「キヨハラに会いたくて 限りなく透明に近いライオンズブルー」中溝康隆(プロ野球死亡遊戯)

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「甲子園史上最強打者」でも「番長」でもない、“青”こそが最強の象徴だった狂熱の時代。それがニッポンと“俺たちの清原和博”の絶頂期ーーー
(帯より)

 

ニックネームは84年に三冠王を獲得した阪急の大砲ブーマーとかけて、めちゃくちゃベタな“キヨマー”。野暮ったいけどなんかいい。そう、晩年の番長キャラに対する恐怖感ではなく、若きアイドルキヨマーにあったのは圧倒的な親近感だ。

思えばあの頃、みんな雑にキヨマーに突っ込んだ。それが、令和の清原に対してはどうだろう?2016年2月に覚せい剤取締法違反で逮捕され、52歳になった2020年6月15日午前0時に執行猶予が満了したが、テレビ番組でも周囲は過度に気を遣ってるように見えるし、関連本や雑誌も読んだけど、基本マジ重い。昔と変わらず兄貴目線の距離感で突っ込んでいるのは、とんねるず石橋貴明くらいのものだった。

しかめっ面の番長になる前のそんな痩身で八重歯のキヨマーが大好きだった。
(本書より)

 

本書「キヨハラに会いたくて 限りなく透明に近いライオンズブルー」をどのように形容したらいいかは難しい。

「嫌われた監督」「砂まみれの名将」のように番記者が監督を追ったルポルタージュではない。本人のインタビューを基にした作品でもない。世紀の一戦を詳細に解説する作品でもない。

本書は、番長となってしまった清原和博ではなく、40代が小学生時代に憧れたキヨマーを思い出すための作品。

 

清原の西武ライオンズ入団へのドラフト会議は1985年11月20日。巨人入団会見は1996年11月24日。
Jリーグの開幕は1993年。松井秀喜の1年目は1993年。イチローのシーズン200本安打は1994年。野茂英雄の大リーグ入りは1995年。

1年目のシーズンで31本塁打を打ち球界のスターとなり、スポーツ界の顔になったが、Jリーグに押され、世代交代の波も受けていたキヨマー。

自分には一般紙のスポーツ面に載った写真が全てであったが、当時の流行も挟みながら、1年ずつ振り返っていく本書を読めば、ただ野球をしていただけでないことがわかる。遊んだり、飲み歩いたりもあるが、他のスポーツ選手とは異なり、清原には常に監視の目があった。

ただ1人のスポーツ選手を追うだけの本書が面白いのは、清原の存在の大きさによるところが大きい。

 

その後の清原を考えて残念なのは1992年当時、25歳ながら、既に「体が資本なのに、手入れひとつしてないじゃないか」と指摘されているということ。巨人入団以降のプロレスラーのような身体になってしまった番長は、かつて憧れた西武のキヨマーとは変わり果ててしまったことに寂しさがあった。

 

本棚に残り続ける1冊ではないが、1番好きな野球選手は西武の清原だったことを思い出させてくれた1冊。

ただユニフォームのイラストを載せただけであるが、カバーデザインも最高。

 

西武ライオンズヤクルトスワローズの1992年と1993年の日本シリーズについて書かれた長谷川晶一「詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間」。

そのうち読もうと思っていたが、この2年のシリーズで17打席ノーヒットなど清原はあまり活躍しなかったようなので、すぐには読まないと思う。