「カムカムエヴリバディ」を観て、親からの逃れられなさに落ち込む

カムカムエヴリバディ』、来週以降の予告映像にネット騒然「どういうことなんや…」深津絵里の姿も | RBB TODAY

NHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」は「安子」「るい」「ひなた」の3世代100年の物語を紡いでいます。

劇中「安子」から「るい」へと世代が変わるなか、意識しなくても受け継がれてしまう場面と遭遇するたび、親からは逃げきれないのかと落ち込みます。孫悟空が釈迦の掌の上から逃れられないように。

受け継がれる場面とは、劇中で繰り返されるエピソードやモチーフのことです。
「るい」は親である「安子」に捨てられたという事実を背負いながら、亡くなった父親の実家で18歳まで暮らし、故郷を捨てるつもりで大阪に出てきて、結婚を機に京都へ移ります。18歳で大阪に出て以降、岡山へ戻った描写はありません。

それでも「安子」ののしてきたこと、好きだったもの、周辺にあったものが、「るい」の周りにも姿を現します。

ルイ・アームストロング「On The Sunny Side Of The Street」、喫茶店「ディッパーマウス・ブルーズ」、あんこでの商売(おはぎと回転焼き)、荒物屋「あかにし」(岡山の安子の実家の近所にあった「あかにし」が京都で店を開くまでを描いたスピンオフが見たい)、自転車の練習、怪我(「ひなた」は擦り傷でしたが)、ラジオ英会話、桃山剣之介(「安子」の兄・算太が映画館通いしていたころに銀幕デビュー)、そしてアメリカ。

「るい」が意識したのはルイ・アームストロング「On The Sunny Side Of The Street」、喫茶店「ディッパーマウス・ブルーズ」、あんこ、怪我、ラジオ英会話くらいです。

今までは、どんでん返しに似た小説やマンガの伏線回収にはワクワさせられてきました。
しかし、避けようとしてきたものから逃れられないことや、親の影がいつまでも視界の隅から離れず自身の後を追いかけてくることには、落ち込みがあります。

例えば、同じNHKの朝ドラあまちゃんで、アイドルを目指した天野アキの母親である天野春子にもアイドルを目指した過去があり、純喫茶「アイドル」の甲斐さんが時代を経て2人に会っていたこと。

今になって春子の立場に自分をおけば、道筋をつけなくても、子が自分と同じ道を辿ることの心情を察して同じように落ち込みます。ただ「あまちゃん」の放送されていたのは2013年であり、私自身には子どももいなければ、結婚もしていませんでした。

自分の環境の変化に加えて、「カムカムエヴリバディ」には前述したように繰り返されるエピソードが多いのも、逃れられなさを意識してしまう要因です。

私自身の親子関係が友好的ではなく、親のようになりたくないと思っているから、余計、落ち込んでしまうのでしょう。

「カムカムエヴリバディ」作中では、「るい」が過去とどの程度折り合いをつけ、「安子」をどの程度赦しているかが明らかにならないのも自分の現状と重ねてしまう要因でもあります。

多くの家庭がそうであるように、「ひなた」が産まれて以降、大月家は「ひなた」が中心になり、「るい」は後ろにさがりました。もともと額の傷を隠すため、表情や心情がわかりにくかった「るい」ですが、保護者になったことで余計に描かれなくなり、わかりにくくなりました。

「るい」は「安子」の影響を感じつつ、どこにいるかも生きているかもわからない母親のことは考えないように蓋をしています。そもそも、蓋を開けて「安子」と向き合うきっかけすら与えられていません。

「安子」の好きだった曲であるルイ・アームストロング「On The Sunny Side Of The Street」はジャズ喫茶「Night and Day」の仲間と親密になるきっかけの曲であり、ジョーの演奏を聴いて恋へと発展し、娘の名前の由来とする過程を経て、「るい」自身が自分の大切な曲へと上書きしてきました。今は「On The Sunny Side Of The Street」がラジオから不意に流れても「母の好きだった曲」ではなく、「自分たち夫婦にとって大切な曲」と思えているはずです。

2月9日放送の第70回では「ええんや。子どもは子どもで色んなこと抱えてるもんや」「何でわかるん?」「お母ちゃんも昔子どもやったからわかるんや」と心情の吐露も含まれたやりとりがありました。

今後、「ひなた」役が川栄李奈さんになっても「るい」が退場するわけではないでしょうから、いずれ、「るい」の「安子」との折り合いのつけかたが描かれることを期待しています。