坪内祐三が構想していた作品

 

〇『本の雑誌坪内祐三』(本の雑誌社/2020年))

『イレヴン・カインズ・オブ・ロンリネス』に感動した私は、この作品集を翻訳したいと思った(邦題は『寂しさの十一の形』に決めていた)。

※作者はリチャード・イエーツ

2009年4月号
スーザン・ソンタグの日記の第一巻とジョージ・スタイナーの『ニューヨーカー』書評集成という二冊の新刊が出、この所また横文字読書づいています。依頼もないのにその読後エッセイを書くつもり。

2009年8月号
これまでに色々な人と対談してきたので、その中からお気に入りを一冊にまとめて「ツボコの部屋」って本を作ろうかな(買わねぇよ、そんなの誰も)。

2013年9月号
常盤新平さんのこと」って連載や「山口昌男さんのこと」って連載どこかでやらせてもらいたいな。

2013年11月号
ツボちゃんまたまた新たな作品を計画してしまいました。題して『大宅壮一高見順』。つまり大宅文庫日本近代文学館の創設に至るプロセスを二人のモチベーションを通して描くのです。

2019年4月号
今年こそは何か一冊翻訳書を出したいと思っています。ジョン・オハラ短編集って難しいかな。それとも既に二篇出しているデルモア・シュワルツ短編集で行くか。

※二篇のうちの一篇は『鳩よ!』の坪内祐三特集号(2001年12月号)に掲載された「スクリーノ」。

2019年10月号
柳田國男に対抗して『昭和平成史世相篇』という書き下しを考えています。


〇『昼夜日記』(本の雑誌社/2018年)

2013年6月22日(土)
いずれにせよこれでいよいよ『私の『東京人』時代』という回想集を執筆する機会がやって来た(粕谷さんが存命の内に書き上げなければ)。

※粕谷は坪内祐三が雑誌『東京人』の編集部在籍時の上司であった評論家。2014年5月30日に逝去。

2015年9月2日(水)
三時半過ぎ、家を出る前に朝日新聞の夕刊に目を通していたら、衝撃的(というかやっぱし)な事件が目に入って来る。元十両金親熊ヶ谷親方逮捕だ。私はここ十年ぐらいずっと金親のことをウォッチしている(いつか「カネチカっというひょこひょこおじさん」という珠玉の作品を描き上るつもりだ)。

2016年1月20日(水)
一時少し過ぎ、ゆうパックダンボール箱二つ届く。やった、当った。先週末の「我楽多市」に注文していた『井伏鱒二全集』(筑摩書房)だ。全三十巻で一万五千円という破格の安さだ。数年前に店を閉じた大久保の居酒屋「くろがね」で井伏鱒二が愛用していたという長方形の卓袱台を頂戴し、そこで仕事している(この原稿も)。だから本格的な井伏鱒二論(実はまだ誰も書いていないと思う)にいよいよ乗り出してみるか。

※「くろがね」の閉店は2012年5月29日(「昼夜日記」より)


〇『父系図』(廣済堂出版/2012年)

芝浦製作所の成功はまた太田黒が同製作所の小林作太郎というスーパー技師を発見したからでもあり、『小林作太郎伝』と『職業偉人 小林作太郎伝』という小林の二冊の伝記を持っているからいつか何かの機会に小林のことも書いてみたい。

※太田黒重五郎

ところで、『彷書月刊』に掲載された私の「結城禮一郎のこと」はこのように結ばれている。

 私は今、結城禮一郎の、伝記のようなものを書きたいと思い始めている。

それからもう二十年近い歳月が流れてしまったけれど、今もこの気持ちに変わりはない。

※『彷書月刊』平成五年十月号に載った「結城禮一郎のこと」と題する文章が坪内祐三の「文筆家としてもっとも早い時に執筆した文章」。

 

バブルの崩壊と共に『ジャパン・アヴェニュー』も消えた(この雑誌に関わった人たちーーその中にはかなり有名人もいるーーのことをその内一冊文ぐらい書いてみたい)。


〇『書中日記』(本の雑誌社/2011年)

2008年4月11日(金)
ところで、さいたま市の伊藤聡さん、坪内祐三版の『夢の砦』を待望してくれてどうもありがとう。五十歳までには完成させたいと思っているんだけどね(って、あとひと月しかないじゃないか)。

※『東京人』時代のことを書いて欲しいと伊藤聡さんは『本の雑誌』のアンケートでリクエストをしていた(『夢の砦』は小林信彦にも同名の著作があるけれど、2022年に復刊された雑誌『話の特集』のことを回想した矢崎泰久和田誠の共著のことだろうと思う)。
※『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』を出したライターの伊藤聡さん、であると思っている。


〇『本日記』(本の雑誌社/2006年))

『クイック・ジャパン』の新連載、「東京」で行くか、「ルーマニアパブでルーマニア語を習得する法(課題)」で行こうかとMさんに提案し、結局、「東京」を採用されたのだ。逆だったらどうなっていただろう。

※2003年8月27日の記述に対する註

※「法」ではなくて「方法」?


〇『文藝春秋 八十年傑作選』(文藝春秋/2003年)

ではまた次は百周年の時に再会を期して。よろしく。

文藝春秋の百周年は2023年。

当たりの本に出会えたらうれしい

「華大千鳥」のアンケートを取ったら50対50になるものを挙げる企画で、博多大吉が「コンビニが家の近くにできたらうれしい」と言っていた。
コンビニには雑誌と新聞を買いに行くだけなので家の近くになくてもいい。
自分なら何がうれしいだろうか。
当たりの本に出会い続けることができたらうれしい、と思った。

黒川博行「連鎖」が面白くて、その次に読みはじめた白石一文「松雪先生は空を飛んだ(上)」もめちゃくちゃ面白い。
今年は「松雪先生は空を飛んだ(上)」と吉田豪「帰ってきた聞き出す力」で8冊目、9冊目だけれど、今年の打率は高いのでこのままいってほしいと思っている。

当たりの本というのは、読んでいるときに「めちゃくちゃ面白い」と思えてグイグイ読み進められる本。読み終えて2割減になることや、年間を振り返って順位が下がることはあるにしても、読んでいる間は興奮させてくれる本。そういう本に出会い続けたい。

厳密にいうと、「本」の価値は価格に比例せず、読み終えるまで評価は決まらない。
装丁や装画、造本で買って良かったと思うことはあるが、最終的には読み終えるまで評価は決まらない。

私はどのように本を選んでいるか。

「作者」「書評」「装丁」「タイトル」等か、これらの組み合わせで、読みたいと判断している。

当たりの本に出会えることはギャンブルみたいなものだけど、本を読み続ければ、周辺情報を得るようになり、当たる確率もあがる。

「量が質を担保する」。この言葉は、その通りだと思う。

読書時間を確保するには

理想もしくは憧れ

片道30分から45分くらいの電車通勤で、乗り降りか乗り換えの駅に書店があることが理想。
ヤンマガやスピリッツなどの週刊誌が出た日はそちらを優先してしまうだろうけど、寝てしまわない限りは読書時間を確保できるだろう。読んでいる本が読み終わりそうなら、書店で次に読む本を確保してから帰路につきたい。
電車の座席の高さと角度は理想の形の1つ。

実際の通勤は徒歩15分くらい。要求を満たす本屋はなく、月曜の朝に少し早く家を出てコンビニで週刊誌を買ってから出勤する(帰りに買うと、立ち読みで裏表紙に癖がついていることがあるから)程度。


現在の読書時間

現状、本を読む時間は場所と紐づけられている。

(1)トイレ

「帰ってきた聞き出す力」(吉田豪)を一昨日くらいから読みはじめた。
トイレで読むなら、1話の短いエッセイ集やコラム集で、なおかつ少し下世話であるといい。
品田遊「キリンに雷が落ちてどうする」は分量的には悪くないけれど、すこしセンスが良すぎるので、「帰ってきた聞き出す力」や電気グルーヴ松尾スズキさんがちょうどいい。

 

(2)職場

先週の金曜日に「玉電松原物語」」(坪内祐三)を読み終えたので、今週から「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」(三國万里子)を職場に置いて、昼休憩に読んでいる。
「編めば編むほど~」はトイレで読みはじめたけれど、トイレで読むに適した本ではなくて(当たり前)中断していたのを再開した。

今回は読み通せそう。

 

(3)寝室

寝る前に「連鎖」(黒川博行)を読み進めている。
黒川博行は昨年読んだ「熔果」以来。昨年も2月に読んだのでちょうど1年ぶり。
「連鎖」と同じ主人公の話は他に2作出ているらしいが、「シリーズ物は最新作を読めばいい。面白かったら遡ればいい」という北上次郎の言葉は正しいことを実感する。
「連鎖」を読みはじめる前は24時すぎに寝室へ行くことが通例だったが、ここ数日は「連鎖」読みたさで23時には行くようになった。
眠くなるまで読むけれど、面白くて50、60ページくらい読めてしまう。576ページある大著だが、あと1週間か10日くらいで終わってしまうだろうか。
好きな小説家は津村記久子伊坂幸太郎であるけれど、黒川博行もランクイン。


読書時間を増やすには

食後に居間(リビング)で過ごす午後7時から午後11時までを読書にあてるのが理想。
しかし、スマホやテレビ見たり、娘とトランプやオセロをしたり、雑誌を読んだり、部屋を片付けたりするから、よっぽど面白い本がない限りは読書へ時間を割きにくい。
そう。読書時間を増やすには「読み進められる本」を見つけることが理想。
自分の中の何かと、その本がバチっとはまれば本は読み進められる。読みだしてもエンジンがかからなければ読み進めることはできない。
「読み進められる本」と出会うには、候補となる本がある程度必要である。冊数とすれば、本棚に納まって見渡せる程度が理想。
本棚から溢れた本は箱に入れて保管しがちだけれど、収納した本のことを忘れてしまうこともある。定期的な入れ替えをお忘れなきよう。
とりあえず読みだして、エンジンがかからなければ次の本へ。いまのところはこうやっているけれど、このやり方だと難解な本は後回しになりがち。なので、難解な本のレベルまで自分を向上させていくためにも、腰を据えて本と向き合える時間を持つのが今後の課題。

坪内祐三「玉電松原物語

2020年1月に急逝された坪内祐三さん。
坪内祐三さんの著作は、大きく3つにわけることができる。「本、古本、書店」と「明治・大正」、そして「東京」。
坪内さんの著作、連載を追いかけていたが、地方在住の私にとって最も遠かったのが「東京」についての著作でした。
森山裕之編集長時代の「クイック・ジャパン」に連載されていた『東京』や、『極私的東京名所案内』なども読みはしたものの、、、。

小説新潮」での連載中に坪内さんが急逝されたため、未完の遺作として2022年10月に刊行されたのが『玉電松原物語』。
予約注文して入手したものの、遺作であり、東京ものであることから読みだすことはなかった。
3年が経ち、ようやく読みはじめた。職場に持ち込んで、昼休憩時に1篇ずつ読み進めた。

読み終えて思うのは、その文章の心地よさ。
生前は「読書日記」を目当てに「本の雑誌」を定期購読していたので、毎月1回は坪内祐三さんの文章に接していた。「週刊文春」を立ち読みすれば「文庫本を狙え」が載っており、時には新刊が出て、時には雑誌への寄稿や文庫の解説もあった。
亡くなられた年は追悼する刊行物がいくつかあったものの、ここ1年2年は坪内さんの文章と接していませんでした。
玉電松原物語」を読んで、その文章の心地よさを思い出しながら、坪内さんの紹介する本が魅力的だったのではなく、坪内さんの文章自体に熱中していたのだと今さら気づかされました。

「東京もの」なのに飽きずに読むことができたのは、本書「玉電松原物語」には無くなった街の思い出が書かれているからです。
身体的な成長も加わり、5年10年で商店街や、家の周辺の風景は変わります。
今は「シャッター街」が当たり前の風景ですが、本書で描かれているのと近い商店街は、かつてどこの地方にもあったはずです。
おもちゃ屋があり、デパートがあり、たい焼きを売っている店があり、書店だって2軒あった。読みながら、小学生のころの街のことが思い出されてきました。

本書の巻末に掲載された吉田篤弘さんの解説には坪内祐三さんは新しい世界への扉のような存在だったとありました。
坪内祐三さんの書評により新しい世界を見ることができました。
遺作となった『玉電松原物語』は読み手の過去へ通じる扉でした。

自身の本が書評で取り上げられないという坪内さんのぼやきを読んだことがありますが、本書の書評をネットで幾つも読むことができます。
岸本佐知子(赤堤小学校の後輩)、江木裕計(本書の担当編集者)、壱岐真也(「en-taxi」創刊編集長)、戌井昭人(本書で触れられる連載は『さのよいよい』として刊行される)といった著者に馴染みのある面々だけでなく、渡邊十絲子与那原恵江上剛という坪内さんとの面識があるわけではなさそうな方々まで(江上剛経済小説ばかりなので読もうとも思わなかったですが、良い書評だったので、少し見直しました)。
遺作となったためもあり、どの書評にも追悼の雰囲気がありました。

今後も単行本化されていない文章が何らかの形でまとまることを期待しますが、遺作『玉電松原物語」を読み終えてしまったため、ここで一区切りとなってしまいました。
どうもありがとうございました。

目黒考二、北上次郎の功績、あるいは書評文化を作った人について

 

本の雑誌」を創刊した目黒考二が逝去された。
それはつまり、書評家・北上次郎の死去と同義です。

私の本に対する入り口の9割は坪内祐三さんによって作られているから、北上次郎さんのことを知ったのは、坪内祐三さんが連載していた月刊誌「本の雑誌」がきっかけだったろうか。
あるいは、父親が椎名誠の愛読者であったから、そちらがきっかけだったのかもしれない。
北上次郎さんのベストワークはロッキング・オンが発行していた雑誌「SIGHT」で行われていた大森望さんとの書評対談「読むのが怖い!」だったと思っている。

『読むのが怖い! 2000年代のエンタメ本200冊徹底ガイド』(ロッキング・オン) - 著者:北上 次郎,大森 望 - 豊崎 由美による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

 

目黒考二北上次郎の功績について「Real Sound」に「目黒考二が開拓し、北上次郎が花開かせた書評文化ーー「本の雑誌」創刊者の功績を振り返る」という記事が載っていました。

時代的にまだ、書評といえば新聞で大家の作家や評論家が書くものだという認識が残っていた。けれども、そこでは自分たちが読みたいSFやミステリーといったエンターテインメント系の小説が取り上げられることはない。だったら、自分たちで書いて自分たちで広めたいという思いで立ち上げた「本の雑誌」の登場が、書評を大衆化させ共感できるものへと変えていき、今の誰もが好き好きに本について話せる状況を生み出した。

目黒考二が開拓し、北上次郎が花開かせた書評文化ーー「本の雑誌」創刊者の功績を振り返る|Real Sound|リアルサウンド ブック

 

書評文化について書いた着眼点はその通りですが、私も口を挟みたくなったので書きます。

目黒孝二がやっていることは「この本が面白いから、読んでみろよ」という紹介や推薦です。
目黒孝二・北上次郎のやっていることを「書評」とした場合、反対側にあるのは「文芸評論」「文芸批評」です。
「文芸批評」が結末についても言及しているのに対し、「書評」には読みどころしか書いていません。
「書評」でどこまで結末に迫るかは書き手に委ねられていますが、北上次郎さんは新聞や雑誌より分量の多い文庫の解説においても結末に接近せず、「いやはや面白いから、解説なんていいから読んでみろよ」と語りかけているようでした。

それにしても、「Web本の雑誌」に転載されている「新刊めったくたガイド」。最新のものは1月号掲載分ですが、死の予感が全くありません。きっと2月号にも死の予感を嗅ぎ取ることはできないでしょう。いつもどおりの文章で、だからこそ「急逝」という感があります。
藤代三郎として行っていた競馬情報誌「ギャロップ」での連載「馬券の真実」。結果として最終回となった2022年12月25日号には以下の文章が載っていたようです。

今回しみじみと感じたのは、健康がいちばんということだ。普段は馬券が当たらないことに文句を言ったりしているが、毎週元気で馬券を買っている日々こそ、極上の日々なのである。

藤代三郎さん死去 ギャロップ連載「馬券の真実」最後のコラムを再録 - サンスポZBAT!

 

かつて目黒考二として「本の雑誌」で連載していた「笹塚日記」が今も続いていたら通院や体調についても書かれていたのだろうか。

本の雑誌」は坪内祐三さんが亡くなって定期購読をやめてしまい、それ以降はたまに購入する程度の距離感になっていました(「Web本の雑誌」は毎日閲覧しています)。
岡留安則坪内祐三西村賢太と組まれてきた追悼号。(不謹慎ながら)目黒考二北上次郎の追悼号も3月4月には出るはずです。読もうと思う。

「新刊めったくたガイド」で目黒考二さんが担当していた「エンタメ」は誰が引き継ぐのだろうか。読んでいる小説の傾向がエンタメに寄ってきたから、頼りにしていたのだけれども。

また、目黒考二が逝去し、椎名誠の体調にも陰りがあり「本の雑誌社」も岐路に差し掛かりつつあるように見える。精神を引き継いでいるでしょうから、何の心配もしていません。見かけたら買うようにします。

映画「THE FIRST SLAM DUNK」に起用されたのがロックバンドだったことについて

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スラムダンク」が映画になる。
「主題歌は誰が担当するのか?」

JP THE WAVYにはNBAで活躍する八村塁をモチーフとした「Louis 8」という曲があるのだから、ラッパーが起用されることを期待しました。
しかし、映画「THE FIRST SLAM DUNK」起用されたのはThe Birthday10-FEETというロックバンドの曲でした。

なぜ、ロックバンドの曲だったのか。
湘北高校の5人はロックバンドだったからです。

オープニングで描かれた湘北高校の5人、山王工業の5人の佇まいはロックバンドのそれでした。

バスケットボールは試合中に選手の入れ替えを自由に行うことができます。
しかし、湘北高校は選手層の薄さと実力差もあるのでしょうが、出場するメンバーが5人で固定されています。
それでも神奈川県大会の綾南戦のラストでは木暮、インターハイ1回戦の豊玉戦では安田が起用されていましたが、映画「THE FIRST SLAM DUNK」で描かれた山王戦においては桜木の治療時以外は固定された5人が出ずっぱりでした。桜木の治療時は原作だと角田が出ていましたが、映画では交代の様子やポールとマッチアップした角田の感想は省略されていました。

ロックバンドとは「バンドマジック」という言葉があるように、メンバー間の関係性が重要な共同体です。
最近は結成10周年、20周年を迎えるバンドも珍しくありません。一方で「はっぴぃえんど」の活動期間は3年、ビートルズの活動期間は10年と活動期間の短いバンドが持つ「特別さ」もあります。

湘北高校のこのメンバーでの活動期間は1年もありません。
桜木の入学からはじまり、赤木、木暮が引退する秋で一区切りとなります。
ある目的のために集い、終わればそれぞれの道を進みはじめる。

バンドのドラムとバスケのドリブルが共鳴していたことを前提として、それ以上に「THE FIRST SLAM DUNK」にバンドが起用されていたことは必然があると感じました。

余談ですが、湘北高校5人をロックバンドにあてはめるなら、赤木がドラム、宮城がベース、流川と三井がギター(LUNA SEAでいうなら、流川がSUGIZOで三井がINORAN)、桜木がボーカルでしょうね、きっと。

新品のシャープペンシルの芯を捨てる

最も無駄な物は、新品のシャープペンシルに入っている「芯」である。

 

新品のシャープペンシルに入っている芯の濃さは恐らくHB。
私のシャープペンシルの芯の濃さの好みは、Bか2B。
HBは「薄いよな」と気持ちが逸れ、書き続けることはできない。
なので、新品のシャープペンシル開封後、中に入っている数本の芯を全部捨てて、好みの芯に入れ替える。
そのたびに無駄だよな、何とかならないのかなと思う。

 

世間の人はHBで不満を感じていないから、HBの芯が入っているのだろう。
個人的にはメーカーがデフォルトで芯を入れるのを廃止すればいいと思う。
しかし、急場しのぎで買う場合は芯が無いと困り、替え芯とセットで買わせることになり、芯を入れるところから使い始めるのは手間であるとデメリットが列挙できるから実現することはないだろう。

 

私はシャープペンシルが好きで、年末年始にドクターグリップの新しいのを数本買って、今日はオレンズの新製品が届く。
シャープペンシルは好きだが、使いはじめるときは一旦マイナスの感情に振らないといけないのは何なんだ?
ジレンマを抱えながら、シャープペンシルを買い続ける。