恩田陸『蜜蜂と遠雷』(そのタイトルの意味)

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タイトルはその作品の看板です。たまに「無題」というタイトルの作品もあるけれど、「無題」という看板だということです。

とすると、『蜜蜂と遠雷』の意味するところは何なのでしょうか?

3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。

「芳ヶ江を制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」ジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた——。

自宅にピアノを持たない少年、風間塵16歳。

天才少女としてCDデビューもしながらも、母の突然の死去以ピアノが弾けなくなった栄伝亜夜20歳。

音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマン、高島明石28歳。

完璧な優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院マサル・C・レヴィ=アナトール19歳。

 彼ら4人をはじめとする数多の天才たちが繰り広げる競争という名の自らとの闘い。

第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?

 第1次予選から本選まで、おおよそ2週間くらいに渡るピアノ・コンクールを500ページにまとめたのが『蜜蜂と遠雷』です。

 読んでいる間、タイトルの意味するところを考えていましたが、読み終った時もタイトルの意味が腑に落ちませんでした。

「蜜蜂」が養蜂家の息子である風間塵のことであるのはすぐにわかりましたが、「遠雷」は何のメタファーであるのかが分からなかったのです。

 「蜜蜂と遠雷」ということは、「蜜蜂&遠雷」であり、風間塵と対になる何かのことではないのか。

考えた末、自分自身で納得できる結論に至りました。

蜜蜂と遠雷」は、「風間塵とホフマン」のことであると。

ユウジ・フォン=ホフマンとはコンテストの数か月前に亡くなったピアノ界の大物です。

マサルの師事するナサニエル・シルヴァーバーグ。ナサニエルは数少ないホフマンの弟子であり、週に1度飛行機でホフマンの家に通って教えを請う間柄であっても推薦状を書いてもらえることはありませんでした。前例のないホフマンの推薦状を持って現れた風間塵についての扱いがわからず、気持ちをかき乱されたのはナサニエルや嵯峨美枝子だけでなく、他の審査員も同じであったはずです。

 風間塵がトリックスターとして物語を推し進める一方で、風間塵を送り込んだホフマンの意図を審査員はつかもうとします。

 ホフマン本人はコンクール前に亡くなっているにも関わらず、審査員である美枝子や   の意識の片隅にはホフマンの存在があり、風間塵を通してホフマンの姿を探していました。

それはまるで、目の前に落ちた雷ではなく、遠くで光る雷、「遠雷」のようです。

 コンテスト参加者、審査員にとって定例になっているであろうコンクールに「蜜蜂と遠雷」という異物が入り込むことによって、コンテスタントの短期間での成長がもたらされました。

 「音楽を連れ出せ」というホフマンからの宿題に悩み、風間塵は三次予選を控えてホールの外を歩きます。

塵は空を見上げる。

風邪はなく、雨は静かに降り注いでいた。

遠いところで、低く雷が鳴っている。

冬の雷。何かが胸の奥で泡立つ感じがした。

稲光は見えない

コンクール会場に戻り、天まで届くように、ホフマン先生に聞こえるような調律をしてほしいと願います。

華道家である富樫からの教えがきっかけとなり、ホフマンの考えが風間塵に伝わった瞬間に重なる遠雷のシーン。

音楽を扱った漫画を読むと「音楽が聴こえてきた」と錯覚することがあります。しかし、『蜜蜂と遠雷』を読みながら、音楽が聴こえてくることはありませんでした。そこには、ただただ小説を読むことの楽しさが満ち溢れていました。

1月9日に購入して、1月10日から読み始め、2月26日に読了しました。

いつまでも作品に浸っていたいと思わせてくれる作品だったからこそ、読んでいる期間が長くなってしまいました。

 

あと、読みはじめたときのエントリで「ピアノの森」っぽいなと思ってしまい、すみませんでした!想像を超えてきました!

小説の技法についても、恩田陸は凄いと今もまた思っています。

小説の技法の例を1つ書いて終わります。

主要4名以外のコンテスタントのうち、本選前に名前が判明したのはマサルの学友であるジェニファ・チャンとアレクセイ・ザカーエフくらい。

本選に残った2名は名前が出て来ましたが、それ以外のコンテスタントは「フランス人の男の子」「中国の、スラリとした長身の男の子」程度の説明です。

これは、具体的な名前を出さないことで、主要4名を際立たせ、外国人の名前が多いゆえの余計な混乱を避ける目的もあると感じました。