デルモア・シュワルツ「夢のなかで責任がはじまる」

2023年7月2日の読売新聞の書評欄で宮部みゆきスティーブン・キング『死の舞踏』(2017年9月ちくま文庫/1993年)を紹介していました。
書店に在庫はなく、Amazonに注文したら730ページという分厚すぎる文庫が届きました。書店に実物があれば厚さに尻込みして買わなかったはず。
買ってしまったからには少しは読んでみようかと解説を読み始めました。

町山智浩による解説は以下のように始められます。

筆者が『死の舞踏』を初めて読んだのは遅かった。一九九八年、アメリカのニューヨーク州シラキュースに住んでいた頃だ。
妻がシラキュース大学で修士課程にいる間、自分も暇つぶしに州立オノンダガ大学で「ホラー映画」の授業をとった。

『死の舞踏』と同じ日に注文したのが『柴田元幸翻訳叢書 アメリカン・マスターピース 準古典篇』(2023年7月)。
デルモア・シュウォーツ「夢のなかで責任が始まる」が収録されていることが購入を決めた理由。

坪内祐三「変死するアメリカ作家たち」(2007年3月)は「日本であまり知られていない作家たちの変死ぶりから、20世紀アメリカの時代精神と彼らの反逆や渇望を描」いた評論集。

その評論集の冒頭を飾ったのが「デルモア・シュワルツの悲劇」。

「夢の中で責任が始まる」を読み返す前に「デルモア・シュワルツの悲劇」を再読し、「長いとはいえない生涯の晩年に彼が教鞭をとったシラキュース大学での教え子ルー・リードは彼のロック・バンド、ベルベット・アンダーグラウンドのデビューアルバムで「ヨーロッパの息子」という曲を彼に捧げている」という一節に目がとまります。

ルー・リードについては、「リー・ルード」というアナログフィッシュの初期曲やアンディ・ウォーホルのバナナのジャケットくらいの知識しかない私なので、デルモア・シュワルツの教え子だったというのは「トリビア」程度にしか思えません。

私のアンテナが反応したのは「シラキュース大学」というワード。
「シラキュース」という聞き慣れず見慣れない言葉を目にした覚えがあったのです。

『死の舞踏』を届いたのは7月17日。ここ半月で起きたことなのに、「シラキュース大学」を知った順序は曖昧。
とはいえ、本を読んでいて面白いのはこういうことが起きること。こういう現象をセレンディピティというらしい。

余談ですが、新潮社のPR誌「波」の2020年6月号に小澤身和子訳による「夢のなかで責任がはじまる」が掲載されており、高崎俊夫の「デルモア・シュワルツと坪内祐三」という解説も載っているという。
「波」は定期購読していて解説を読んだ覚えもあるが、すっかり忘れていた。捨ててないはずで、バックナンバーは自宅に運んだはずだから、今度取りに行こうと思う。

デルモア・シュウォーツ「夢の中で責任が始まる」をまだ読んでいない。