あかり、育つ NICU編(17年5月25日~)

5月25日(木)

定期検診に行っているはずの妻からメール。
「胎動を確認したいが寝ているようなので起きるのを待って検査するから、午後までかかる」

父親に連れて行ってもらったが、午後までかかったため昼食を摂ることになって奢らされたと怒っていて、その様子が伝わってくる。

「お腹が張ると胎児の心拍も低下している。何かが起きている可能性を捨てきれないので手術(帝王切開)をする」という突然の宣告に妻は1日猶予を与えて欲しいと懇願する。

しかし、「外からでは、機械をあてて心拍を確認するくらいしかできない。取り出せば小児科医による治療を行うことができる」という説明を受け入れて手術をすることになった。

19時55分 誕生

取り出した時、身体は真っ白であったという。

本来なら胎児に行くべき血液が何らかの影響で胎盤に流れ、胎児に供給されていなかったとの説明を受ける。通常20必要な赤血球の数値が4しかなく貧血状態になっていた、と。

色々な処置が必要なのでNICUに入院することになった。
輸血、酸素、抗生物質などの処置をし、心電図測定もする

NICUに入れるのは両親だけなので私のみ面会に行き、対面する。

 

5月26日(金)

職場に顔を出して出産の報告をし、休みをもらい、朝から面会に行く。

昼食は病院近くの寿司屋でちらし寿司を頼んだ。刺身定食のような盛り方であったが、ご飯は酢飯で温かかったから良しとする。

面会は夕方から。妻は術後の痛みがひどいので車いすを押してNICUへ行く。

妻は子が視界に入った途端に涙が止まらなくなる。それを見てもらい泣きする。

妻の両親が面会に来る。25日のことがあり、妻はイライラしている。


5月27日(土)

面会。オムツ交換をし、今回は妻がミルクをあげる。よく飲んでくれた。


5月28日(日)

面会。オムツ交換をし、ミルクをあげる。よく飲んでくれた。

搾乳の途中で両親が面会に来たので、私だけ病室へ戻る。

両親に名前を伝える。


5月29日(月)

出生届を提出する。

日中、排便がなかったので浣腸がおこなわれ、排せつしたという。

夕方、面会へ行く。

オムツ交換をし、ミルクをあげる。よく飲んでくれた。

もっと泣いてくれてもいいのだが、すぐに泣き止んでしまう。

目を開けるようになったが、まだ焦点が合わない様子。

ずっとこのままでいいんだけれど、保育器やNICUからは出て欲しいので早く大きくなってください。

毎回、写真を何枚も撮ってしまう。妻は容量を軽減したいがデジカメに残った写真を削除できないと言う。


5月30日(火)

妻からのメールで日中に45㏄のミルクを飲んだことを知る。

個室に入院していた妻が大部屋へ移る。

夕方、面会へ行く。

ミルクを飲んだ後、お腹がヒクヒクするのが気になる。しゃっくりであるという。

帰宅して駐車したら、おとなりさんの旦那の帰宅タイミングとあったので「あかり」が産まれたことを伝える。お隣さんの娘は元気で、11月に家を建てて引っ越すという。


5月31日(水)

本人はNICUで処置を受け、妻は帝王切開であったため入院費が高額になりそうであるとのメール。限度額認定書がもらえるよう申請する。

11時59分「午後に耳と脳波の検査をする。ピクピクする痙攣みたいなものが最近多くて、念のため来週の月曜にMRIをすることになった」

18時36分「耳と脳波の検査はお利口に出来たって。結果はわからない」

消防団部長会のため今日は面会に行けなかった。

順調に成長するかどうかということばかりを考えてしまう。手術するのかな、なんとか回避してほしいなとか。

退院するまでアルコール摂取はやめようと思う。あとは何をやめれば早く良くなってくれるのか。

水曜日のダウンタウン」、面白かったけど内容がいつもより頭に入ってこなかったし、大笑いすることもなかった。

NICUから出ないとお母さんが悲しんだり心配しすぎたりするので、早く世の中に慣れて出てください。

100年の人生を考えると最初の何日かなんて誤差みたいなものだけれど、産まれてからの日数全てが保育器の中というのは親として申し訳ないのです。

急がせて悪いけれど、よろしくね。


6月1日(木)

書店に寄ってから面会に行く。

昨日のメールで妻は不安になっていたが、今は心配しても仕方ないから開き直ったという。

妻は日曜日に退院になると言っていたが、本人はいつになるのか、そればかりを気にしてしまう。

NICUから呼ばれたので妻と向かう。

手洗いの前に様子を確認してしまう。今日は昨日よりも目を開いていた。まだ見えていないと妻は言うが、見えてるんだと思う。

オムツの確認をする。尿か便が出ていればオムツのラインが青になっている。便秘気味らしくて今日も浣腸を行ったという。

交換後、妻は搾乳のため自室に戻り、私が「あかり」にミルクをあげた。食べる量は増しているようでミルクを55㏄飲んだ。途中、眠そうになる瞬間はあったが、飲みきってもらえた。

浣腸の甲斐あって、ミルクをあげた後にも排せつしていた。

痙攣が多いからMRI測定を行うと妻からのメールにあったが、その痙攣とは両足が震えることだという。確かに気になる。なんでも気になる。

手についていた管だか測定のコードは外れていて、あとは酸素を減らしていけばいいらしい。

色々検査やって、何事もないことを願う。


6月2日(金)

帰宅して病院。


6月3日(土)

買い物してから病院へ向かう。

保育器から出たと妻からメール。

手の指は長くて、いい手をしている。足の指は潰れている私のに比べて、丸々としている。最初はこういう指だったのにいつのまにか潰れて、、、と残念な気になる。


6月4日(日)

午後1時ころ病院へ行く。

妻が先に退院することになったので、授乳してから妻と帰宅する

誕生即NICUなので、NICU生活が11日目を迎えている。「あかり」の他にNICUに入ってくる稚児たちもいるが、いつの間にかいなくなってしまう。他の子たちは出れているのだろうか、それとも他の病院に転院しているのだろうか。

NICUの主みたいになっているので、退院するときは盛大に送り出してもらえそう。


6月5日(月)

妻からのメール

10時30分に授乳して小児科医から聴力と脳波の結果聞いてきた。

脳波、、、異常なし
聴力、、、左、20~30デシベル(異常なし)
     右、40デシベル(少し聴こえずらい?)

通常赤ちゃんは40あればいいんだけど、念のため耳鼻科で検査します。

7~9日付き添い入院するので、早ければ9日には退院できるかな。

帰宅したら妻も帰宅していた。自分一人で面会に行くのは気後れするので、今日と明日は面会に行けなくなってしまった。

会えないと「お父さんスイッチ」がオフになってしまう。ピタゴラスイッチのそれとは違うものだと思って欲しい。

妻は10時30分に病院へ行って11時に授乳し、2時に授乳をして帰ってくるというスケジュールのよう。

17時、20時、23時、2時、5時、8時、11時、14時、17時、、、と3時間おきに搾乳or授乳をしていくのが妻のスケジュール。本人と会っていれば授乳で、会っていなければ搾乳。

授乳時に吸うのは上手だが、柔らかい乳首がお好きなようで固いと顔をしかめると言っていた。些細な事であっても何らかの意思表示をしてもらえるのはありがたい。

7日(水)の午後から48時間の付き添い入院をすることが決まった。付き添い入院中、妻の分は食事が出ないということで、面会に通いつつ妻の食事を届けることになった。何を用意していけばいいのか。授乳しているからいきなりカップラーメンというわけにはいかないし。ほっともっと、すき家、まぁ何でもあるな。

脳波の異常なし=MRI、と思って安心していたが、どうやらMRIは別の検査であるという。検査結果は退院の時に聞くことになると衝撃の事実が!

お願いしますお願いします。祈る。

病院から沐浴の写真を貰ってきていた。あれ?雰囲気が違うような。もっとかわいかったような。


6月7日(水)

付き添いのため入院する妻を病院へ送り届けるため午後休む。

5日、6日と会えなかったので久しぶりの対面。髪や爪が伸びている。

授乳&搾乳後、一般病棟に移る。

妻が何かの用事で部屋を出てじきに泣き始めたので、確認をしたらオムツの黄色いラインが青になっていたので交換する。

交換してしばらくしたらまた泣き出したので、もう一度確認するとラインがまた青くなっていた。

それでも泣き続けると妻が戻ってくる。お腹がすいているんだろうとのこと。泣く理由は排せつと空腹の2択しかないという。このくらい単純に生きれたらいい。

その後は音もなく寝ていた。妻がシャワーを浴びている間も音をたてずに寝ていた。生きているのか不安になるほどの眠り。

産まれて2週間の乳児ですら私の思い通りにならないのだから、親が子を管理するというのはふざけた話であるように思う。

友だちが1人増えたくらいの感覚が丁度いいような気がする。


6月8日(木)

お弁当とデジカメ用のSDカードを調達してから面会に行く。

次の授乳は20時で、それまで寝かせておくということで寝ていた。

昨晩は理由わからないままぐずついていたけれど、その後はよく寝たという。4時間以上の睡眠はよくないらしい。

目の下に泣きぼくろができていて、あったっけと聞くと爪で引っ掻いたから血が出たためと。うむ。極小の爪を切る勇気など持てない。

MRI検査の結果は異状なし。

耳の聞こえにくさは耳垢が溜まっているためではないか?とのことで後日再検査をすることに。

日中、病院帰りの両親が寄って果物とベビー服をおいていったという。

向かいのベッドの人は?と聞けば「おたふく」に罹ったとかで別室に移り、そのあおりで妻は検査を受けたという。潜伏期間は2、3週間。心配が増える。

職場の先輩も同時期に出産していて、その人は既に退院しているけれど検査に来ていて授乳室で会ったという。

お弁当を食べながら、こういった話を聞いた。

20時近くなって起きだしてぐずついていたのでオムツの確認をしたが、出てはいなかった。

寝てる顔のかわいさが、起きて正面を向くと落ちるような気がする。

授乳に行くと言うから、そのまま帰ることにした。

帰りに実家によってチャイルドシートをセットする。


6月9日(金)

昨晩の帰りがけに実家で子育てしたいと言ったら、電話が何度もかかってくる。体感では100回くらい。

いろいろなやりとりがあって、「一般論として妻の実家に帰るものだと思っていたが、妻が妻の父親と喧嘩したのなら仕方ないから、アパート戻るのも寂しいし、家に来ればいい」という結論に落ち着いた。

ベビーベッドを買ってくれるという。


午後4時に着けるような時間で休みをとり、病院へ迎えに行く。

午後4時に退院するということだったが、授乳したタイミングでということになり1時間くらい待つことに。

勤務室前で挨拶したが、2週間いたわりにはあっさりした感じであった。

私の実家へ行く前にアパートへ寄る。

チャイルドシートに乗せたまま交替で部屋へ荷物を取りにいく。妻が部屋へ行っている間、隣室の家族が外に出ている雰囲気だったので、おろして披露する。

2年弱の期間、トータルで数ターンしか会話なかったのに、披露した途端に大歓迎を受けてしまう。

会計の窓口でも知らんおばちゃんが話しかけて来たし、威力が凄いな。

隣人との挨拶を済ませて、実家へ行く。

尾崎世界観「苦汁100%」

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水道橋博士が発行人のメールマガジン「メルマ旬報」で連載されているクリープハイプ尾崎世界観の日記が早くもまとまりました。

誰かの日記を読むとき、この人は何を吸収しているのかという音楽や本などの具体名が気になります。

本書にも「書店に行った」、「家で読書をした」という記述はありますが、具体的な書名は明らかにされません。

フェイスブックでつながっているメルヘン趣味な女の人が百田尚記「風の中のマリア」を載せて落胆したことがあります。読んだもの、聞いたものにはその人のセンスが出てしまうから、「あぁ、こういうの好きなのね」というテンプレートに嵌められることを避けたのでしょう。

尾崎世界観が百田とか石田衣良、「夢をかなえるゾウ」とかを読んでいたら、逆に興味が湧きます。百田とかを読んで「祐介」が書けるなら、書いている内容と読んでいる作品とのギャップがありすぎです。そもそも「祐介」が書けるなら百田を読んでも得るものはないでしょう。

書名や作品名を出す以上は、”「〇〇〇〇の〇〇」という作品を読んだ”だけでは済まず、短くとも感想なり「良い/悪い」の評価が必要になるから迂闊に書名を出せないのはよくわかります。

では、書名などの具体性を追うことのできない日記から何を楽しめばいいのか。3点を挙げてみます。


1.バンドマンの日常

 

 

兵庫慎司さんが(「メルマ旬報」発行のたびに)ツイートしているように、バンドマンの心情を知ることができます。1回1回のライブに臨む気持ち、フェスやファンに対する思いなどを知ることができます。

音楽雑誌は新作についてのインタビューが主で、たまにライブ密着はあれど、フェスやファンに対する率直な気持ちや毎回毎回の体調とその日のライブの出来具合の関係を知ることはできません。


石巻ap bank fesでライブ。半分以上のお客さんが会場内を移動するのを眺めながらライブをした。知名度が無く、中身も伴っていないからしっかりライブを見て貰えない。普段のロックフェスでどれだけ甘やかされていたかを痛感した。悔しかったけれど、貴重な経験だった。

 

フェスでのライブが続いた後、クリープハイプだけを見に来てくれるお客さんを前にすると特別な気持ちになった。Tシャツを着てタオルを巻いて、嬉しそうにステージを見ているこの人達が周りから馬鹿にされるようなバンドにはなりたくない。


2.交遊録

風貌から勝手に日常がやさぐれているかと思いきや、年上年下を問わず多様な交流があります。

峯田和伸、石崎ひゅーい、スカパラ加藤、新井英樹入江喜和夫妻、清水ミチ子、椎木知仁(My Hair is Bad)、BLUE ENCOUNT田邊、松居大悟、伊賀大介、DIGAWEL西村浩平、寄藤文平などなどと飲みに行ったり、自宅にお邪魔したり、自宅に泊まらせたりしています。
また、仕事としても又吉直樹ユースケ・サンタマリア鈴木おさむ若林正恭光浦靖子(ご本、出しておきますね」の単行本用!)、チプルソとの関わりがあります。

極めつけは、フジテレビの番組「ハイ_ポール」。著者はナレーションというか神の声として参加しています。バンドマンがレギュラーで番組に参加する例はあまり聞きませんし、テレビと関わることと距離を置いているように思っていましたが、尾崎世界観は「ハイ_ポール」の収録の楽しさを隠すことがなく、必要な存在であることが伝わります。

フェスやツアー、創作の部分は苦汁の濃度が高いけれど、交流が充実しているから「苦汁100%」が緩和されているように感じました。


3.文章

兵庫慎司さんが「文章がきれい」「読んでいてハッとしたり、「うまい!」と唸ったりするフレーズ多い気がする」と書くように文章が非常に優れています。
幾つか引用します。

あのときベンチに座って、道行く大人の目を盗んで無理して煙草を吸ったりしていたけれど、今は大勢のお客さんを前にして堂々と無理して声をしぼり出している。上質な無理だ。贅沢な無理だ。

 

沖縄、楽しいな。好きになってしまったじゃないか。また好きな物が増えるのか。荷物が重くなる。失う物が増える。手を離さないようにするのが面倒くさいな。それでも良いと思ったんだから仕方ない。

 

嫌われたくないな、と思っても書いてしまう。
でも、たとえ不細工な感情だったとしても、残っているのは嬉しい。忘れてしまいたいことと忘れてはいけないことの違いはわかる。
読み返して恥ずかしいのは、今月もしっかり生きた証拠。

 

その他、個人的な思い付きやメモを書いておきます。

著者である尾崎世界観の顔が伊野尾慧のそれとダブりやすく、顔を思い出せば半々くらいで伊野尾が浮かぶ。

読み終ってからSpotifyクリープハイプ「世界観」を保存し、チプルソ参加の「TRUE LOVE」を通勤用のプレイリストに入れました。良い曲でした。

製本は「祐介」に続いて、著者の勤めていた「加藤製本」。

エロチャット2017(guide to ero-chat)

さよなら、もう落ちるよ。
落ちる、というのはチャット利用者が最もよく使う用語の一つで、退室するという意味のネット専門用語だ。チャットをやめ、そのチャットルームのページから出る、という意味として使われている。初め私は何がどっからどこへ落ちるのかなどと考えて混乱するばかりだったけれど、何回かその言葉に出くわすうちにいつも会話の最後に用いられていることに気づき、なるほど落ちるは“帰る”の意味だ、と分かった。人が仮想から現実へ落ちてゆくのだ。

 綿矢りさ「インストール」

 

 

用語集(DMM版)

「アダルト」  … 20代まで

「人妻」    … 人妻/30代以上
「ノンアダルト」… 20代まで/裸なし

「パーティー」 … 発言可能/多人数。
「2ショット」 … 発言可能/女性と1対1
「のぞき」   … 発言不可能/パーティー時の閲覧のみ。

 

「あちゃ」… アダルトチャット

「まちゃ」… マダムチャット

 

チャットレディーの皆さんが一緒くたの一覧もありますが、「アダルト」「人妻」「ノンアダルト」という区分けのされた一覧もあります。

「アダルト」「人妻」は「ノンアダルト」ではないので、誰もが裸を見せててくれるかと思いきや、人によって「顔あり/裸あり」「顔あり/裸なし」「顔なし/裸なし」「顔なし/裸あり」の線引きが異なります。
「裸や自慰行為は見せるけれど、顔は見せたくない」「パーティーでは顏は出せないけど、2ショットなら顔や胸を出す」などなど。

「顔あり/裸あり」の(かわいい)女性の入室数が多くなり、「顔なし/裸なし」の女性は入室数が少なくなる傾向がみてとれます。

エロも可能というだけで、女性にも人格や気持ちがあるため、誰もが裸を見せてくれるわけではありません。とはいえ、誰もが裸を見せるという前提で入室してくる男が多いとチャットレディーの方たちに聞きました。
収入(奨学金の返済や留学費用を目的としている人もいる)が得られるとはいえ、文字だけとはいえ、精神的にキツイだろうと思います。

そういうこともありつつ、手順としては「パーティーのぞき」から入って様子をみるのが簡単ですが、わからなかったら聞きながら覚えていくのもいいだろうと思います。

エロチャットには「女の子と会話する」「女の子が裸になる(胸を出す)」「女の子が自分の胸を触る」「女の子が自慰行為をする」というパターンくらいしかないため、性的欲求を満たすために閲覧してると、いずれ飽きが来ます。

ランキングに入ることに対して不満を持つ男がいるとも聞いたので、特定の子をアイドル視して独占欲が刺激されて過剰になる男もいるのでしょう。チャットの世界くらい、広く浅く目移りさせてくれよと思います。

話しを聞けば、人づきあいの苦手そうな人が多くいると言っていました。家族関係のことなどドープな話をされて滅入るし、20代半ばの自分ではどう返せばいいか分からないとか。全く関係ない他人にだから話せることもあるのは分かるけれど、聞かされる方はそんなつもりじゃないと思っているんでしょう。

エロチャットのマナーはあくまで自己判断であるから、キャラを装ってカッコつけても、結局は普段の実生活でのコミュニケーション具合が出てしまうようです。普段のキャラと違う風を装ってもばれてしまうみたいですよ。

AV女優の完璧な美貌や身体とは違って、チャットレディーには総じて現実的な存在感があります。

しかし、いくら好意を持っても実際に会えるわけではないし、一時の安堵はあれど、エロ目的なら長続きしません。音楽の趣味があうとか、ただただ話すだけで楽しいとかエロ以外の目的があれば長続きするでしょう。

いずれ終わる時がくるし、実を結ぶことはないので、外に出てみることをお薦めします。

仮想から現実へ落ちてゆこうと思う。

綿矢りさ「インストール」

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綿矢りさ「インストール」を12年ぶりに再読しました。第38回文藝賞発表号の「文藝」で読み、2001年11月の単行本刊行時に読み、2005年10月の文庫刊行時に読んだので、12年ぶり4回目です。

自意識が膨らんで破裂した女子高生が学校をサボることになり、自室の断捨離ついでにパソコンを粗大ごみに出すところから物語がはじまります。そのパソコンは、Eメールでやりとりするため祖父に買い与えられたものの配線の接続ができず、一度もやりとりしないままになっていたものです。マンションの粗大ごみ置き場でたまたま会った小学生がインストールしなおし、エロチャットをはじめることになります。

2017年に綿矢りさ「インストール」を再読すると、2001年当時のネット環境に驚きます。

12年前はパソコンに詳しい小学生が珍しかったのですが、小学生がスマホでネットにアクセスすることが普通になった現在からすると隔世の感があります。

読み進めるには、Eメールのためにパソコンを買う、読んでる小説は「ハリー・ポッター」で宇多田ヒカルコロンビア大学に進学という2001年の状況やトピックを受け入れなくてはいけません。LINEが覇権を獲り、Eメールを使うことがない現代のティーンたちは読みきることができるのでしょうか。

主人公の女子高生と小学生の男の子が共謀し、風俗嬢の代理でエロチャットをはじめます。2001年のエロチャットは文字だけのやり取りだったのでなりすますことができていますが、スマホやパソコンにカメラが付き、女子大生やOL、主婦が裸体や自慰行為を求められる2017年なら通用しない設定です。

2017年から振り返れば、文字だけで満足している2001年の男たちの欲望はおとなしいと思ってしまいます。2001年がおとなしいのか、2017年が過激すぎるのかはわかりません。

2001年の発表当時は、女子高生がエロチャットを扱った小説を書いたということが、作者本人のかわいさもあり、大きく注目を集めました。2作目の『蹴りたい背中』で金原ひとみ蛇にピアス』と芥川賞を同時受賞し、その注目はピークを迎えます。

発表から15年以上経って牧歌的に感じるデジタル・ツールの古さに足を引っ張られる面はありますが、「他者」との居心地悪い関係を描いている箇所に綿矢りさの才能が発揮されています。

主人公と小学生の関係は師弟であり、共犯者でもある関係です。

しかし、主人公と母親、小学生と小学生の母親(継母)、主人公と小学生の母親、主人公の母親と小学生の母親という関係はいずれの場合も、どちらか(あるいは双方)が居心地悪く思っています。

「我々がコミュニケートしなければならないのは、きっとどこかに居るであろう自分のことをわかってくれる素敵な貴方ではなく、目の前に居るひとつも話が通じない最悪のその人なのである。」と書いたのは渋谷陽一ですが、このことを書いてある小説です。未成年にとってエロチャットの相手が素敵な貴方であるわけもなく、「最悪のその人」である両親とコミュニケートしなくてはいけないのです。

学校を休んで取り組んでいたエロチャットはそれぞれの両親にバレたことと風俗嬢の引退をもって終わることになり、物語も終わります。

数本の長い毛がからまった綿ぼこりが点在しているその乾いたコンクリートの上に座ったら、その尻の感触でゴミ捨て場で呆然と座り込んでいた時のことを思い出した。私は今もあの時と同じように呆然としている。何が変わった?

という主人公の独白が終盤にありますが、エロチャットで変わるほど人生は甘くないし、エロチャットきっかけで目覚める何かがないことも教えてくれます。

やっぱり、不器用は罪なのだ。同情という言葉で彼らに甘えて、安心してはいけないと思った。

併録されている短編「You can keep it」は、「インストール」「蹴りたい背中」の次に発表された作品です。綿矢りさは「蹴りたい背中」以降しばらくの間、作品を発表してませんでしたが、「インストール」の文庫化に収録という形でいきなり発表したので非常に驚きました。

「You can keep it.」は2017年の現在にも通じる居心地の悪さが描いてあります。

これ以降、私は綿矢りさ作品を読んでないのですが、今も居心地悪い小説を書いているんだろうか?「勝手にふるえてろ」「かわいそうだね?」「憤死」「大地のゲーム」とタイトルは私好みのキレがあるので読んでみよう。

「はあちゅう」とは何者か?

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はあちゅう」さんが肩書きを「作家」にしようとしたら炎上しました。

はあちゅうさん、吉田豪さんに認識されていて凄い!」というのが私の第一印象でしたが、いろんな人がいろんなコメントをし、あれよという間に炎上したので驚きました。

「作家・はあちゅう」に一言ある人は、「はあちゅう」に対して「何をしている人か分からない」「収入源がわからない」「ネット界隈で小金を稼いでいる」というイメージを持っているんだろうと推測します。

あるいは、「作家」を名乗りたいけど、おこがましいから、、、と躊躇している人を軽々飛び越えて行ったことへの嫉妬も含まれていそうです。

『半径5メートルの野望 完全版』『言葉を使いこなして人生を変える』の2冊を買い、読みました。けれど、結局「はあちゅう」さんが何者であるかはわかりませんでした。

両作とも日々の生活で心がけていることなどが書かれており、怠惰な自分には眩しい内容でした。

はあちゅう」さんは、ネットで課金制のnoteを公開したり、サロン開いたり、スケジュールを公開したり、手帳作ったり、小説書いたり、多方面な活躍が支持されています。小説を除いた著作については、「はあちゅう」さんの活動を支持する人への「副読本」と認識すればいいのではないでしょうか?

著者のことを知らずとも、タイトルに興味があれば手に取ります。一方で、著者のことを認識しているから手に取ることもあります。

世に出ている本の多くは本を読むだけで完結するけれど、「はあちゅう」さんの著作に関して言えば、読み終ると「はあちゅう」さんはどういう人であるかが分からなくなり、ネットで「はあちゅう」さんの情報を探しています。探しても課金を強いてくるサイトにつきあたるから、ジレンマが生じます。恋かもしれません。

古い価値観と対決していかなければいけないんだから、「はあちゅう」さんは大変だろうなと思います。

 

でも結局は、

というコメントに同意します。

石持浅海「殺し屋、やってます。」

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余計なことを考えると、行動が制約される。行動の制約は、失敗に直結する。プロとして、絶対に避けなければならない。

殺し屋を扱った小説を読むのが好きです。好きとはいえ、伊坂幸太郎グラスホッパー」「マリアビートル」、曽根圭介「殺し屋.com」しか読んだことありません。

殺し屋は存在している/存在していないが曖昧であるため、ファンタジー小説としてとらえています。ファンタジーという前提がありつつも、信ぴょう性を確保するために細部には凝っているので引き込まれてしまいます。

殺し屋小説を読むとき、以下の項目が気になります。

1 どのような経緯で殺し屋になったのか

2 どのように依頼するのか/されるのか

3 どのような手口で実行するのか

本書「殺し屋、やってます。」の場合「1」は省略されていて、「2」についてが、この作品の面白さです。

依頼するには前金、成功報酬の合計として650万円かかります。

東証一部上場企業の社員の平均年収を基準としており、年収分を払えるか?というハードルを設定することで、安易な依頼をふるいにかけています。

依頼にあたっては、依頼人と殺し屋との間の連絡係を2人挟むことによって、殺し屋に接する連絡係が依頼人の情報を持つことがなくなり、依頼人に接する連絡係が殺し屋の情報を持つこともなくなるというたシステムが採用されています。

「依頼者→仲介2(伊勢殿)→仲介1(塚原:普段は公務員)→殺し屋(富澤:普段は経営コンサルタント)」という流れで依頼が伝わります。

実際の内容についてですが、以下の7編から構成される連作短編集です。

黒い水筒の女

紙おむつを買う男

同伴者

優柔不断な依頼人

吸血鬼が狙っている

標的はどっち?

狙われた殺し屋

いずれも30ページ程度で、サクサク読めてしまいます。内容は章のタイトルどおりです。

「内容が薄い」「殺し屋の腕が良すぎる」「会話が不自然」などの感想を見かけましたが、見当外れとしか言えません。

そもそも「殺し屋、やってます。」というタイトルの小説に重厚感を期待するのが間違っています。

「絆回廊」「狼花」「毒猿」「無間人間」「炎蛹」、、、、というタイトルなら重厚感を求めてもしかたないですが、そのようなタイトルではありません。

このような感想を抱く人は恐らく電子書籍で読んでるのでしょう。装丁から内容を判断することができていないのです。

ハードカバーで斤量の重い紙を使っていれば重厚感を求めても仕方ないですが、本書はソフトカバーです。

 「会話」については、「殺し屋小説=ファンタジー小説」という前提が理解されていないので、会話が不自然に思われたとすれば残念なことです。そもそも「自然な会話」なんてあるのか?と思いつつ、会話については小説世界の雰囲気とあっているかどうかです。

私は気になりませんでした!

いずれにしろ、殺し屋・富澤、仲介役1・塚原、仲介役2・伊勢殿、富澤の恋人・雪奈とキャラが立っているから、すぐにドラマになると思います。

その際、歯科クリニックの院長でもある「伊勢殿」役はリリー・フランキー吉田鋼太郎でお願いします。

表紙カバーに描かれている缶ビールとビーフジャーキーの袋は、依頼を受けた男が新しい仕事の前に行う儀式に由来するんですが、その儀式だってカッコつけてると読めるだろうけど、そこを楽しめるかどうかが重要です。

表紙カバー、タイトルに魅かれて購入したので、千海博美さんの名前を覚えておくことにします。

 

殺し屋小説の例として挙げた曽根圭介「殺し屋.com」について、13年9月20日付でAmazonに投稿しました。

「カジノ王」名義で書いた短い感想をサルベージついでに引用しておきます。

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 「殺し屋稼業の現在」

現代の「殺し屋」はタイトル通り、「殺し屋.com」というサイトにアクセスして仕事を得ています。キャッチコピーは「殺りたい仕事がきっと見つかる」。

サイトにアクセスし、仕事一覧から入札して仕事を得ます。スタンガンや銃なども同じサイトから入手できる仕組みです。

本書では、「殺し屋を副業とする刑事(第1話)」「行動範囲内にライバルがいて競り負けている昼はヘルパーの殺し屋(第2話)」「依頼に失敗して組織と随意契約を結び、不履行の殺し屋を殺す(第3話)」などの計4話がおさめられています。

つじつまが整っているから妙な説得力があり、現実味も帯びています。

「近ごろの若いヤツはバイト感覚でこの業界に入ってくる。掟や忠義なんて時代はおわったのさ」というセリフ。どの業界も同じなのかなと思った次第です。

池上彰、竹内政明『書く力 私たちはこうして文章を磨いた』

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『情報を活かす力』『学び続ける力』『伝える力』『見通す力』など「○○力」というタイトルの書籍を出版し続ける池上彰さん(「○○力」でいうと齋藤孝先生が最も多いですよね)。

読売新聞の一面コラム「編集手帳」を2001年から担当されている竹内政明さん。

このお二方による、文章の書き方指南書が本書『書く力』です。お互いが文章を書くときに気をつけていることを披露しあう形式ではありません。

四章から構成されており、章によっては対等に自分が気に入っている文章を紹介しあったりもしていますが、大半は池上さんが聴き手となり、竹内さんが過去に書いた文章を取り上げながら、心がけていることや文章上の工夫を深掘りしていく内容になっています。

第一章 構成の秘密

第二章 本当に伝わる「表現」とは

第三章 名文でリズムを学ぶ

第四章 悪文退治

途中途中で他の方の書いた文章術の書籍との内容のリンクがありました。私は他の書籍の内容とリンクすると、書いてある内容が補強されたように捉えています。異口同音に言われているということは、間違いないんだ、と。保険のような感じです。

池上

「記事の部品になりそうなものを」をとにかく挙げていく。

(中略)

このようにして、「書くべき要素」を、まず書き出してしまう。全体の構成は、自分で書きだしたその要素を眺めたり、何度も読み返したりしながら、全体の流れが通るようにしていくというわけです。

という池上さんの発言。

唐木元さんの『新しい文章力の教室 苦手を得意に変えるナタリー式トレーニング』にも同様のことが書いてありました。

続いても池上さんの発言です。

池上

「それは無茶振りだ」と思われるかもしれませんが、私は、「なんでもいいから書いてみる」ということをおすすめしたいですね。そのテーマが世間的に意義があるのかどうかも、内容としてまとまっているかどうかも、とりあえず置いておき、パソコンの電源を入れて、文字を置いてみる。

そうすることで、自分の考えがまとまってくるんですね。実際に文字にすると、自分でそれを客観的に「読む」ことができるようになる。つまり、自分と自分で対話ができるようになるんです。

「作家・はあちゅう」さんの『言葉を使いこなして人生を変える』にも同様のことが書いてありました。

私、先輩作家さんの言っていた、

「たまにいい文章を書く人ではなく、とにかく、毎日書き続けられる人が勝ち残る」

という言葉を信じていて、書くことがない日に書けるのが作家だと思っているから、毎日が修行だと思って書いています。

とりあえず、何か一行書けば、次の一行は書ける。

引用したのはいずれも池上さんの発言だったので、竹内さんの発言で感心したことを引用します。

知識があるだけでは面白い文章は書けませんが、面白い文章を書くのに知識は間違いなく役に立つんですよね。

 

気に入った言葉を一つでも原稿に入れるなり、入れないまでも頭に浮かべて文章を書くようになると、その部分だけでなくて、文章全体をちょっと洒落たものにしないといけない気がしてくるんです。

(中略)

いい言葉を一つでも仕入れると、その前後がいかにも駄文というのは、具合が悪く感じられる。一つのいい言葉を活かすために、他の部分の表現も自然と工夫するようになる。こうして文章全体のレベルが上がっていくんです。

 余談ですが、竹内さんの執筆する「編集手帳」について気になっていることを。

本の雑誌』06年5月号に掲載された「坪内祐三の本日記」に以下の記述がありました(『書中日記』から引用)。

2月20日(月)

(前略)続いて読売新聞を読む。同紙一面のコラム「編集手帳」は朝日新聞の「天声人語」よりもずっとコラムらしい読みごたえがあるのだが、今日のテーマはイギリスの経済誌『エコノミスト』の編集長ビル・エモットの新著で、「近ごろ邦訳が出版された『日はまた昇る』である」。ふむふむ、どうやら素晴らしい本らしい……。と思いつつ、新聞をがばっと開くと、第二面の下に、その『日はまた昇る』(草思社)の巨大な広告が。ようするにパブ・コラムだったわけ?

実際のコラムの内容を確認しようと、06年8月に発売された『読売新聞 朝刊一面コラム「編集手帳」〈第10集〉 』(中公新書)を書店で手に取ったら、この日付のコラムが収録されていませんでした。

収録されていないということは、やっぱり「パブ・コラム」(広告タイアップ・コラム)だったの?ともやもやし、今も忘れられずにいます。実際のところは、どうだったんでしょうか?