はアップする。年を重ねて、周りから気を遣われてばかりでは、必ず技術は低下する。僕は今月もきっちり怒られている。(p104)

  最近、叱られていません。間違いや怠慢を指摘するのではなく、行った仕事への気付きを与えるのが「叱る」ということだと解釈しました。「叱られる」機会のある職場づくりが大切。

 

 努力してもしなくても、きっと人間が内面に抱えられるものはそう大差なく、仮に広告を職業とするなら、自分のいま持っているもの、覚えている経験(体を使って得られるものから、映画、本、演劇など文化的なものまですべて)から、いかに素早くアイデアやストーリーを引き出せるか。それだけなのではないか。

 では、どうやって引き出すのか。それには、ものを引っかけるための“釣針”のような「思考法」を用意する必要がある。

 僕の場合、担当商品にまずは自分の「人生」を絡めていき、その後、自分を離れて少し遠くから商品と人との関係を凝視しながら企画に仕立てるというやり方をしてきた。(中略)長い期間、努めて触れるようにした芝居や映画や本、そして先輩たちの作品などが“内的経験”として、「商品と人を凝視する」という僕の思考法に生きてくる。(p120)

  前述の「五〇の法則」の実践はここに繋がることが分かります。過去のインタビューでも同様のことを語っていたので引用します。

 実体験ではなく疑似体験でもいい。映画を見る、本を読む、美術館に行く、音楽を聴く、ボランティアをする、親の話を聞いてみる。若い人は 自分の価値観を広げて蓄え、柔らかい感覚を持つことです。「上司は頭が固くて」と嘆いても始まらない。なぜなら人はみんな「時代の生き物」で、大人たちはその時代の価値観で生き抜いてきたから、違って当たり前、古くて当たり前なんです。あなたの心に刺さったことだけ、いただいておきなさい。

 

 広告に関する賞は大きなもので五つあって、総合的に見るACC賞がテレビコマーシャルの賞ではいちばん大きな賞である。広告の言葉を中心に見るのがTCC(東京コピーライターズクラブ)賞、アートディレクションとビジュアルを中心に見るADC賞、それ以外に広告電通賞やギャラクシー賞などがある。広告賞のほとんどは現在活躍している広告制作者が、審査員に任命される。すると、そこにいる審査員の作品に自分たちで順位をつける、という奇妙な構造になってしまう。審査して、のちに受賞する審査員も決して居心地のいいものではない。しかし、だからといって、さほど活躍していないクリエイターにコンクールを任せるのも説得力がない。(p171)

 東京オリンピックのエンブレム問題で佐野研二郎さんが批判された時、広告賞が内輪で行われていることも非難されていました。Aさんが審査員の賞でBさんが受賞したから、Bさんが審査員の賞ではAさんが受賞した、というような。

 ずーっと同じ状況が続いていたということは、「居心地のいいものではない」と思っている岡さんは少数派で、大概の広告制作者はそれを良しとしているのでしょう。恐らく、現在も。

 

 残念ながら、ほとんどのオジサンの話は「自慢」か「愚痴」であったように思い出す。

 今回の話がどちらにもなっていないことを祈るばかりだ。どちらにも当てはまる、かもしれない。もしそう感じたら、遠慮することはない。僕を追い越していってほしい。どの道、広告制作界は世代交代を待っているのだ。しかし、君が現れない限り、僕は僕の道をゆく。

 二勝八敗。十分だ。(p237)

 先に引用したWebで閲覧できるインタビュー(朝日新聞 岡康道が語る仕事)でも、ほぼ同様のことが語られています。

 僕には、仕事を次へ引き継ぐとか、バトンを渡すといった気持ちはありません。広告という表現の仕事だからというより、自分が時代の要請に応えて、できるところまで試してみたいからです。異なった世代から何と言われようといいではありませんか。

だから若い仕事人は、上司や先輩の忠告やアドバイスを耳に入れつつ、これからは「こんな新しいことで闘いたい」と、自分の直感プランの主張を恐れないで欲しい。否定されても気にしない。上が分かる伝え方を工夫して、またトライを始めてください。