小林聡美『読まされ図書室』

14年12月の単行本刊行時に書店で手に取った時は「装丁が凝ってるな。タイトルはそういう意味なのね」くらいで済ませていました。文庫が刊行されて読み通した時、『読まされ図書室』というコンセプトの革新性に気づき、目から鱗が落ちました。

普通の書評集と異なる点は、「著者である小林聡美さんが選んでいないこと」と、「選んだ人は小林聡美さんのことを考えて選んでいること」です。

まず「著者である小林聡美さんが選んでいないこと」について。

私が本やCDのレビューに接する時、内容以上に評者が何を選んだのかを気にしてしまいます。

たとえば、『文庫本宝船』(本の雑誌社)などにまとめられている坪内祐三さんの「文庫本を狙え!』。

たとえば、宇野維正さん、いしわたり淳治さん、石井恵梨子さんといった評者に注目してしまう「MUSICA」のレビューページ。

たとえば、『小泉今日子書評集』。

次に「選んだ人は小林聡美さんのことを考えて選んでいること」について。

1冊読めばその本の感想を言ったり書いたりすることはできます。しかし、1冊読んだだけでは「特定の誰か」に薦めることはできません。

「さっき読み終わったばかりの面白かった本」ではなく、「過去に読んだことのある本の中から選んだ小林聡美さんに読んでもらいたい本」を薦めています。

評者は小林さんと何らかのつながりがあるようで、手紙のような導入から徐々に本の内容に踏み込んでいきます。

たとえば皆川明さんから鬼海弘雄『ぺるそな』を推薦された回。

「長々と家の猫の半生を書いてしまったのは、『ぺるそな』におさまったおびただしい数の物言わぬひとびとの肖像を見たからである」と続くように、猫の半生から文章がはじまります。

かつて、「ありふれた生活」を通して知った、三谷家の犬や猫の様子を小林聡美さんからの目線で垣間見ることができたのは嬉しい誤算でした。

しかし、猫の半生を描いた部分は「そうこうしているうちに、一家離散。ホイちゃんはその後大好きだったとびと二度と会うことなく」と続くので、寂しさが残りました。

1篇の分量も少ないですし、書評集を期待している方には肩すかしかもしれません。

 

『読まされ図書室』というコンセプトの革新性にまず目が行きますが、薦められた本を(仕事とはいえ)素直に読める人でなくては成り立たない企画です。

さっき読んだ9月12日付の伊集院光のブログに「もはや自分が嫌いなことの中にしか発見はないのではないか?と思った。40歳まで好き勝手やってきて好きなことの延長線上にある発見はある程度予測のつくものなのではと思った。」と書いてありました。

東浩紀『弱いつながり』は「私たちは考え方も欲望も今いる環境に規定され、ネットの検索ワードさえグーグルに予測されている。それでも、たった一度の人生をかけがえのないものにしたいならば、新しい検索ワードを探すしかない。それを可能にするのが身体の移動であり、旅であり、弱いつながりだ―」という内容です。

小林聡美さんの意識も似たところにあったことが「やや長いあとがき」でわかりました。

このところ、すっかり視野の狭い生活をしている。緑内障とか肉体的な意味でなく、ひたすら自分中心の暮らしをしているという意味である。行きたいところにしか行かないし、見たいものしか見ない。それがとんでもなく傲慢で偏ったことであるのはわかっているけれど、今は、そんなときなんだろうなぁと思ってそうさせてもらっている。そして、そんなひとり鎖国みたいな生活に、いい具合にぐりぐりと食い込んできたのが、読まされ本の数々であった。

(中略)

凝り固まった自分の好みはことごとく無視され、とにかくそれまで手にとることのなかった差し入れが次々と届けられた。

 

本の雑誌」16年10月号に津田淳子さんが「装丁家10傑」を寄稿しており、丁度、単行本時の装丁について書いてありましたので引用します。

 映画関連のグラフィックデザインがメインだが、ブックデザインもすごくいいのが大島依提亜さん。『読まされ図書室』は、図書室というタイトルから、図書カードを模した目次が挟まっていたり、見返しに図書カードを入れる封筒が刷られていたりと、本に入った仕掛けが読者を楽しくさせてくれる。

 文庫版でもデザインは踏襲されています。大島依提亜さん自身が解説していましたので、引用して終わりにします。

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