五明拓弥「全米は、泣かない。」

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著者は、お笑い芸人「グランジ」というトリオの一員で、背の高い人です。トリオのもう2人は、椿鬼奴の旦那である佐藤大と、ラジオ「School of Lock」や5月6日に開催された音楽フェス「ビバラポップ」等でMCをしている遠山です。

著者の本職はお笑い芸人ですが、ラジオCMでTCC(東京コピーライターズクラブ)の新人賞受賞歴があります。今後は広告の仕事を増やしたいという意向があり、広告の仕事の増やし方を悩むうちに対談して話を聞いてみよう、となったのがだいたいの流れです。

対談相手は、澤本嘉光(CMプランナー)、篠原 誠(CMプランナー)、谷山雅計(コピーライター)、尾形真理子(コピーライター)、福部明浩(クリエイティブディレクター)、関根忠郎(映画惹句師)、又吉直樹(芸人)の7名。

 

本書の良い点は3つ。「ブックデザイン」と「他のインタビューでは読めない広告クリエイターの考え方」「又吉直樹です。

ブックデザインは、吉岡秀典(セプテンバーカウボーイ)。

これだけの文字量を入れ込んでいるのにスッキリとしていて、品のあるデザイン。書店ではビジネス、エッセイ、タレントとどの棚にも馴染みながら目立つことができ、ウェブではサムネイルの小さい画像でも目を留めやすい発色の黄色が使われています。

登場する広告クリエイター5名は業界トップの知名度があり、多くのインタビューが出ていて、著作や連載を持つ人もいます。

本書の対談では、お笑い芸人であり、新人コピーライターの著者が話を聞きたいと訪ねてきているためか、既出のインタビューより目線が低く、手法を明かしています。

又吉直樹も対談相手(聞き手)が後輩であったためか、他のメディアなら言う必要のないことを明かしています。

いろんな要素を編みこんで小説のかたちにしていく。話の筋が複雑に入り組んでいるのが自分としては好みで。だから、自分の作品の批評に触れる機会は多いけど、その批評を見て「なるほど、そういう読み方があったんか」と思うことは97%ない。

僕に本の帯を書く話をいっぱいいただけるのは、僕が一応テレビに出ていて、本好きとして知られていて、「たくさん本を読んでる人」っていう印象があるから。

文章が難しい本を紹介する時は、自分の文章も普段よりちょっと難しく書くねん。ほんなら、難しい言葉が苦手な人は僕のエッセイ自体を面白いとは思わないんで、その本を買わない。でも、その文章を面白いと思う人はその本も楽しめるかもしれへんから、本の難易度と自分の書く文章の雰囲気は合わせるようにしてる。

 

良い点は以上の3点で、個々の対談も読み応えがあるのですが、全体を通すと散漫な印象が残ります。

全体が散漫になっている理由は「意味不明なタイトル」と「ちぐはぐな構成」、「旬ではない」という3点。

1「意味不明なタイトル」

「全米は、泣かない」という本書のタイトルが、映画のコピーでよく使われる「全米が泣いた」というコピーを反転させていることはわかります。

前書きにタイトルの由来について書いてあります。

『全米は、泣かない。』というタイトルは出版の担当の方がつけた。つい安直な言葉や表現に頼ってしまっている人に響くのではないかという思いからタイトルにしたらしい。

これから広告の仕事を増やしていきたいと考えていて、その決意の現れである著作のタイトルを編集者に考えてもらう人物に誰が広告を依頼するのでしょうか?

広告とはCMと新聞とポスターだけだと考えているようなので、救いはありません。

対談相手にお題をもらって添削までしてもらい、それを載せるのであれば、著者が対談から学んだことを生かしてタイトルをつけるべきだったのです。思考の過程を巻末に掲載することで決意や姿勢が伝わるのではないでしょうか。

Twitterでこのことを口悪く指摘したら「私もはじめて出版するまで知らなかったのですが、書籍のタイトルは編集の担当の方が付けるみたいです(私はそう聞きました)。」とリプが届きました。 

小沢健二の帰還』には著者の宇野維正さんがタイトルについて悩む過程の記述がありました。岩波書店は著者がタイトルを考えて、あさ出版は編集者が考えるのでしょうか?

仮にそう言われたとしたら、「五明拓弥が本を出しました。なんてタイトル?」という大喜利の答えを編集者に任せたことになります。「自分が発した言葉は最後まで責任を持つ」を「肝に銘じ」たのであれば、自分の著作にも責任を持たなくてはいけないのではないでしょうか?

編集者がタイトルをつけることが「型」だとすれば、「型通りにやる必要はない」と「肝に銘じ」たことと反してもいます。


2「ちぐはぐな構成」

本書は、著者と7名との連続対談ですが、構成としては以下の3部構成になっています。

1部 電通博報堂の在籍者or出身者 5名
2部 映画惹句師 1名
3部 又吉直樹 1名

著者がラジオCMでTCC新人賞を受賞したのを受けて、広告製作に携わりたい/広告の仕事を増やしたいと考え、広告クリエイターの人から学びたいという意図が本書にあります。

ならば、コピーライターやプランナーなど広告クリエイターのみで構成すればいいものの、映画惹句師という70代の人を引っ張ってきつつ、又吉直樹と知り合いだから又吉のネームバリューに乗っかってもいます。

人選の軸がぶれているから「伝え方のプロたちに聞いた刺さる言葉のつくり方」と副題をつけて無理矢理まとめています。「伝え方のプロ」として、広告クリエイターと映画惹句師しか思い浮かばないのだとしたら、現状の認識が激甘です。

「伝える」ことが不要な職種はありません。ないなら、どの職種にも独自の伝える技術が培われているはずです。

例えば、ロッキング・オン山崎洋一郎や書評家の豊崎由美といった評論家やライター。未見の物を知らせる役目、広く知れ渡っているものに新たな解釈を与える役目が評論家やライターにあります。

広告クリエイターが主であるなら、広告クリエイターのみで7名を構成すべきです。

本書に登場した5名はキャリア20年以上のベテランばかりなので、もっと若手、例えば阿部広太郎、の視点を取り入れても良かったと考えました。

何かを成し遂げた人のインタビューや対談がほとんどなので、賞を1つとっただけの新人コピーライター同士で対抗心や羨望のでる対談は読みたくなります。

以上のことをまとめ、「業種の重ならない7名」か「広告クリエイター5名+タイトルの決まった過程+又吉直樹」のどちらかであれば軸ができたのではないかと考えました。

また、「広告の仕事を増やしたい」ということについては踏み込めていません。もっと新人のころに仕事をもらえるようになったきっかけとかも聞いてほしかったです。

 

3「旬ではない」

登場する広告クリエイター5名は業界トップの知名度があり、著作がある人もいるため、もれなく明晰でわかりやすい話をしてくれています。

さらに、お笑い芸人であり、新人コピーライターの著者が話を聞きたいと訪ねてきているためか、既出のインタビューより目線が低く、手法を明かしています。

とはいえ、10年15年前の「広告批評」があったころと現在とでは状況が一変し、広告代理店や広告クリエイターへの見方が一変しています。

電通の若手社員の自殺があり、オリンピックのエンブレム問題があり、電通時代にクリエイターからパワハラを受けていたという「はあちゅう」の告白がありました。

時代の変化の意識の仕方などについても踏み込んで聞いて欲しいところでした。

 

上記3点の理由で本書が散漫になっています。

さらに付け加えるなら、なんで広告の作り方を広告クリエイターに学びに行くんだろう?というのが最大のクエスチョンです。

著者本人には「お笑い芸人」という広告代理店では学べない場があります。なのにその場を、その強みを生かそうとせず、「コピーライターになりたい」から「広告クリエイターの話を聞いて真似しよう」という思考になっています。

お笑い芸人として広告代理店の人には持ちようがない視点や環境があるのに、自分から「広告代理店ぽさ」に染まりに行く意味がわかりません。キングコング西野の方が何倍も考えているし、よっぽど現状が分かっています。

将来、対談相手と競合する可能性があるのに、手の内を明かしてくれるってことは著者の可能性を舐められてるってことです。有名クリエイターに白旗をあげるなら、「お笑い芸人」辞めて、広告代理店の入社試験受けろよって話です。

 

もやもやした読後感が残りましたが、五明拓弥さんが対談で肝に銘じたことを今後の活動に活かすことが最重要ですので、今後の活躍をご祈念いたします。