阿部和重「ブラック・チェンバー・ミュージック」(毎日新聞出版)

書影:ブラック・チェンバー・ミュージック 

分断された世界に抗う男女の怒濤のラブストーリー!

落ちぶれた映画監督の前に突然現れた北の女密使。
出会うはずのない二人が、国家を揺るがす〈禁断の事実〉を追う。

いまから話す内容を決して口外してはならない――
大麻取締法違反で起訴され、初監督作品はお蔵入り、四十を前にキャリアを失い派遣仕事で糊口をしのぐ横口健二に舞い込んできたのは、一冊の映画雑誌を手に入れるという謎の「極秘任務」だった。
横口は北朝鮮からの"名前のない女"とともに、禁断の世界に足を踏み入れていく。

一触即発のリアルな国際情勢を背景にくりひろげられるスリルと〈愛〉の物語。

朝日、読売、毎日、日経、産経、共同通信南日本新聞山形新聞週刊現代婦人公論文學界ほか各紙誌で大反響!!

「リアルな国際政治状況を踏まえながら、こんな荒唐無稽で痛快無比な、一風変わった小説を書けるのは、阿部だけだろう」――佐々木敦(「週刊現代」)

「熱量あふれるエンターテインメントの大作だ」――久保陽子(「南日本新聞」)

「いかにもなフィクション的要素と史実を接続、融合させるのが阿部和重の面目躍如」――江南亜美子(「朝日新聞」)

「...これは阿部版『愛の不時着』かとも思わせる純愛物語になり、ほろりとさせられてしまう」――中条省平(共同配信)

「出会うものの一つずつは薄っぺらなのに、気づけば厚みが生まれる。つまり、この物語は人生そのものを描いている」――読売新聞

 

 

「ブラック・チェンバー・ミュージック」の感想をまとめようとするときは、それが「毎日新聞」に連載されていたというところからはじめたい。

「BCM」は2019年8月1日から20年12月3日にかけて連載されていました。

毎日新聞」に連載された新聞小説がもたらした効果は2点あります。

1つ目は、読みやすい長編小説になったということ。

阿部和重は純文学作家と括られ、難しい小説を書いている印象がありますが、本作が読みやすいのは「毎日新聞」という媒体に連載されていたからです。文芸誌より購読数が多く、幅広い年齢層に届けられる新聞小説であったため、阿部和重は難しいと敬遠しがちな私でも読み通すことができました。

2つ目は、新聞小説は挿絵とセットになっているということ。

吉田修一の「惡人」は束芋で、伊坂幸太郎の「ガソリン生活」は寺田克也で、森見登美彦の「聖なる怠け者の冒険」はフジモトマサルであったように、挿絵で小説の魅力が増大されます。
「BCM」は挿絵ではなく、相川博昭による写真でした。写真には街中のグラフィティが写り、書評ページ読みたさで日曜日の新聞を購入した際に目を通すたび、どのような関連があるのかと考えていました。

グラフィティの写真が挿絵として採用された意図は話の4終盤で明らかになります。単行本版では、最初と最後に2枚の写真が掲載されていただけでしたが、新聞連載全475回を追っていれば日々の積み重ねが大きな驚きにかわっていたのでしょう。毎日新聞のサイトでは475枚の写真を見ることができますので、その膨大な量を追体験することをお薦めします。ただの落書きからアート作品かと思うものまで、ものの見事にグラフィティの写真ばかり。

シンセミア」などの小説のカバー写真を撮った相川博昭は、阿部和重と日本映画専門学校時代の同級生であり、マンガ家・榎本俊二を含めた交流は「思ってたよりフツーですね」で描かれています。

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ブラック・チェンバー・ミュージック | 毎日新聞



さて、「ブラック・チェンバー・ミュージック」という物語について。

題名は「The Black Chamber/アメリカ合衆国の暗号解読機関」と「chamber music/室内楽:少人数の独奏楽器による合奏音楽」を合わせたもの。

本書における「ブラック・チェンバー」要素は、朝鮮民主主義人民共和国の元首が書いたとされるヒッチコックに関する論文を入手すること。

「チェンバー・ミュージック」要素は、「室内楽」を具体的に思い浮かべることはできないまでも、登場人物の少なさや裏社会としての密室感、小説のテンポなどに宿っているように感じた。

阿部和重作品は「ニッポニアニッポン(2001年)」と「ABC戦争(新潮文庫/02年5月)」しか読んだことがないけれど、本作「BCM」は「ニッポニアニッポン」のようなエンタメに寄ったロードノベルであった。

主人公は大麻による逮捕で監督第1作目が公開中止になった元・映画監督。執行猶予つきではあるが映画製作の現場に復帰できず、ブライダル撮影の派遣で糊口を凌ぐ30代後半の「横口健二」。

旧知の暴力団員に北朝鮮の幹部が探しているという映画評論の原稿の入手を依頼されたところから話がはじまります。ヤクザは密入国したという長身の女性を連れていて、その女性「ハナコ(仮名)」を預かり、行動していきます。

渡された評論の断片を持ち映画雑誌の編集者、映画評論家、神田の古書店などを訪ねていきます。

主人公の横口健二に大麻による逮捕という過去はあるが、逮捕された経緯が語られることはなく「そういうこともあった」くらいの温度で進行していきます。関わる人物が、大柄のヤクザや共和国から来た女性、映画雑誌の編集者、映画評論家、古書店主や大柄のヤクザの仕事相手のヤクザと大柄のヤクザと敵対するヤクザと韓国大使館の職員などだからなのでしょうが、過去は問われず、不必要に後ろめたくなることもありません。過去は問われないが、現在を問われる厳しくも優しい世界と感じました。

帯には「分断された世界に抗う男女の怒濤のラブストーリー!」とあるけれど、ラブストーリーというほど甘くはなく、同じ目的にむかう男女コンビのような初々しい関係でした。「愛の不時着」に引っ張られ過ぎた帯コピーと感じます。引用された書評にもラブストーリーに重きをおいたものが1本のみであることからも、それは分かるかと思います。

物語の推進力が強く、グイグイ進んでいくので、楽しく読み終えることができました。

作中で流れるシカゴの「素直になれなくて」とtotoの「ホールドユーバック」、それとチャーチズについては改めて聴いてみたい。