ジェーン・スー『生きるとか死ぬとか父親とか』
80歳手前の父と40代半ばの娘。2人という最少人数で構成される家族の日々を読み進めるうちに、読者自身の家族のことが頭の中をよぎり続けることでしょう。
著者はTBSラジオ「生活は踊る」のパーソナリティとしての肩書が最も知られていますが、エッセイスト、コラムニストとしての一面もあり、著作も出版しています。今までの著作の大半はタイトルから女性向けと判断し手にとってきませんでしたが、本作は家族のいる誰もに届き、誰もが読むべき作品です。
著者は父親と月1回くらいの頻度で母親のお墓参りに行きます。別々に暮らしているため、父の近況を知ったり、娘にお願いごとをするにはお墓参りという理由が双方にとって欠かせないことがわかります。母親は亡くなってもなお父と娘の緩衝材になっており、家族の一員であり続けています。
1話1話は短いのですが、父親の存在感が読者をひきつけます。派手なシャツが似合い、女性の懐に入るのがうまく、男としての顔もあり(世話をしてくれている女性の存在が薄く出てきますが、そこには踏み込んで行きません)、飄々と生きながらも、ハッとするような人生訓を著者に放ち、読者の胸を貫通していきます。
「現実は見栄を超える」という父親の警句がさらっと紹介されています。詳しい説明は省略されていますが、「生活は踊る」リスナーならピンとくるのではないでしょうか。気になる方はラジオの書き起こしを参照ください。
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人生相談をまとめた番組本『相談は踊る』を除けば、本作が全方位に向けた初の著作です。筆力が存分に伝わる作品なので、著者はこれを機に広く世に出ていくのは疑いようもありません。早くも続編が楽しみですし、いずれは小説をと欲が進んでいきます。
本書は父と娘の話であり、家族の話ですが「家族って良いよね」と礼賛してはいません。
読者は父と娘それぞれへ自在に自分を置き換えながら、自身の両親や、養うべき家族のことを考えるはずです。老後に生活できるだけの貯金をしておかなくてはとか、今は全くだけど父と母や先祖のことを知りたくなる日が来るのかとか。都会・地方関係なく、結婚しても両親との同居を選ぶ方が珍しい現在においては余計に。
五明拓弥「全米は、泣かない。」
著者は、お笑い芸人「グランジ」というトリオの一員で、背の高い人です。トリオのもう2人は、椿鬼奴の旦那である佐藤大と、ラジオ「School of Lock」や5月6日に開催された音楽フェス「ビバラポップ」等でMCをしている遠山です。
著者の本職はお笑い芸人ですが、ラジオCMでTCC(東京コピーライターズクラブ)の新人賞受賞歴があります。今後は広告の仕事を増やしたいという意向があり、広告の仕事の増やし方を悩むうちに対談して話を聞いてみよう、となったのがだいたいの流れです。
対談相手は、澤本嘉光(CMプランナー)、篠原 誠(CMプランナー)、谷山雅計(コピーライター)、尾形真理子(コピーライター)、福部明浩(クリエイティブディレクター)、関根忠郎(映画惹句師)、又吉直樹(芸人)の7名。
本書の良い点は3つ。「ブックデザイン」と「他のインタビューでは読めない広告クリエイターの考え方」「又吉直樹」です。
ブックデザインは、吉岡秀典(セプテンバーカウボーイ)。
これだけの文字量を入れ込んでいるのにスッキリとしていて、品のあるデザイン。書店ではビジネス、エッセイ、タレントとどの棚にも馴染みながら目立つことができ、ウェブではサムネイルの小さい画像でも目を留めやすい発色の黄色が使われています。
登場する広告クリエイター5名は業界トップの知名度があり、多くのインタビューが出ていて、著作や連載を持つ人もいます。
本書の対談では、お笑い芸人であり、新人コピーライターの著者が話を聞きたいと訪ねてきているためか、既出のインタビューより目線が低く、手法を明かしています。
又吉直樹も対談相手(聞き手)が後輩であったためか、他のメディアなら言う必要のないことを明かしています。
いろんな要素を編みこんで小説のかたちにしていく。話の筋が複雑に入り組んでいるのが自分としては好みで。だから、自分の作品の批評に触れる機会は多いけど、その批評を見て「なるほど、そういう読み方があったんか」と思うことは97%ない。
僕に本の帯を書く話をいっぱいいただけるのは、僕が一応テレビに出ていて、本好きとして知られていて、「たくさん本を読んでる人」っていう印象があるから。
文章が難しい本を紹介する時は、自分の文章も普段よりちょっと難しく書くねん。ほんなら、難しい言葉が苦手な人は僕のエッセイ自体を面白いとは思わないんで、その本を買わない。でも、その文章を面白いと思う人はその本も楽しめるかもしれへんから、本の難易度と自分の書く文章の雰囲気は合わせるようにしてる。
良い点は以上の3点で、個々の対談も読み応えがあるのですが、全体を通すと散漫な印象が残ります。
全体が散漫になっている理由は「意味不明なタイトル」と「ちぐはぐな構成」、「旬ではない」という3点。
1「意味不明なタイトル」
「全米は、泣かない」という本書のタイトルが、映画のコピーでよく使われる「全米が泣いた」というコピーを反転させていることはわかります。
前書きにタイトルの由来について書いてあります。
『全米は、泣かない。』というタイトルは出版の担当の方がつけた。つい安直な言葉や表現に頼ってしまっている人に響くのではないかという思いからタイトルにしたらしい。
これから広告の仕事を増やしていきたいと考えていて、その決意の現れである著作のタイトルを編集者に考えてもらう人物に誰が広告を依頼するのでしょうか?
広告とはCMと新聞とポスターだけだと考えているようなので、救いはありません。
対談相手にお題をもらって添削までしてもらい、それを載せるのであれば、著者が対談から学んだことを生かしてタイトルをつけるべきだったのです。思考の過程を巻末に掲載することで決意や姿勢が伝わるのではないでしょうか。
Twitterでこのことを口悪く指摘したら「私もはじめて出版するまで知らなかったのですが、書籍のタイトルは編集の担当の方が付けるみたいです(私はそう聞きました)。」とリプが届きました。
私もはじめて出版するまで知らなかったのですが、書籍のタイトルは編集の担当の方が付けるみたいです(私はそう聞きました)。あと、卓ではなく拓です。『全米は、泣かない。』ご購入ありがとうございました! https://t.co/vtzaZaefgr
— グランジ 五明拓弥 (@gomeill) 2018年5月10日
喧嘩始まったな https://t.co/B65d3h6Iy0
— 平成ノブシコブシ徳井 10/24 (@nagomigozen) 2018年5月10日
喧嘩じゃないよ、説明だよ。俺も自分で付けれないのに驚いたんだから。 https://t.co/dDwXlT6NtK
— グランジ 五明拓弥 (@gomeill) 2018年5月10日
『小沢健二の帰還』には著者の宇野維正さんがタイトルについて悩む過程の記述がありました。岩波書店は著者がタイトルを考えて、あさ出版は編集者が考えるのでしょうか?
仮にそう言われたとしたら、「五明拓弥が本を出しました。なんてタイトル?」という大喜利の答えを編集者に任せたことになります。「自分が発した言葉は最後まで責任を持つ」を「肝に銘じ」たのであれば、自分の著作にも責任を持たなくてはいけないのではないでしょうか?
編集者がタイトルをつけることが「型」だとすれば、「型通りにやる必要はない」と「肝に銘じ」たことと反してもいます。
2「ちぐはぐな構成」
本書は、著者と7名との連続対談ですが、構成としては以下の3部構成になっています。
著者がラジオCMでTCC新人賞を受賞したのを受けて、広告製作に携わりたい/広告の仕事を増やしたいと考え、広告クリエイターの人から学びたいという意図が本書にあります。
ならば、コピーライターやプランナーなど広告クリエイターのみで構成すればいいものの、映画惹句師という70代の人を引っ張ってきつつ、又吉直樹と知り合いだから又吉のネームバリューに乗っかってもいます。
人選の軸がぶれているから「伝え方のプロたちに聞いた刺さる言葉のつくり方」と副題をつけて無理矢理まとめています。「伝え方のプロ」として、広告クリエイターと映画惹句師しか思い浮かばないのだとしたら、現状の認識が激甘です。
「伝える」ことが不要な職種はありません。ないなら、どの職種にも独自の伝える技術が培われているはずです。
例えば、ロッキング・オン山崎洋一郎や書評家の豊崎由美といった評論家やライター。未見の物を知らせる役目、広く知れ渡っているものに新たな解釈を与える役目が評論家やライターにあります。
広告クリエイターが主であるなら、広告クリエイターのみで7名を構成すべきです。
本書に登場した5名はキャリア20年以上のベテランばかりなので、もっと若手、例えば阿部広太郎、の視点を取り入れても良かったと考えました。
何かを成し遂げた人のインタビューや対談がほとんどなので、賞を1つとっただけの新人コピーライター同士で対抗心や羨望のでる対談は読みたくなります。
以上のことをまとめ、「業種の重ならない7名」か「広告クリエイター5名+タイトルの決まった過程+又吉直樹」のどちらかであれば軸ができたのではないかと考えました。
また、「広告の仕事を増やしたい」ということについては踏み込めていません。もっと新人のころに仕事をもらえるようになったきっかけとかも聞いてほしかったです。
3「旬ではない」
登場する広告クリエイター5名は業界トップの知名度があり、著作がある人もいるため、もれなく明晰でわかりやすい話をしてくれています。
さらに、お笑い芸人であり、新人コピーライターの著者が話を聞きたいと訪ねてきているためか、既出のインタビューより目線が低く、手法を明かしています。
とはいえ、10年15年前の「広告批評」があったころと現在とでは状況が一変し、広告代理店や広告クリエイターへの見方が一変しています。
電通の若手社員の自殺があり、オリンピックのエンブレム問題があり、電通時代にクリエイターからパワハラを受けていたという「はあちゅう」の告白がありました。
時代の変化の意識の仕方などについても踏み込んで聞いて欲しいところでした。
上記3点の理由で本書が散漫になっています。
さらに付け加えるなら、なんで広告の作り方を広告クリエイターに学びに行くんだろう?というのが最大のクエスチョンです。
著者本人には「お笑い芸人」という広告代理店では学べない場があります。なのにその場を、その強みを生かそうとせず、「コピーライターになりたい」から「広告クリエイターの話を聞いて真似しよう」という思考になっています。
お笑い芸人として広告代理店の人には持ちようがない視点や環境があるのに、自分から「広告代理店ぽさ」に染まりに行く意味がわかりません。キングコング西野の方が何倍も考えているし、よっぽど現状が分かっています。
将来、対談相手と競合する可能性があるのに、手の内を明かしてくれるってことは著者の可能性を舐められてるってことです。有名クリエイターに白旗をあげるなら、「お笑い芸人」辞めて、広告代理店の入社試験受けろよって話です。
もやもやした読後感が残りましたが、五明拓弥さんが対談で肝に銘じたことを今後の活動に活かすことが最重要ですので、今後の活躍をご祈念いたします。
「POPEYE 18年5月号」と「UOMO 18年6月号」
着ているTシャツとパーカーはバンドTか海外ミュージシャンのマーチ(MERCH)ばかりの私ですが、4月はファッション誌を2冊買いました。
1冊は普段からよく買っている「POPEYE 5月号」で、もう1冊は「A.P.C.」のネックウォレット目当てで買った「UOMO 6月号」です。
「POPEYE」の表紙には「Magazine for City Boys」とあり、「20歳のころ」という特集が過去に2回組まれてもいるので、20歳前後に向けられています。
「UOMO 6月号」の特集タイトルが「40歳男子へ、夏までに40の宿題」であることから、読者層は40歳前後と想定できます。「UOMO」を発行している集英社のメンズ・ファッション誌は他に「MEN'S NON-NO」があります。最新号の表紙はすだまさきなので、「UOMO」読者より若く20代向けなのでしょう。
付録目当てとはいえ、ターゲットとする年代の違うファッション誌を読むことで両者の共通点と違いに気づけました。
共通点として、伊丹十三と山本康一郎が両誌に登場していました。この2名が両誌のメンターになっているようです。
・ 伊丹十三
「POPEYE 6月号」の特集「ニューヨーク退屈日記」は伊丹十三「ヨーロッパ退屈日記」を捩(もじ)ったタイトルです。
タイトルにオマージュをささげるにとどまらず、松家仁之、周防正行、cero荒内佑、大根仁の寄稿による6ページの小特集が組まれていました。
一方「UOMO」では、「伊丹十三をお洒落の教科書として読み直す」として「40の宿題」の1つに挙げられていました。寄稿者は大住憲生(不勉強ながら知りませんでした。誰?)。
「UOMO」の方には「読み直す」とあるから、「POPEYE」読者が成長すると「UOMO」の読者になるのでしょうか。
・ 山本康一郎
スタイリストで知られ、宇野薫のセコンドとして「KAMINOGE」に登場したことがあり、「40の宿題」の一つである「スタイリスト私物」を手がける山本康一郎が、両誌に対談を連載していました。
「POPEYE」の連載は「おとなのせなか」というタイトルで、コラムページの片隅が定位置になっています。分量が600字と短すぎる対談です。
「UOMO」の方のタイトルは「雑談」。6月号の対談相手は今宿麻美です。右ページが対談、左ページが写真という2ページの構成。
「POPEYE」と「UOMO」の比較で最も重要だと考えるのは、イラストです。
「UOMO」でイラストの使われているページ数と「POPEYE」でイラストの使われていないページ数がイコールになると言えば分りやすいでしょうか。このくらい両者は異なります。
こういう印象だったのですが、「UOMO」を実際に確認したらイラストあるページは、「編集後記」と「速水健朗さんと武田砂鉄による時事連載」の計3ページでした。
雑誌の誌面に著名人が登場する場合、ある程度の長さがあるインタビューなら誌面のために撮影された写真が使われます。しかし、短いインタビューや短いコラムの場合は宣材写真をトリミングしたり白黒などに加工したりしたものが使われることがほとんどです。
「UOMO」でもカルチャーページの写真はアー写のトリミングで、「買い物学習帳」というカタログ企画で物を紹介する、肩書きがカタカナの人(スタイリスト、ディレクター、プレス、コンセプター、、、)の写真は白黒かつ粗く加工した写真でした。
しかし「POPEYE」は違います。表紙だけでなく、特集のあちこち、前述した伊丹十三の小特集内のコラムにもcero荒内と大根仁、松家仁之の似顔絵が載り、連載の筆者紹介も似顔絵のイラストで行われています。
「POPEYE」は12年6月号でリニューアルされました。それ以前の「POPEYE」は「MEN'S NON-NO」同様に旬のタレントが表紙を飾り、タレントが誌面に多く登場していました。
イラストを使うことで、タレントを表紙にする他ジャンル含めた雑誌との差別化を図るだけでなく、長場雄などの新進を起用し売れっ子への手助けをしてきました。
お金が無限にあれば「UOMO」に載ってるの端から買っていけるんだけど、そうではないなかで「POPEYE」のお金あっても内面がダサけりゃ意味ないという雰囲気に、年齢が「UOMO」寄りになっていくなかでも、勇気づけられてきました。
リニューアルから5年が経過し、編集部の集合写真掲載とともに編集長の交代が記されていました。編集長の交代にあわせ、前述の山本康一郎だけでなく、やけのはら、田原総一郎、岡宗秀吾、大久保佳代子、堀道広、「ブロンソンに聞け(みうらじゅん&田口トモロヲ、峯田和伸)横山剣、中村ヒロキの連載も軒並み終了していました。
5月9日発売の6月号は特集が「ぼくの好きな音楽」ということなので特集目当てで買うけれど、連載含めた誌面がどう変わったのかが気になっています。
「水曜日のダウンタウン こち亀検証SP」を見て、説が大切と思う
「水曜日のダウンタウン」で重要なのは、「説」の提示である。
このことが4月11日に放送された「こち亀検証SP」でわかりました。
「こち亀検証SP」は「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(秋本治)に登場したエピソードを実際に行ってみるという企画です。
通常は「説→検証VTR→結論」という流れですが、「こち亀のエピソード紹介→検証VTR→結論」という流れでした。
検証されたエピソードは以下の8つ。
① ダイバーが水中で釣り針に魚をつける「接待釣り」は実際に可能なのか?(92巻「組長は釣り名人の巻」)
② マルチスポーツ対決 1.スケート×剣道 2.野球×テニス 3.サイクル×野球(130巻「マルチスポーツ対決の巻」)
③ ラップを30cm巻けば裸は見えなくなるのか?(121巻「いつ…どこで…何をする!?の巻」)
④ 両さんみたいに、くすぐられたら誰でも給料の額をゲロっちゃうのか?(73巻「ボーナス戦線異状なし!の巻」)
⑤ ゴミ屋敷の住人を催眠術でキレイ好きにすることは出来るのか?(199巻「清潔両さんの巻」)
⑥ 駄菓子がっちり食べまショー(79巻「駄菓子屋カルト王の巻」)
⑦ 街中ゴルフ対決(86巻「大自然ゴルフ!の巻」)
⑧ 「いつ・どこで・何をするゲーム」実際にやったら面白くなるのか?(121巻「いつ…どこで…何をする!?の巻」)
前半はくすりともしませんでした。後半に入ってエンジンかかり笑えるようになったけれど、それはバラエティ番組としての笑いであって、「水曜日のダウンタウン」の笑いではありませんでした。
「水曜日のダウンタウン」として、面白くなかった理由はいくつか考えられます。
・取り上げるネタに興味が持てなかった。
釣りの説は、そもそも気づいて当然だし、気づけない場合は釣ってる人物がポンコツ。くすぐりの説も同様に興味が持てませんでした。私はタレントの給料が知りたくて「水曜日のダウンタウン」を見ているわけではないです。
・作中でダイジェスト処理されているネタを、実際に行ったら間延びしてしまった(マルチスポーツ対決)
・実際に行っている映像がマンガの絵のインパクトを超えなかった
ラップ巻きの説は、バービーのコメントが達者であったから見れたけれど、ラップを巻いている過程は映像としては単調でした。結果は2.49mm(76周)と作中(30cm)の120分の1程度の厚みで隠せていました。
・そもそも作中でも面白くなってない。
「いつ・どこで・何をするゲーム」、マンガで読んでも面白くないのだから、実際にやって面白くなるわけありません。ロケで行っている場面でフェードアウトしつつ、最後、スタジオに振っていました。
基本的にVTRで完結させる番組ですが、スペシャルの時はスタジオで一波乱起きているため、その流れをしっかり利用していました。面白くても、面白くなくても、スタジオでもやってみることは折り込み済みだったのでしょう。
スタジオでやった結果は、面白いと言うより、目が離せない光景でした。
こち亀検証SPを経て、「水曜日のダウンタウン」にとって「説の提示」が重要であることを再確認しました。
提示される説は「あるある」に似た面を持ちますが、後に検証が控えていることで「本当にそうなの?」「本当にできるの?」「何かあるの?」と予想してしまいます。どこかに落ち着けば成立するフォーマットであるため、結論ありきではなく、どう転がっていくのかが重要になっています。
言い換えると、段取り重視ではなく、想定外を楽しむのが「水曜日のダウンタウン」の正しい楽しみ方です。
想定外という観点から印象に残っている説の一つが、17年8月2日に放送された「巣鴨のご老人が持ってる薬を集めれば頭文字50音全て揃う説」。
検証VTRでは、説のとおり巣鴨のご老人にインタビューしていきます。最終的に説の立証、50音の完成を目指すのなら、薬辞典で足りない音の薬を確認して症状に当てはまりそうな人を狙い撃ちしていく流れも考えられます。
しかし、結論は「薬は集まらなかったが、ヘイポーさんのご両親に会えた」というもの。
50音の完成を目指してロケするけれど、それより面白いもの/興味深い対象に出会えればスグにでもそっちに方向転換しまっせ、という雰囲気があります。
以前のエントリで触れた「街でバンドT着てる人 そのバンドのイントロクイズに答えられなかったらTシャツ没収されても文句言えない説」。この説では街頭インタビューのあと、チェ・ゲバラTシャツ着ていた4人を集めてゲバラクイズ大会が開催されていました。
「ドキュメンタル5」の公開にあわせたケンドー・コバヤシとハリウッド・ザコシショウの対談のなかで持参する小道具について話していました。
これはドキュメンタルだけでなく、私の生活にも取り入れられることだし、「水曜日のダウンタウン」が体現していることでもあるので、引用して終わります。
ザコシ でも本当に、小道具を詰めてると「これで足りるのかな」って不安になってくるんですよ。だから持っていけるだけ持っていきました。
ケンコバ 本音を言うと何も持っていきたくないんですよ。
ザコシ でも持ってきていいって言われているのに持っていかないのは不利でしょ?
ケンコバ 用意した道具の数だけ臆病だってことです。つまり、こいつがもっとも臆病だった。
ザコシ いちいちうるさいんだよ!(笑)
──シーズン1で、FUJIWARA藤本さんがボンドの入った巾着袋1つだけ持ってきていたのが印象的でした。
ザコシ いやでもね、藤本さんはツッコミでしょ? ボケの僕らが用意してきたものにツッコむから、用意はいらないんです。こっちが何もない状態だったらあっちだって商売上がったりですよ。だからボケがたくさん用意していかないといけないんです。臆病ではない! ただ、実際やってみると持ってきたものをバーンとボケとして出すっていうより、その場で起こったことに乗っかるほうがウケるんだなとは思いました。考えてきたものを超えたときに本当の面白さが生まれるんでしょうね。
ケンコバ 確かに、持ってきたもんだけではケリを付けられない。もちろん起点にはなるけど、そっからどう流れていくかやな。
花田菜々子『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』
東京の話であり、ヴィレヴァンの話でもあり、ひとりの女性の再起動までの話でもあり、男は女性をどう見てるかの話でもあり、ブックガイドでもあり、「夫のちんぽが入らない」に続く強いタイトルの作品でもある。私は自発的に本の情報を入手し、読む/読まないをある程度即決している。だから誰かに薦められても、全くの未知の本に出会うことはないだろうと思う。私と同じような状況の女性の言った「本の話ができて嬉しかった」との言葉が印象に残る。確かに誰とも本の話をしていない。
読書メーターに登録した感想です。
多くの要素が含まれているので、読者ひとりひとりで読み方が異なるであろう作品です。
読書メーターでは文字数の関係で触り部分しか投稿できていないので、この「であすす」を少し詳しくまとめます。
① 東京
私の住む地方で出会い系サイトで70人と会っていたら、直接の知り合いに会うことはないにしても、知り合いの知り合いには容易に会ってしまうでしょう。
出会い系サイトで全く初対面の人に会えるのは東京だからこそです。
② ヴィレッジヴァンガード
本書は著者がヴィレッジヴァンガードに勤務していたころの話なので、本書には内側から見たヴィレッジヴァンガードの姿が描かれます。憧れていたヴィレッジヴァンガードに入社したものの、徐々に書籍から利益のあがる雑貨中心の店になっていきます。
ヴィレッジヴァンガードの店員は自由裁量でやらしてもらえてるのかと思いきや、上部の方針に乗りきれない著者のような人もいることがわかりました。
私は「ヴィレヴァン」と略すけど、「ヴィレッジ」と略していては新鮮だった。
③ ひとりの女性の再起動まで
夫との別居をきっかけとしたショック療法で出会い系サイトに登録し、何かフックをということでその人に合いそうな本を薦めることにしたのが物語のはじまりです。
私小説なので驚くようなラストがあるわけではなく、ありふれたラストといえばそうなんだろうけど、自分の好きなことに向き合いつづけた結果のラストでした。物語としてはありふれているけれど、自分なら先送りしまくるだろうし、なかなか実行できることではないなと思う。
④ 男は女をどう見てるか
話題のサービスであろうとなんであろうと出会い系サイトは出会い系サイトです。本を薦めます!とプロフィールに書いたって、体目当ての男が寄ってくるのは避けられることではありませんでした。
序盤でセックス目当てで寄ってくる男の見分け方を出会い系サイトで出会った女性に教わります。
⑤ ブックガイド
巻末には「本書ですすめた本一覧」として39冊の書名が載っています。
著者は70人と出会っているから70冊は紹介したはずです。とはいえ、自身の体験を私小説に再編しているため、70人との出会いや薦めた書籍が全て網羅されてはいません。更に、ウェブでの連載では「サラリーマン合気道」(箭内道彦)を薦めるエピソードが載っていましたが、書籍では削られています。
著者がヴィレバン勤務であるため、選書の傾向はヴィレバンに置いてあるサブカル寄りです。
「本所ですすめた本一覧」に載っている作品のうち、私が書名あるいは著者を知らなかったものは、普段読まない海外小説3冊と「もろだしガールズトーク」のみでした。
作中にも私と似たような女性が登場します。薦められた本を端から読んだことあると言い、主人公に冷や汗をかかせます。
帰り際、その女性は「本が大好きなんですけど、ふだんわかってくれる人まわりにいなくて。こんなに本のタイトルたくさん出して、こんなにいっぱい本の話したのって初めてで嬉しかったです」と言います。
そういえば、私は本を読むけれど、その感想を主観的にブログに綴ることはあるけれど、誰かと話し合うことはしていません。自分が読む本を読むような人は好きじゃないと思ったりする面もあります。
終盤、ファミレスに行った場面で「料理がはこばれてくる」と何を食べたか濁しています。書名を具体的に書く流れで、料理名も具体的に書いて欲しかったです。
⑥ 強いタイトルの作品
「出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと」というタイトルには「夫のちんぽが入らない」(こだま)以来の強さがあります。
共通するのは、性的な興味を喚起するのもそうですが、それ以上に重要なのは「実体験を基にしている」ということです。作者にとっては物語へと昇華する過程で浮きあがってきたタイトルなのでしょうが強度を持っています。
映画の宣伝で「感動の実話」が繰り返し使われるのは、「創作」より「事実」の方が訴求するためです。だからフェイクニュースは事実を装います。また、
あの高崎卓馬の著書『表現の技術』に、「人は笑う前に必ず驚いている」と書いてあって、感情を動かすために必要な要素として驚きを挙げていました。
実話ベースの作品は、時として創作以上の設定をこちらに投げかけてきて、「ちんぽは入るでしょ?」「ちんぽ入らない人と結婚したの?」「年に70人て多いな」「週に1人以上と新規で会ったの?」「会って、その先は?」といった驚きをもたらします。
こだまさんや花田さんに創作と対立するつもりはないだろうけど、事実に重きが置かれる現在だからこそ世に出てきて脚光を浴びたのでしょう。
NHK「プロフェッショナル」に取り上げられた「いわた書店」岩田さんが行っている「1万円選書」。
同じ選ぶでも岩田さんは求められて薦め、花田さんは勝手に薦めていました。方向性は異なれど、本への愛情が両者にあります。
こんなに真剣に考えて誰かに本をすすめたことはなかった。相手のことを何も考えなくても、理由なんて何にもなくても、本はすすめられる。「とにかく自分が読んで面白かったから」というのはシンプルにして最強のおすすめ文句だし、雑誌や新聞で本をすすめること、もっと言えば店で本を並べて売ることだって、相手を特に限定せずに本をすすめていることだとも言える。
でも、そうじゃなくて……。
その人のことがわからないと本はすすめられないし、本のことも知らないとすすめられないし、さらに、その人に対して、この本はこういう本だからあなたに読んでほしいという理由なしではすすめられないんじゃないかとも思う。
書店のポップは書店員が面白いと思った本に付けられていて、本屋大賞は書店員が売りたいと思った本に与えられる賞です。なので、「プロフェッショナル」に出演したご婦人のように「書店で薦められたのを読んだけどつまらなかった」と言う感想もあり得ます。
Amazonのリコメンドは購入履歴から同じジャンルの本を選んで薦めてくるシステムです。しかし、東浩紀「弱いつながり」で指摘されていたように、このシステムに従い続けると読書傾向に偏りが生じてしまいます。
私は自分で本を選べるけれど、本を選びきれない人がレコメンド機能に従って選んだとして、ハマれなかった時の耐性はできているのかと考えます。ハズレだと思って次に手を伸ばせる人はいいだろうけど、そこで止まってしまう人がいることも十分想定できます。
花田さんは面会して1時間話し、岩田さんは長いカルテを申込者に書いてもらっており、本を選んで薦める前に、その人の人となりを捉えようとしていました。
花田さん、岩田さんともに、本を媒介にしてコミュニケーションをとろうと試みています。「本を薦めます」というのがなかったら、花田さんは70人と出会えていただろうかと思います。「本を薦める」ことがなかったら、2,3人と会ってセックス目当てと分かって幻滅して終わっていたはずです。
この「であすす」は「本」を媒介にしたから成立した話なのでしょうか。他の物でも成立するのでしょうか。自発性が必要で、読了までに時間がかかり、内面に影響する本だからこそ、成立しています。
書店の延命する手がかりを示していると思うけれど、効率を考えたら手間がかかりすぎます。他の書店に浸透して実践する書店員が果たしてどのくらいいるのだろう、と外野から思います。
読了して得たものがあるとすれば、困った時に「好きな物」が自分を助けてくれる、ということでしょうか。ありきたりだけど結局はここに行き着く。
追記
過去に読んで書いたこのエントリとの比較についても書ければ良かったかと思う。
Creepy Nuts「クリープ・ショー」(ついでにR-指定とPUNPEEのこと)
Creepy Nuts「クリープ・ショー」を聴いて感じたことは、3つあります。
「ロックバンドっぽさ」、「フリースタイルの延長」、「サブカルの最高峰」の3点です。
― 僕はCreepy Nutsのライブには、いい意味でロックバンドっぽさを感じるんです。
松永 たまに言われますね。でも正直その自覚はまったくないんです。
R-指定 めちゃめちゃヒップホップしてるつもりですからね。
松永 でもサウンドやキャラクター、ライブのスタイルも、ほかのヒップホップアーティストと被らないことをできているのかなとは思います。
音楽ナタリーのインタビューで以上のように答えているけれど、「助演男優賞」で主役を食う存在を列挙した最後に「ロックフェスでのクリーピーナッツ」という一節を置いているので、ロックフェスでの立ち位置は意識しているはずです。
フジロック'17に出演したPUNPEEは「フジからフジ」と出演後に音源で言及しましたが、フジロック'18に出演する5lackやAIR JAM'18に出演するKOHHが音源でフェス出演に向けての意気込みを作品に落とすことは想像できません。
トラックやテンポもロックバンド寄りと感じたので、Creepy NutsをDOTAMAの所属するFINAL FLASHと同じ箱に入れました。ほぼほぼロック界隈専門のライターである兵庫慎司さんが「SPA!」にレビューを寄稿し、繰り返しきいてもいるそうですし。
2つめ「フリースタイルの延長」と3つめ「サブカルの最高峰」は関連しています。
良くも悪くも、R-指定が「クリープ・ショー」で披露したものは「フリースタイルダンジョン」の延長にあると感じました。
良く言えば一貫性があるってことで、悪く言えばパターンがないってこと。
「フリースタイルダンジョン」で呂布カルマに白旗を挙げさせた「見た目だけカッコつけた【コンプラ】 でもハートはチキン 名古屋コーチン FAKE佐村河内 Shall we 死のダンス 役所広司」。
「名古屋コーチン」は呂布カルマが名古屋のシーンを代表しているからで、「役所広司」は「Shall We ダンス」の主演俳優というように、連想と引用がR-指定の持ち味です。
R-指定は、サブカルと定義されている物をあらゆる面から引用し、サンプリングしています。そのスタイルがそのまま「クリープ・ショー」でも実演されていました。
サブカル中年の私が気づけたのもあったし、見抜けない要素もたくさんあるだろうから「サブカルの最高峰」であるなぁと感じました。
「めちゃめちゃヒップホップしてるつもりです」とはいえ、R-指定のヒップホップは過去の日本のヒップホップを咀嚼したR-指定なりのヒップホップであって、海外のヒップホップからの参照点はありません。
恐らくR-指定は海外のヒップホップはほとんど聴いていないだろうし、ネタ元は日本のサブカルチャーであるから、日本のロックシーンとの親和性が産まれているとも言えます。
(追記:「Rさん結構USも聞いてますよ」というコメントが来た。Nasを引用しているから聞いてないことはないだろうけど、ここ数年のものも聞いているんだろうか?)
気付いた元ネタの一例を以下に挙げます。詞の内容は、「やってやんぜ」という意気込んでいるものが多いです。
1)手練手管
2)ぬえの鳴く夜は
> Half man Half amazing
Naz「It Ain't Hard to Tell」(「Illmatic」収録)。元は「Nas is like the Afrocentric Asian, half-man, half-amazing」
3)助演男優賞
>田岡の不安要素
「スラムダンク」で湘北高校と対戦した陵南高校の監督が「田岡茂一」。決勝ブロックで湘北と対戦するにあたり、湘北の不安要素を挙げます。
「湘北には不安要素がいくつもある。今はまだそれが表面化していないだけだ」
「湘北の不安要素その1はファウル・トラブルだ!!」
「不安要素その2――選手層がウスい!!」
「湘北最大の不安要素―――安西先生不在!!」
「湘北の不安要素その4!! 素人・桜木!!」
>明るい未来?暗い未来?/俺が森山なら後者/モテキなんざ来る訳ねぇじゃん/各駅停車 苦役列車 Let's Go
「モテキ」「苦役列車」両方とも、森山未來の主演映画(2011年、2012年公開)。
4)紙様
テレビドラマ「新・ミナミの帝王」主題歌ということもあり、お金をテーマにしている
「ヒデぇ男(英世)」「一応(一葉)」「行き違い(諭吉が良い)」と紙幣の肖像の面々も登場させている。
5)Stray Dogs
6)新・合法的トビ方ノススメ
7)俺から退屈を奪わないでくれ
8)かいこ
「かいこ」とは「懐古」のことか。
ガムのキャンペーンソングなので「味の残ってるガム」「深くまで味が染み込んで」とある。
9)トレンチコートマフィア
2014年に「DJ松永 feat. R-指定」名義で発表
1999年にアメリカで起こった事件「コロンバイン高校銃乱射事件」の犯人が「トレンチコートマフィア」と自称
10)だがそれでいい
「タウカン、ピコ」の正式表記は「TOWN & COUNTRY 、PIKO」。
地方在住ならともかく、大阪・梅田の繁華街にアクセスできるのにイオン、しまむら、タウカンやピコを選んでしまうってどういうことだ?という疑惑がなくもない。他に選択肢があるなかで本当にイオンやしまむらでタウカンやピコの服を買っていたとしたら、R-指定がいまだにルサンチマンを引きずるのも理解できる。
>間違っても証言のインストでフリースタイルとかすんなよ
RINO、DJ YAS、GAMAによって結成されたLAMP EYE。そのLAMP EYEがYOU THE ROCK★、ZEEBRA、TWIGY、DEV LARGEといった当時のオールスターをフィーチャリングした楽曲が「証言」。
11)月に遠吠え
12)スポットライト
>使えない奴らトレンチコートマフィア/たりないふたりか?所詮脇役か?
「トレンチコートマフィア」は9曲目「トレンチコートマフィア」のことで、「たりないふたり」「脇役」はインディーでリリースした「たりないふたり(16年1月)」「助演男優賞(17年2月)」のことです。
「MONSTER VISION」の詞で「フリースタイル・ダンジョン」で自分に勝った焚巻やKOPERU、崇勲らの名前を挙げたように、R-指定には自分に注目してくれるファンへのサービス精神があります。
R-指定やCreepy Nuts「クリープ・ショー」のことを考えると、PUNPEE「Modern Times」との違いが明確になりました。
「クリープ・ショー」の元ネタが以上のようにわかる一方で、「Modern Times」はアメコミやSF小説、映画からの引用が多かったため、何のことだかさっぱりわかりませんでした。チミチャンガとか。
R-指定が中学デビュー、高校デビューできなかったことのルサンチマンを抱えている一方で、PUNPEEは一般人を名乗りながらも飄々としています。
学年で一番人気のあの娘と
冴えない男子代表のパンピーな私が
放課後屋上で遊んだりとか
今 おもえば結構リア充だったよな
(略)
30近くなっていざ会ってみたら
尖ったあいつは心身共に丸くなり
無口なあいつは成功して小金持ちに
ヤサグレてた飛行少女の女子とも
共通の趣味で話が進んだり
先日Abema TV「宇多丸 水曜 The NIGHT」に持ち込んだ「あんた あの娘(韻)の何なのさ」という韻(ライム)をどのように扱っているかをチャート分けする企画。
そこでPUNPEEや5lackは挙げられていませんでした。忘れたのか、意識して外したのか。
「助演男優賞」の中では「ロックフェスのCreepy Nuts」とあるだけから、誰が主演男優賞だと特定せず、チャレンジャーとして挑んでいるという位置づけなのでしょう。
とはいえR-指定の客演仕事は最近の「MONSTER VISION」をはじめとして晋平太やKEN THE 390、ACEとフリースタイルバトル関係の相手のみで数も多くないし、こういった面でも「PUNPEE」のことを意識しているんじゃないのかなぁと思った次第。
音楽の聴き方、2018年3月の。
過去に音楽の聴き方についてまとめてきました。15年にはiTunesで買ってダウンロードした音源をCDに焼いていましたので、隔世の感があります。
Spotify導入以前と、導入した現在とでは環境がガラリと変わってしまいました。
ミスチル桜井氏は、配信をしない理由について「手軽に手に入れたものは簡単に飽きてしまうから」というような趣旨のことを言っていたそうです。CDに愛着があるから、もう少し時代に抵抗していきたいということを話していたという記事も見かけました。
蓄えもあるだろうし、最盛期より減ったとはいえCDを買いつづける固定ファンを抱えるミスチルだからできる発言だなとも思います。
私は熱が冷めつつあるオールドファンなので、ミスチルのCDが出れば買うけれど、ダウンロードやYouTubeで聞くことはしていません。改めて聴きたい曲はないけれど、ストリーミングを一気に解禁すればいいのにとは思っています。
前置きが長くなりました。私の音楽の聴き方についてです。私が音楽を聴く場面と聴き方はパターンが固定化されてきました。今後、劇的な変化が起きるとは考えにくく、当分はこのままなのでしょう。
2 自宅 / CDプレーヤー(Spotify)
3 就寝 / CDウォークマン(CD)
4 運転 / HDD(Spotify or CD)
1 通勤
ここ半年くらいは徒歩で通勤しています。通勤時はイヤホンをスマホに刺し、Spotifyを起動させて聴いています。ブルートゥースイヤホンも何度か使いましたが、イヤホンを刺すだけの方が簡単なので、こちらの方法を採用しています。
2 自宅
CDを聴くのが多かったのですが、プレーヤーの上に物を置いたりしててCDの交換が煩雑に感じるようになったので、スマホからブルートゥースで飛ばし、ラジコやSpotifyを起動させることが多くなりました。
3 就寝
年明けからCDウォークマンで何かかけながら就寝するようになりました。
以前はスマホにイヤホン刺してラジコでバナナムーンとかを聴いていました。この方法だと、寝落ちしてもスマホは起動していてデータ量や電力を消費しすぎたり、ツイッター見てなかなか寝付けないこともあったので、スマホを使うのはやめました。
なので、年明けからCDウォークマンを使用しています。
エネループを使用しているので電力の消費は気にならなくなりました。
思いがけない効能として、CDをよく聴くようになりました。全てをストリーミングで済ましているわけではなく、CDも買っています。CDを買っても特典を確保すれば、あとは棚に入ってCDを繰り返し聴くことが少なくなっていました。
年明けから、このような変遷で聴いてきました。
ミツメ「エスパー」→「その線は水平線」「WILD SPEED ICE BREAK」サントラなど→MC松島「hospes」→「吉本隆明の声と言葉。~その講演を立ち聞きする74分~」→「デザインあ 2」
CDウォークマンを使用することで、1枚のCDを1日1回は聴くようになりました。10分15分で寝落ちするとしても、だいたい1週間単位でCDを変えるようになったので、少し前に比べて、1枚のCDを聴く回数は増えることになりました。
4 運転
通勤は徒歩なので、週末しか運転していません。目的地が片道1時間くらいの時はCDを聴いたり、スマホからラジコを聴いています。
HDD内のCDタイトルを更新しないと、NO TITLEと出てしまうので、そろそろ更新させたいよなと思っています。更新させていないのもあって、曲名が全然覚えられない。
短めですが、現場からは以上です。