波木銅「万事快調<オール・グリーンズ>」
薄寒い閑散とした駅のホームで電車を待つことほど空虚な時間はないが、岩隈たちは自らの設立した犯罪チームの名前を考えることでそれを埋め合わせた。
「ザ・なになにズ、にしたくない?」
「バンドかよ」
「あ、思いついた」
朴は右手の指を擦り合わせて音を鳴らそうとしたが、そこそこ寒い外気のせいで手がかじかみ、ままならなかったらしい。パスッ、と気の抜けた摩擦音だけが聞こえる。
「オール・グリーンズ。ジ・オール・グリーンズ」
オール・グリーンズ。矢口と岩隈は口々に、若干小馬鹿にした口調でその造語を口にした。
「マリファナって隠語で『緑』って言ったりすんのね。日本語のラップとかレゲエとかで。そのグリーンと、システム・オール・グリーン。つまり、万事快調ってこと」
ネーミングの意味を自分で解説すんの、ちょっと恥ずかしいけど。
「ライングループの名前、オール・グリーンズにしようか?」
「いいよ別になんでも」
やっと電車が来た。
環境的に毎週書店へ通うことはできないので、Web本の雑誌の「新刊番台」で新刊をチェックするのが毎日の日課です。
7月2日付けのトップで紹介されていたのが、緑色の表紙とタイトルが興味を引く「万事快調<オール・グリーンズ>」でした。
タイトルで検索し、文藝春秋社で公開している「松本清張賞記念エッセイ」と「第28回松本清張賞受賞作 選評より」に突き当たり昼休みに読みました。
7月2日にAmazonで注文し、7月3日に届き、7月9日の深夜に読み終わりました。
中島京子、東山彰良、森絵都、辻村深月、京極夏彦が揃って推す理由のわかる小説でした。
特に、森絵都の「正直、粗の多い作品だとは思う。巧いとは一度も感じなかった。が、際だって面白かったのは事実なので受賞に賛成した」という箇所が私の感想に一番近いです。
作品の「粗」とは京極夏彦が指摘している「視点も定まっていないし、外見の描写や設定説明もない」ことかと思います。
あらすじを簡単に説明すると、「工業高校の同じクラスの女子3人が園芸部のハウスで大麻を栽培する」話です。
工業高校なのでクラスに女子は3人しかいなくて、最初は朴と岩隈がつるんでいたけど、朴と矢口が行動を共にするようになり、岩隈が再合流して大麻栽培を始めます。
主要人物の3人の関係でさえこんな感じなので、タイトルどおり「万事快調」な話ではありません。
そりゃそうです。調子が良いと思っても、やり忘れていた仕事に気づいて後悔するのがつきものです。
「大丈夫?」と聞かれて素直に「ダメだよ」とすぐに打ち明けられる人はいないように、「万事快調」というタイトルを持つこの作品は足下が薄氷であることを知りながら無理矢理笑っているような不安定さが常にあります。
「さいごのゆうれい」という小説に以下のラインがありました。
ほんとに苦しいとき、人はほほえむんだなっておもった。ほっぺの筋肉をすこしあげるのは、たぶん、それ以上、できることがないから。
女子高生の小説であるのに、折々で暴力に捕まります(舞台となる茨城県東海村の日常が暴力まみれなのかは知りません)。暴力に捕まりながらも暴力を引きずらず、次へ次へと進んでいくのは、現実から逃げたいという主人公たちの思いの強さであると受け取りました。
関東地方に属しながらも、東海村という茨城県の村から出たい。脱出のための資金稼ぎを名目に、大麻栽培へ進んで行きます。大麻の種子を入手できるのも茨城と都心との距離の近さが作用した結果です。
冒頭から小説や映画、音楽、漫画など夥しい数の作品名が引用されます。引用される作品名と場面に不自然さを感じなかったので、人物にリアリティが付与されていました。
受賞エッセイでは伊坂幸太郎の「重力ピエロ」に触れていたが、樋口毅宏の作品からの影響もあるんでしょうか。樋口作品はわかりやすく作品名を引用することは少ないから違うのかもしれません。
書かれている描写が具体的な像として立ち上がってこない場面はありますが、グイグイ読ませて、常に面白いのは作者の筆力によるものです。
このテンションで書き続けて貰えたら、読者としては非常にありがたい。今後に期待します。
少なくとも「青春小説」というジャンルのなかで、未開拓の方角を切り開いたことは疑いようもありません。