読書日記(2021年11月22日~12月5日)

 

11月23日(火・祝)

昨日から読みはじめた「平成のヒット曲」(柴那典)を読み終わる。

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11月24日(水)

「現代生活独習ノート」(津村記久子は短編集なので、そのうちの1篇を読む。

文學界」(2021年5月号)も少し読む。あとは、読みかけになっている「未来めがね2」(荻上チキ、ヨシタケシンスケを寝る前に1話読む。

11月25日(木)

職場の忘年会があって、帰ったらシャワー浴びて、そのまま布団に入ったので何も読んでいない。

11月26日(金)

今年中に読み終えたいと考えた読みかけの本の1冊である「0mの旅」(岡田悠)を読む。

次も次もと読み進めていくうちに読み終えてしまった。カバーデザインだけではなく、用紙の選択や章ごとのデザインを含めた装丁が素晴らしく、誰かと思ったら吉岡秀典(セプテンバー・カウボーイ)であった。

11月27日(土)

今年中に読み終えたいと考えた読みかけの本の1冊である「ブラック・チェンバー・ミュージック」(阿部和重を読む。

少しずつ読んでいた時はなかなか読み進められなかったが、今日はグイグイ読むことができた。残り70ページくらいなら読み切れそうだったが、25時半を過ぎていたので寝ることにした。

11月28日(日)

午前中で「ブラック・チェンバー・ミュージック」を読み終える。

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昼ころ駅に読売新聞を買いに行く。久しぶりに橋本倫史の書評が載っていた。取り上げられていたのは「味の台湾」(著者:焦桐、訳者:川浩二)

トイレで読み進めていた「さよならお婆ちゃん」(松尾スズキ河井克夫/チーム紅卍)。残りのページ数が少なくなったので、トイレから持ち出して読み終えた。

土日で「現代生活独習ノート」を1篇ずつ読んだ。

<< 今週、購入した本 >>

「10年間飲みかけの午後の紅茶に別れを告げたい;部屋をめぐる空想譚」岡田悠

11月29日(月)

朝日新聞の運営するWebサイト「好書好日」で「次回の読書面」をチェックする。週末の書評欄で取り上げられる書籍が載っており、「畏れ入谷の彼女の柘榴」(舞城王太郎「同志少女よ、敵を撃て」(逢坂冬馬)が予告されていた。ただ、順番的に「同志少女よ~」は著者インタビューの可能性がある。

(12月5日に確認したところ、やはり、インタビューであった)

家族が就寝のため2階に行ったので読書をはじめる。津村記久子「現代生活独習ノート」のなかの「粗食インスタグラム」。アルバム「Presence」をかけながら読んだが、アルバムが1周し、すこししてから読み終えた。アルバムが39分で、短編が40ページ。ちょうどいいタイミングであった。

<< 2021年11月に読み終えた本 >>

「出禁の男 テリー伊藤伝」本橋信宏

「ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある」パリッコ

「平成のヒット曲」柴那典

「0mの旅」岡田悠

「ブラック・チェンバー・ミュージック」阿部和重

「さよならお婆ちゃん」松尾スズキ河井克夫(チーム紅卍)

12月2日(木)

ここ数日は「現代生活独習ノート」を毎日1篇ずつ読んでいたが、昨晩は読みかけたら寝落ちしてしまって読めなかった。昨日の続きを読み、その勢いでもう1篇読んだので、全7篇を読み終えてしまった。

12月3日(金)

朝、早めに起きて昨晩録画した「アメトーーク 読書芸人2021」を見る。

カズレーザー、Aマッソ加納愛子、ティモンディ前田、ラランド西田、ゾフィー上田が出演し、お薦めの本を紹介していた。

紹介された6~9冊では、ラランド西田と自分の読書傾向が似ていると感じ、「いつか深い穴に落ちるまで」(山野辺太郎)を注文した。ベッドの横幅に並べられた本も文芸を読んでいる人のラインナップであった。西田の書くネタとか小説が読みたいわけではないが、読書日記とか書評の連載は読みたいと思った。

Aマッソ加納のように海外文学も読むような読書生活が理想。

カズレーザーは年間500冊買うのに本棚がないらしく、電子書籍が多いんだろうけど、その割り切り方がカズレーザーらしいと感じた。

ティモンディ前田は伊坂幸太郎森見登美彦を紹介しており、照れがなくていいなと思った。

ゾフィー上田の本棚に「週刊だえん問答」(若林恵が2巻とも収納されていることを確認する。

12月4日(土)

「同志少女よ、敵を撃て」を読み進める。

12月5日(日)

12月4日の朝日新聞に続き、12月5日の読売新聞にも「同志少女よ、~」の著者である逢坂冬馬が登場し、インタビューに応じていた。

橋本倫史は松尾スズキの近刊2作を取り上げ、中島京子「人工島戦記」(橋本治を取り上げ、その他にも購入してあった作品がいくつか取り上げられており、週末の書評欄が充実していた。

図書館に長嶋有「ルーティーンズ」が入荷していたので借りた。「願いのコリブリ、ロレックス」を読み、表題作は「群像」本誌で読んだので軽く読み流して読み終えた。

<< 今週、購入した本 >>

「いつか深い穴に落ちるまで」山野辺太郎

 

 

阿部和重「ブラック・チェンバー・ミュージック」(毎日新聞出版)

書影:ブラック・チェンバー・ミュージック 

分断された世界に抗う男女の怒濤のラブストーリー!

落ちぶれた映画監督の前に突然現れた北の女密使。
出会うはずのない二人が、国家を揺るがす〈禁断の事実〉を追う。

いまから話す内容を決して口外してはならない――
大麻取締法違反で起訴され、初監督作品はお蔵入り、四十を前にキャリアを失い派遣仕事で糊口をしのぐ横口健二に舞い込んできたのは、一冊の映画雑誌を手に入れるという謎の「極秘任務」だった。
横口は北朝鮮からの"名前のない女"とともに、禁断の世界に足を踏み入れていく。

一触即発のリアルな国際情勢を背景にくりひろげられるスリルと〈愛〉の物語。

朝日、読売、毎日、日経、産経、共同通信南日本新聞山形新聞週刊現代婦人公論文學界ほか各紙誌で大反響!!

「リアルな国際政治状況を踏まえながら、こんな荒唐無稽で痛快無比な、一風変わった小説を書けるのは、阿部だけだろう」――佐々木敦(「週刊現代」)

「熱量あふれるエンターテインメントの大作だ」――久保陽子(「南日本新聞」)

「いかにもなフィクション的要素と史実を接続、融合させるのが阿部和重の面目躍如」――江南亜美子(「朝日新聞」)

「...これは阿部版『愛の不時着』かとも思わせる純愛物語になり、ほろりとさせられてしまう」――中条省平(共同配信)

「出会うものの一つずつは薄っぺらなのに、気づけば厚みが生まれる。つまり、この物語は人生そのものを描いている」――読売新聞

 

 

「ブラック・チェンバー・ミュージック」の感想をまとめようとするときは、それが「毎日新聞」に連載されていたというところからはじめたい。

「BCM」は2019年8月1日から20年12月3日にかけて連載されていました。

毎日新聞」に連載された新聞小説がもたらした効果は2点あります。

1つ目は、読みやすい長編小説になったということ。

阿部和重は純文学作家と括られ、難しい小説を書いている印象がありますが、本作が読みやすいのは「毎日新聞」という媒体に連載されていたからです。文芸誌より購読数が多く、幅広い年齢層に届けられる新聞小説であったため、阿部和重は難しいと敬遠しがちな私でも読み通すことができました。

2つ目は、新聞小説は挿絵とセットになっているということ。

吉田修一の「惡人」は束芋で、伊坂幸太郎の「ガソリン生活」は寺田克也で、森見登美彦の「聖なる怠け者の冒険」はフジモトマサルであったように、挿絵で小説の魅力が増大されます。
「BCM」は挿絵ではなく、相川博昭による写真でした。写真には街中のグラフィティが写り、書評ページ読みたさで日曜日の新聞を購入した際に目を通すたび、どのような関連があるのかと考えていました。

グラフィティの写真が挿絵として採用された意図は話の4終盤で明らかになります。単行本版では、最初と最後に2枚の写真が掲載されていただけでしたが、新聞連載全475回を追っていれば日々の積み重ねが大きな驚きにかわっていたのでしょう。毎日新聞のサイトでは475枚の写真を見ることができますので、その膨大な量を追体験することをお薦めします。ただの落書きからアート作品かと思うものまで、ものの見事にグラフィティの写真ばかり。

シンセミア」などの小説のカバー写真を撮った相川博昭は、阿部和重と日本映画専門学校時代の同級生であり、マンガ家・榎本俊二を含めた交流は「思ってたよりフツーですね」で描かれています。

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ブラック・チェンバー・ミュージック | 毎日新聞



さて、「ブラック・チェンバー・ミュージック」という物語について。

題名は「The Black Chamber/アメリカ合衆国の暗号解読機関」と「chamber music/室内楽:少人数の独奏楽器による合奏音楽」を合わせたもの。

本書における「ブラック・チェンバー」要素は、朝鮮民主主義人民共和国の元首が書いたとされるヒッチコックに関する論文を入手すること。

「チェンバー・ミュージック」要素は、「室内楽」を具体的に思い浮かべることはできないまでも、登場人物の少なさや裏社会としての密室感、小説のテンポなどに宿っているように感じた。

阿部和重作品は「ニッポニアニッポン(2001年)」と「ABC戦争(新潮文庫/02年5月)」しか読んだことがないけれど、本作「BCM」は「ニッポニアニッポン」のようなエンタメに寄ったロードノベルであった。

主人公は大麻による逮捕で監督第1作目が公開中止になった元・映画監督。執行猶予つきではあるが映画製作の現場に復帰できず、ブライダル撮影の派遣で糊口を凌ぐ30代後半の「横口健二」。

旧知の暴力団員に北朝鮮の幹部が探しているという映画評論の原稿の入手を依頼されたところから話がはじまります。ヤクザは密入国したという長身の女性を連れていて、その女性「ハナコ(仮名)」を預かり、行動していきます。

渡された評論の断片を持ち映画雑誌の編集者、映画評論家、神田の古書店などを訪ねていきます。

主人公の横口健二に大麻による逮捕という過去はあるが、逮捕された経緯が語られることはなく「そういうこともあった」くらいの温度で進行していきます。関わる人物が、大柄のヤクザや共和国から来た女性、映画雑誌の編集者、映画評論家、古書店主や大柄のヤクザの仕事相手のヤクザと大柄のヤクザと敵対するヤクザと韓国大使館の職員などだからなのでしょうが、過去は問われず、不必要に後ろめたくなることもありません。過去は問われないが、現在を問われる厳しくも優しい世界と感じました。

帯には「分断された世界に抗う男女の怒濤のラブストーリー!」とあるけれど、ラブストーリーというほど甘くはなく、同じ目的にむかう男女コンビのような初々しい関係でした。「愛の不時着」に引っ張られ過ぎた帯コピーと感じます。引用された書評にもラブストーリーに重きをおいたものが1本のみであることからも、それは分かるかと思います。

物語の推進力が強く、グイグイ進んでいくので、楽しく読み終えることができました。

作中で流れるシカゴの「素直になれなくて」とtotoの「ホールドユーバック」、それとチャーチズについては改めて聴いてみたい。

柴那典「平成のヒット曲」(新潮新書)

平成とは、どんな時代だったのか――。「川の流れのように」から「Lemon」まで、各年を象徴する30のヒット曲から時代の実像に迫る。ミリオンセラー連発の1990年代、音楽産業が大きく変化した2000年代、新たな流行の法則が生まれた2010年代……。小室哲哉からミスチル宇多田ヒカルSMAP星野源まで、いかにしてヒット曲は生まれ、それは社会に何をもたらしたのか。ヒットの構造を分析し、その未来をも占う画期的評論。

本書でいう「ヒット曲」とは単純に最も売り上げた楽曲を指すのではなく、その年の「代表曲」という意味合いで選出されています。

著者の好き嫌いは排され、俯瞰した視点からまとめられた通史であり、教科書のような一冊。教科書なので書評には向かず、この本を基準にしながら自分と平成の関わりを振り返るのが本書との適切な向き合い方であると思う。

ここでは箇条書きで気になったことや知ったことをメモ程度に残しておきたい。

  • 30曲のなかに小室哲哉2曲、秋元康2曲、小林武史2曲、ジャニーズ2曲。
  • 前半は各章(各年/各楽曲)に12ページ前後くらいの分量が割かれるが、2006年から2008年にかけてはページ数が少ない(最小は2008年の5ページ)。筆者のテンションに上下はないから、音楽業界の停滞に起因するのだと思う。
  • 「イージュー★ライダー」(奥田民生)は映画「イージーライダー」だけでなく、奥田民生が30歳だったので、「30」を意味する業界用語の「E10」にもかかっていたことを知る(奥田民生は1965年5月12日生まれで、リリース日は1996年6月21日)。
  • TSUNAMI」(サザンオールスターズ)は現在もラジオで流すことがためらわれ、ライブで披露されていない楽曲になっていることを本書で知る。
  • 「小さな恋のうた」(MONGOL800)については、こめられた意図を知らなかったので、この楽曲だけでなくアルバム「MESSAGE」を通して聴いてみたいと感じた。
  • 嵐の「国民的ヒット曲」とは何か?という問いに答えが出ていない、という指摘には同意。本書では2009年に紅白歌合戦初出場時の「Believe」を配置しているが、個人的にはタイトルだけでは曲が浮かばず、据わりの悪い感じを受ける。
  • 30曲のなかでは「Believe」と「千本桜」がピンと来ない。他の28曲は好き嫌いはともかく、どんな曲かはわかる。好き嫌いを超えて耳に入ってくるのがヒット曲の強さ。
  • hideが逝去しなかったら、嵐のストリーミング開始が早かったらという「たられば」が残る。
  • ヒップホップ関連ではZeebraをフィーチャリングした「Grateful Days」(Dragon Ash)について触れられていたが、平成30年間ではその年を代表するほどの楽曲はなかった。ヒップホップの市場規模は大きくなっているから、将来的にはヒット曲が出てくるんじゃないか。ラッパー単体の楽曲では厳しいだろうが、「Presence」(STUTS & 松たか子 with 3exes)のように歌手をフィーチャリングする形であれば、その可能性は高くなると思う。
  • アニメ「ちびまる子ちゃん」の曲に植木等が起用され、星野源植木等を引き継いでいるという指摘は、輪廻転生が行われていて読みごたえがあった。星野源植木等を意識していることは知っていたが、「ちびまる子ちゃん」の曲を植木等が歌っていたことを忘れていた。
  • トップセラーとヒット曲が連動しなくなったことでオリコンチャートが途中から機能しなくなり、そもそもトップセラーを配置しているわけではないから、30年の30曲を当てはめていく作業は大変な労力であったろうなと思う。

第一部 ミリオンセラーの時代
――1989(平成元)年〜1998(平成10)年
1.昭和の幕を閉じた曲
【1989(平成元)年の「川の流れのように」(美空ひばり)】
2.さくらももこが受け継いだバトン
【1990(平成2)年の「おどるポンポコリン」(B.B.クィーンズ)】
3.月9とミリオンセラー
【1991(平成3)年の「ラブ・ストーリーは突然に」(小田和正)】
4.昭和の「オバさん」と令和の「女性」
【1992(平成4)年の「私がオバさんになっても」(森高千里)】
5.ダンスの時代の幕開け
【1993(平成5)年の「EZ DO DANCE」(trf)】
6.自己犠牲から自分探しへ
【1994(平成6)年の「innocent world」(Mr.Children)】
7.空洞化する時代と「生の肯定」
【1995(平成7)年の「強い気持ち・強い愛」(小沢健二)】
8.不安に向かう社会、取り戻した自由と青春
【1996(平成8)年の「イージュー★ライダー」(奥田民生)】
9.人生の転機に寄り添う歌
【1997(平成9)年の「CAN YOU CELEBRATE?」(安室奈美恵)】
10.hideが残した最後の予言
【1998(平成10)年の「ピンク スパイダー」(hide)】

第二部 スタンダードソングの時代
――1999(平成11)年〜2008(平成20)年
11.台風の目としての孤独
【1999(平成11)年の「First Love」(宇多田ヒカル)】
12.失われた時代へのレクイエム
【2000(平成12)年の「TSUNAMI」(サザンオールスターズ)】
13.21世紀はこうして始まった
【2001(平成13)年の「小さな恋のうた」(MONGOL800)】
14.SMAPが与えた「赦し」
【2002(平成14)年の「世界に一つだけの花」(SMAP)】
15.「新しさ」から「懐かしさ」へ
【2003(平成15)年の「さくら(独唱)」(森山直太朗)】
16.「平和への祈り」と日本とアメリ
【2004(平成16)年の「ハナミズキ」(一青窈)】
17.消えゆくヒットと不屈のドリカム
【2005(平成17)年の「何度でも」(DREAMS COME TRUE)】
18.歌い継がれた理由
【2006(平成18)年の「粉雪」(レミオロメン)】
19.テクノロジーポップカルチャーの未来
【2007(平成19)年の「ポリリズム」(Perfume)】
20.ガラケーの中の青春
【2008(平成20)年の「キセキ」(GReeeeN)】

第三部 ソーシャルの時代
――2009(平成21)年〜2019(平成31)年
21.国民的アイドルグループの2つの謎
【2009(平成21)年の「Believe」(嵐)】
22.ヒットの実感とは何か
【2010(平成22)年の「ありがとう」(いきものがかり)】
23.震災とソーシャルメディアが変えたもの
【2011(平成23)年の「ボーン・ディス・ウェイ」(レディー・ガガ)】
24.ネットカルチャーと日本の“復古”
【2012(平成24)年の「千本桜」(黒うさP feat. 初音ミク)】
25.踊るヒット曲の誕生
【2013(平成25)年の「恋するフォーチュンクッキー」(AKB48)】
26.社会を変えた号砲
【2014(平成26)年の「レット・イット・ゴー 〜ありのままで〜」】
27.ダンスの時代の結実
【2015(平成27)年の「R.Y.U.S.E.I.」(三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE)】
28.ヒットの力学の転換点
【2016(平成28)年の「ペンパイナッポーアッポーペン」(ピコ太郎)】
29.新しい時代への架け橋
【2017(平成29)年の「恋」(星野源)】
30.平成最後の金字塔
【2018(平成30)年/2019(平成31)年の「Lemon」(米津玄師)】

 

 

読書日記(2021年11月8日~11月21日)

11月8日(月)

佐藤友美「書く仕事がしたい」を読みはじめる。

帰宅後の入浴時に「ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある」(パリッコ)を40ページくらい読む。少し前に読んだ「つつまし酒」より先に買って、読みはじめたが中断していたのを再開した(「ノスタルジー」は7月2日発売で、「つつまし酒」は8月25日発売)。

「つつまし酒」はどの話も飲酒ありきで進んでいたが、「ノスタルジー~」の方は食事がメインだけど表題作のような食べない話も載っている。

おもしろさは「つつまし酒」だが、書籍として保存したいのは装画が素晴らしい「ノスタルジー

寝室で「文学界」に載っている武田砂鉄と吉田大助のエッセイを読む。

11月9日(火)

入浴時に「ノスタルジー~」を40ページくらい読む。

11月10日(水)

入浴時に「ノスタルジー~」を40ページくらい読む。

「群像」で連載のはじまった「帰れない探偵 雨に歌えば」(柴崎友香)を読む。

11月12日(金)

「ノスタルジー~」を読み終える。

11月13日(土)

今週の書評欄では開高健の「ずばり東京」を念頭に依頼されたという「タイムズ」(真山仁)が気になった。真山仁の著書を読んだことがないので、気になるが買うかは不明。

買おうと思ったのは、日経新聞に広告が載っていた立川談志の若いころの日記(「談志の日記1953 17歳の青春」)。

朝日新聞に載った横尾忠則による「Bowie's Books」(ジョン・オコーネル)の書評は、横尾忠則にしか書けないものであった。基本的に書評は机上から産まれるが、体験が重なり合うエッセイのようになっていた。

「Bowie’s Book」は2013年に公開された「デヴィッド・ボウイが選ぶ100冊の本のリスト」をもとに、それぞれの本とボウイの人生や作品とのつながりを解きあかしていった作品。日本の作家からは「午後の曳航」(三島由紀夫)ともう1作が選ばれているらしく、、、。

ついでに私事になるが、英国で出版された僕の画集も100冊に加えられていて、ボウイに会ったとき彼は僕に「君は最初のパンクだ」と言って親指を立てた。

book.asahi.com

11月14日(日)

妻に「読売新聞」を買ってきてもらったが、今週も橋本倫史さんは書いていなかった。

11月7日の日記で以下のように書いた。

川名潤さんがアートディレクションをしているから気になっていた文芸誌「群像」を今年に入ってからちょくちょく買うようになり、ここ数ヶ月は毎月買っている。買っているがちゃんと読んでなくて、今年のノルマにしていた48冊(月4冊)の読書も達成できそうなので、文芸誌に載っている短編を1日1編読んでみようと考えた、昨日。

手はじめに「群像」2021年11月に載った舞城王太郎ドアドアドアド」。短編と括るには長かったので1日では読み終えられず、日曜の夜に読み終えた。

その後も1日1編とはいかない日もあるが、文芸誌を読むのを継続している。

連載漫画の単行本化と違って、文藝誌に載っても単行本になった時にその作品のみが収録されているわけではないというのがややこしいところ。

例えば「ルーティーンズ」長嶋有)は先日単行本が出版されたが、表題作だけではなく今年の初頭に文芸誌に掲載された作品も収録されているらしいし。

 

<< 今週読んだ文芸誌掲載作品 >>

11/7  「ドアドアドアド」舞城王太郎(40ページ) 群像2021年11月号

11/10 「15日のbeatleg」武田砂鉄(5) 文學界18年12月号

11/10 「文芸系のライターになるまで」吉田大助(5) 同上

11/11 「帰れない探偵 雨に歌えば」柴崎友香(12) 群像21年11月号

11/13 「ルーティーンズ」長嶋有(51/150枚) 群像21年8月号

11/13 「水納島再訪 1日目/2日目」(32)橋本倫史 同上

11/14 「水納島再訪 3日目/4日目」(37)橋本倫史 群像21年9月号

 

<< 今週、購入した本 >>

「あなたのための短歌集」木下龍也

 

11月17日(水)

<< 読みかけになっている本 >>

「メランコリック・サマー」みうらじゅん

「ブラック・チェンバー・ミュージック」阿部和重

「0mの旅」岡田悠

「さよならお婆ちゃん」松尾スズキ河井克夫(チーム紅卍)

「書く仕事がしたい」佐藤友美

「メランコリック・サマー」は階段においてあり、「あかり」と入浴した後で着替えを待つ間に読む。1話4ページ前後なので丁度良い。「週刊文春」の連載「人生エロエロ」をまとめた文庫オリジナル作品。たなかみさきの装画も良く、持っていたい文庫本。

「ブラック・チェンバー・ミュージック」は一時就寝前に布団で読んでいたが、最近は読めていない。もう少し読めばグルーヴがかかって面白くなっていくんだろうか?

「0mの旅」はネットで話題のライターの著作ということで読みはじめた。旅をしない自分と違うから読み進められないのかと考えたが、パリッコの著作は読み進められたので単純に相性の問題かもしれない。

「さよならお婆ちゃん」は隔週で刊行されていた時期の「テレビブロス」で連載されていたものをまとめたシリーズの最終巻。ブロスが隔週刊行から月刊に切り替えたのが2018年3月。もうそんなに経ったのかという感じ。単行本の発行が2019年2月。刊行直後に購入して読まずにいたが、最近になってトイレにおき、入るたびに1話ずつ読み進めている。

「書く仕事がしたい」は昼の休憩時に読んでいる。

今年はいまのところ46冊読み終えている。あと6週間あるからこの5冊ともう1、2冊読めればいいなと期待している。

11月20日(土)

週末の新聞の書評欄では「荘園 墾田永年私財法から応仁の乱まで」(伊藤俊一)が気になった。

書評欄ではタイトルと著者と評者をチェックして終わらせがち。たまには全部に目を通すこともしてみないといけない。

津村記久子さんの短編集「現代生活独習ノート」の最初の1篇を読む。私のベスト作家なのですが、その地位が揺らぐことのない出来であった。

11月21日(日)

「あかり」と散歩へ出かけたついでに駅のニューデイズで「読売新聞」を買ったが、今週も橋本倫史さんは書いていなかった。

 

<< 今週読んだ文芸誌掲載作品 >>

11/17 「水納島再訪 5日目/6日目」(35)橋本倫史 群像21年10月号

 

<< 今週、購入した本 >>

新日本プロレス英語入門」

「現代生活独習ノート」津村記久子

「同志少女よ、敵を撃て」逢坂冬馬

「平成のヒット曲」柴那典

「ランバーロール 04」

「談志の日記1953 17歳の青春」立川談志

松本隆 言葉の教室」延江浩

 

Creepy Nutsについて思うこと

Creepy Nutsクリーピー・ナッツ)が一番目立っているヒップホップアーティストであることに異論はありません。
楽曲の多くにタイアップが付き、テレビにもよく出ています。「生業」「のびしろ」「バレる!」あたりはよく聴いているが、決して悪い曲ではありません。

とはいえ、ヒップホップ界隈では相手にされていないように見えます。

認められていない雰囲気を感じ取りR-指定は「覇王になりたい」と意識せざるをえないのではないでしょうか?(※「あちこちオードリー」出演時の発言)

R-指定は「ラップスタア誕生」の審査員をしていますが、RYUZO、AKLO、Awich、IO(KANDYTOWN)、T-Pablow(BAD HOP)、YZERR(BAD HOP)といった面々のなかで浮いているようには見えず、的外れなことも言っていません。

Creepy Nutsのヒップホップ村での扱いの低さはどこに起因するのでしょうか?理由を考えてみたいと思います。

THA BLUE HERBとRHYMESTAR、THA BLUE HERBYOU THE ROCK☆のように時間が解決するのかもしれない、と考えましたがCreepy Nutsはアーティストからディスられているわけではないから例えが違いました)

(0)ZORNとの違い

単純に売れているから嫌われているのでしょうか?

Creepy Nutsくらい売れているZORNと比べてみました。

Creepy Nutsのラジオにゲスト出演したり、輪入道とDJ松永の3人でプリクラを撮ったり、MCバトル出身だったり、武道館や横浜アリーナでのライブ経験など共通点の多いCreepy NutsZorn

R-指定は般若からダンジョンのラスボスを引継ぎ、ZORNは般若の主宰する昭和レコードに所属していたので、般若という共通点もあります。

共通点はあるがプロップスという点では大きく差があります。

この違いはなんでしょうか?

出自や見た目はおいておくとして、楽曲へのゲストなど他のラッパーとの交流、テレビ出演あたりでしょうか?

(1)テレビへの出演

フリースタイルダンジョン」以降、継続してテレビに出続けているから、世間的にはCreepy Nutsがヒップホップの代表として見られています。テレビに出て汚部屋を掃除したり恋愛ドラマにコメントしたりをヒップホップの活動として認めたくないという気持ちがCreepy Nutsの低評価に繋がっているのではないでしょうか?

マツコ会議」でテレビ出演については「事務所に任せている」とDJ松永が言っていました。主体性のない発言でガッカリしました。

「ラップスタア誕生」でのYZERRの「ブランディングが大切」という発言をR-指定はどのような気持ちで聴いていたのでしょう。

アメトーーク」で「かまいたちビックリ芸人」が成立するように、お笑い芸人が露出を増やすことは正義とされています。それは芸人とテレビの親和性が高く、芸人のゴールがテレビの冠番組というところに設定されているからです。

ECDは亡くなり、ZEEBRAはテレビと不倫で、K DUB SHINEはあんなんで、宇多丸ラジオDJと年長者の活動が活発ではありません。ラッパーのゴールがテレビに出ることではないのは当然なのに、テレビタレントのような売り出し方をされています。Jay-zカニエほどのロールモデルが日本で定まっていないことにCreepy Nutsの不幸の一端があります。

(2)権威に寄っている

テレビ出演時の肩書は、UMBフリースタイルバトル3連覇、DJ世界一、東京オリンピック閉会式に出演。

これはCreepy Nutsの責任ではないが、わかりやすく括られ、その括られ方が権威に寄りすぎていないでしょうか?

R-指定にもDJ松永にも下積みはあるはずですが、現状の括られ方ではスポーツのように競技

化した大会で優勝し、政治に利用された政府の犬に見えます。

少しずつ支持を広げて名前を大きくするのが理想ですが、現状ではテレビや競技化された大会、政府の力を使って名前を大きくしているように見えます。

(3)他のアーティストとの交流がない

R-指定は「ラップスタア誕生」や「フリースタイルダンジョン」で他のラッパーと共演し、「梅田サイファー」に所属していますが、Creepy Nutsディスコグラフィにフィーチャリングゲストを呼んだ楽曲はありません。

純粋に1MC & 1DJの形を突き詰めようということなのだろうけど、全体でシーンを盛り上げよう、誰かをフックアップするという視点がありません。

Creepy Nutsだけで完結しているから、批判も集中してしまっているのではないでしょうか?
誰かを呼んでいたら、呼ばれたラッパーは「Creepy Nutsを認めている」と認識されることになり、批判も薄れたのではないでしょうか?

(4)芸能関係の交流ばかりが目立つ

ヒップホップ好きを公言する芸人が増えてきています。「フリースタイルティーチャー」という番組が成立していることからも、一定数いることがわかります(誰が出ているかは知らん)。

カミナリ石田(ライブにZORNが出演)、とろサーモン久保田あたりが代表でしょうか?

一方で、ヒップホップを最も聴き込んでいるのは、オードリー若林ではないかという見方があります。若林はヒップホップが好きすぎるあまり、ヒップホップ好きを公言していないらしいので、芸人界隈では最もヘッズなのではないかという見方です。

オードリー若林は「ボクらの時代」でCreepy Nutsと3人で出演し、自身の番組「あちこちオードリー」にもCreepy Nutsを招いていました。

オードリー若林からしたら「リトルトゥース」を名乗り、南海キャンディーズ山里とのユニットライブ「たりないふたり」そのままのタイトルの楽曲を作る若い2人がかわいくないわけがありません。
いまCreepy Nutsの後ろ盾になっているのはオードリー若林と「考えすぎちゃん」の佐久間宣行さんだけになっていないでしょうか?

交流することが悪いわけではないですが、あまりにも芸能に寄りすぎています。

(5)現状認識がずれている

マツコ会議」でダンジョンでのミソジニーにDJ松永が言及したので当事者である椿がなんか言っていました。ダンジョンでのネタを持ち出し、そこをヒップホップの限界を語るということは、ヒップホップ=ダンジョンと考えているわけであり、そんなの支持するはずもありません。

何年も前のやり取りを持ち出す前に、AwichやNENEの活躍をどう思っているのでしょうか?アウトプットばかりでインプットが足りてないのでは?

ろくに活動していない椿に噛みつかれていることに関しては、DJ松永に少し同情するけど。

(6)Creepy Nutsが揃ったときに魅力がない

R-指定は「フリースタイルダンジョン」出演時に毎回Creepy NutsのTシャツを着ていたから「R-指定はCreepy Nutsというユニットを組んでいるらしい」「どんなユニットなんだ?」という期待の高まりがありました。

コンビで活動している以上、個人活動が活発なら余計に、2人揃ったときの輝きをこちらは期待しますが、現状ではCreepy Nuts2人揃ったときに魅力的に映りません。

 

<< 現状の結論 >>

Creepy Nutsに限らず「分かりやすく売れなくても、ダサいことはしてほしくない」とどのアーティストにも望んでいる私からすると「楽曲は悪くないが、事務所主導のテレビタレントになっているのがダサい」と思っています。

テレビとラジオはDJ松永だけが出て、R-指定はバラエティ番組に出ない、とかの戦略があればまた違ったのかもしれませんが、現状は見境なくテレビに出ているように見えます。

横浜アリーナでツアー組めるくらい一般に届いているのだから、私の考えが屈折している可能性は否定できません。

いや、進んでいる方向性はファンモンと一緒だから、たまたま接点があっただけで、私には関係のないアーティストということなのかもしれません。こっちだな、正しい解釈は。

 

前に書いたCreepy Nutsについてのエントリ

tabun-hayai.hatenablog.com

読書日記(2021年10月25日~11月7日)

10月25日(月)

「週プレ」の読書ページに「嫌われた監督」の著者である鈴木忠平さんのインタビューが載っていた。同じページで紹介されていた「反逆の神話」が気になったのでAmazonのカートに入れる。

「つつまし酒」(パリッコ)を読み終える。色々な酒の飲み方を実践されているが、ざっくり区分けすると「外で飲む」「店で飲む」「新しい道具を使って飲む」「珍しい食材で飲む」の4パターン。自分はほぼほぼ晩酌をしないけれど、お酒は好きなので、楽しさや美味しさが伝わってきた。毎週異なるお酒の飲み方を出し続け、写真を撮り、酔いつぶれないのだから楽しさの裏に凄みのある本だった。

朝が早かったから早く寝るつもりだったが、あまりの部屋の乱雑さに発狂しそうになりながら部屋を片付けてから寝室へ行く。「それでも吉祥寺だけが住みたい街ですか?」(マキヒロチ)1巻の3話と「東京の仕事場」TUGBOATのところを読んでから寝た。

10月26日(火)

「トゥーンブラスト」に時間をとられ、何も読んでない。

NHKで以前放送された「孤独死」のドキュメントを見る。熟年離婚と酒とヒートショックには気を付けたい。

10月28日(木)

研修で松本市に行ったので、休憩時間に丸善へ行く。いまだにジュンク堂書店と認識している。

Amazonのカートに入れていた「反逆の神話」をまずカゴに入れる。その後、店内を周遊する。来るのは3月以来だし、そもそも書店に寄るのが久しぶりだった。

読書記録をつけるのに便利な「yPad」。継続性がないので使いかけのがあるはずだが、今年は新しいのが発売されないらしく、Amazonだと高値がついていることもあり、在庫のあった「yPad half X」を買う。
広告クリエイティブ関係の本は「ブレーン」を毎月チェックすれば情報が入るのだろうが、「Web本の雑誌」の「新刊番台」や新聞の書評欄には載ってこないのでジュンク堂書店へ来た時に棚をチェックするのが習慣。

今回は小田桐昭の「幸福なCM」。 日本のテレビとCMは、なぜつまらなくなったのか」を見つける。TUGBOATの岡康道さんについて触れている章があった。

読めるとは思わないが「何もしない」も買う。

guca owlのインタビューが載っているサイゾーを買い忘れたので帰る前にもう1度寄る。「ディス・イズ・ザ・デイ」のサイン本を見つけたので、併せて買う。

Amazonでも書店でも結局何冊も買ってしまう、読みもしないのに。

10月30日(土)

職場で動員がかかったので、午後から自転車レースの手伝いに行く。コース上の持ち場で落車などによるコーステープが切れた際に修復する仕事。要は暇な仕事だったので、椅子に座りながら「お金のむこうに人がいる」(田内学)を読む。

帰宅後、入浴しながら「魔性ですか?」高岡早紀)を読んで、読み終わる。「ビシッ!」「パキッ!」「バシッ!」という擬音語が似合う人だと感じた。

10月31日(日)

衆議院議員選挙の投票事務だったので、7時から19時まで拘束される。結果として170人しか来ない投票所で、持て余す1日になったので読書が進む。

「お金のむこうに人がいる」を読み終わり、「出禁の男 テリー伊藤伝」本橋信宏)を読みはじめる。「出禁の男」は一気読みできるくらい面白い。

<< 今週、購入した本 >>

「思いがけず利他」中島岳志

「反逆の神話 「反体制」はカネになる 新版」著     ジョセフ・ヒース、アンドルー・ポター

「何もしない」ジェニー・オデル 

小田桐昭の「幸福なCM」。 日本のテレビとCMは、なぜつまらなくなったのか」

「ディス・イズ・ザ・デイ」津村記久子(文庫)

「yPad half X」寄藤文平

サイゾー

「わくわく難しすぎるまちがいさがし vol.2」

「東京の仕事場」(メルカリ)

「大人失格」松尾スズキ(単行本/メルカリ)

11月2日(火)
前日から急ぎの仕事はないなと思っていたこともあり、今日は休もうかなと言ったら、「あかり」も休む気になってしまったので、結局休むことになった。前の日に言うのと当日朝に言うのでは違うんだよな、と思うが仕方ない。

実家へ行って荷物を置き、祖母から野菜をもらい、本を何冊か持って帰宅。

11月3日(水・祝)

午前中は妻の実家へ出かけて行ったので、寝室で「出禁の男」の続きを読む。

午後は昼寝をしてしまい、読書は進まない。夜も早くに寝た。

11月5日(金)

帰宅後に入浴しながら「出禁の男」を読み、読み終わる。日曜日に読みはじめて、金曜日に読み終えた。

「江頭グランブルー」で章立てされていたが、浅草キッドが「テレビブロス」に連載していた男の星座で読んだことあるなと思いだし、「お笑い男の星座」シリーズをメルカリで購入した。

今年のベスト3冊は、今のところ「ツボちゃんの話」(佐久間文子)、「嫌われた監督」、「出禁の男」という人物ノンフィクションの3冊。

11月6日(土)

セブンイレブンザ・ファブル The second contact(1)」を買う。

毎日新聞」で鈴木成一さんが取り上げていた「美しいノイズ」Amazonのカートに入れる

朝日新聞」に「嫌われた監督」の書評が載っていた。

book.asahi.com

朝日新聞の書評は「好書好日」というサイトで(数日遅れで)読めるのが素晴らしい。他の新聞社も見習ってほしい。

11月7日(日)

「読売新聞」を買ったが、今週は橋本倫史さんが書いていなかった。

川名潤さんがアートディレクションをしているから気になっていた文芸誌「群像」を今年に入ってからちょくちょく買うようになり、ここ数ヶ月は毎月買っている。買っているがちゃんと読んでなくて、今年のノルマにしていた48冊(月4冊)の読書も達成できそうなので、文芸誌に載っている短編を1日1編読んでみようと考えた、昨日。

手はじめに「群像」2021年11月に載った舞城王太郎ドアドアドアド」。短編と括るには長かったので1日では読み終えられず、日曜の夜に読み終えた。

<< 今週、購入した本 >>

「書く仕事がしたい」佐藤友美

「ゲストリスト」ルーシー・フォーリー

「美しいノイズ」谷尻誠、吉田愛

KAMINOGE 119」

「群像 2021年12月号」

「SAUNA BROS. vol.2」

「お笑い男の星座」浅草キッド(文庫/メルカリ)

「お笑い男の星座2」浅草キッド(文庫/メルカリ)

「キッドのもと」浅草キッド(文庫/メルカリ)

ザ・ファブル The second contact(1)」南勝久

 

読書日記(2021年10月14日~24日)

10月14日(木)
いま読んでいる本

「人口島戦記」橋本治
「ブラック・チェンバー・ミュージック」    阿部和重
「0mの旅」岡田悠
「つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン」パリッコ

以前は妻と娘が寝たあとはリビングで本を読んでいた。本を読もうとしても結局スマホやテレビを見てしまい、最終的に寝室へ行くのは24時、25時なっていた。
バイオリズムが悪くなっている感じがしたので、そろそろ生活態度を見直そうという気になり、手始めにリビングで本を読むのをやめてみることにした。
テレビやスマホが優先される習慣はそのままだが、ひと段落したら「中2階」へ上がるようになった。
「中2階(ちゅうにかい)」と呼んでいるリビングと寝室の間の階にある部屋で歯を磨きながら「人口島戦記」を読む。「人口島戦記」は10,000円するくらい大きい本なので何かに置きながらでないと読むことができない。なので小さい折り畳みデスクに置いて読んでいる。途中で口をすすぎに行き、読むのを再開する。1日10ページ目安で読み進めようと考えている。
「人口島戦記」を10ページくらい読んだら2階の寝室へ上がる。スタンドの電気をつけて横になりながら「ブラック・チェンバー・ミュージック」を眠くなるまで読む。
眠くなったらスタンドの電気を消し、ポータブルCDプレーヤで音楽を聴きながら目を閉じる。
「0mの旅」は職場で昼休みに読んでいる。装丁が良いと思ったら吉岡秀典(セプテンバー・カウボーイ)であった。編集者は田中泰延の2作を担当している人だった。編集者つながりで「お金のむこうに人がいる」を(Amazonが在庫切れだったから)hontoで注文した。
「つつまし酒」は1話の分量が短く、内容の軽さがちょうどいいので、トイレや1人での入浴時、娘と入浴した時に支度を待つ間とかに読んでいる。

10月16日(土)
週末の新聞には書評欄が掲載されるので、買いに行くのが習慣になっている。土曜日は朝日新聞毎日新聞日本経済新聞信濃毎日新聞(長野県在住なので)で、日曜日が読売新聞。産経新聞は読まない。
朝日はデジタルを購読しているからスマホで読むので、土曜日のコンビニでは毎日新聞日経新聞、信毎を購入する。
しかし、帰宅後に毎日新聞と間違えて読売新聞を買っていたことに気づく。その後で、外に出る機会はあったが買いそびれてしまい、そうなると何を取り上げたのかが気になりTwitterをチェックしたら「くらしのアナキズムが取り上げられていた。
まだ1冊も読み通せたことはないのだが、出版されると買っている作家の1人が松村圭一郎さん。買いに行くのは諦め、日曜日に図書館で確認することにした。

10月17日(日)
妻と娘は妻の実家へ遊び行った。
部屋の片づけしたり、テレビ見たり、TVer見たりして読書は全然できなかった。
午後4時になり徒歩で図書館へ行く。土曜日の毎日新聞と日曜日の読売新聞を読む。読売新聞には橋本倫史さんの書評が載っていた。取り上げられているのは「出禁の男 テリー伊藤伝」(本橋信宏テリー伊藤は苦手だが、読んでみようという気になり、Amazonのカートに入れる。隣の欄のコラムで触れられていた「翼の翼」(朝比奈あすか)は貸し出し中だったのでそのうち借りて読もう。3冊借りて帰る。
今日になって急に冷え込み「人口島戦記」は読まずに2階へ上がった。
布団に入り、図書館で借りた「ネコは言っている、ここで死ぬ定めはないと」(春日武彦穂村弘、ニコ・ニコルソン)を読む。眠くなったのでZORN「生活日和」を聴きながら寝た。

週末に届いた本
「お金のむこうに人がいる」田内学
「旅のない」上田岳弘
「ゲットーに咲くバラ 2パック詩集」
「文藝 2021年冬季号」
「フリースタイル49号」
「39 熊田曜子写真集」

10月18日(月)
水道橋博士「藝人春秋Diary」が届く。
Amazonで注文したあとにスモール出版STORESからの入荷メールでサイン入りの物が売り出されたことを知って、版元は文藝春秋なのに何でスモール出版でも売るのかと疑問だったが、前作と前々作に引きずられた私の勘違いで、スモール出版からの発行でした。
分厚さは気になったが読みたさが勝り、お風呂に持ち込んで入浴しながら読む。
まずは、「松本人志」のところから。いやはや、面白い。
水道橋博士は、芸能界での場所と自身の文才がちょうど良く交差している稀有な人だと思う。自身の冠番組を何本も持ってしまえば人との出会いはあっても迎える側になり、人選もスタッフからのバイアスがかかってしまう。また、ゲストに呼ばれる機会もなくなってしまう。全く売れてなければ、そもそもスターと出会うことがない。
ビートたけしという師を持つ水道橋博士の立ち位置は唯一無二であり、ルポライターとしての臭覚もあるのだから、面白くならないわけがない。
東野幸治が近い位置にいるのかもしれないが、いかんせん守備範囲が吉本興業周辺に固まっているから水道橋博士ほどの多様さはない。
文才でいえば爆笑問題太田光又吉直樹バカリズムもいるが、作家であり、ルポライター気質はないように思える。
いつまでも読んでいられるが勿体ないので100ページちょっと読んで止めた。
寝る前に布団で「ブラック・チェンバー・ミュージック」を数ページ読む。

10月19日(火)
引き続き「藝人春秋Diary」を読む。
「スズキが覗いた芸能界」という著作をもつ松尾スズキさんも水道橋博士に近いスタンスであったなと思い至った。その後は、映画やドラマの主演俳優や主演女優をキャスティングできるようになったので、もう「覗いている」感覚は薄まっただろうなと思う。
 久しぶりに「スズキが覗いた芸能界」を読みたくなった。

10月20日(水)
引き続き「藝人春秋Diary」を読む。

10月21日(木)
引き続き「藝人春秋Diary」を読む。
寝室で布団に入りながら読んで、読み終わる。560ページがあっという間だった。スモール出版からの発行になった経緯にも触れられていた。
別の本を読む時間はあったが、寝ることにした。

10月24日(日)
週末の読書は思ったより進捗がなかった。
今週は橋本倫史さんの書評が載らなかったこともあり、週末の読書面で読みたくなるものはなかった。

今週届いた本

「藝人春秋Diary」水道橋博士
「出禁の男 テリー伊藤伝」本橋信宏
「それでも吉祥寺だけが住みたい街ですか?(1)」マキヒロチ
「Serina. 芹那写真集」
「スズキが覗いた芸能界」松尾スズキ(メルカリ/単行本と文庫)