古賀史健「さみしい夜にはペンを持て」
ベストセラー「嫌われる勇気」で知られる著者は過去に「20歳の自分に受けさせたい文章講義」(星海社新書/2012)、「みんなが書き手になる時代のあたらしい文章入門」(スマート新書/2017)、「取材・執筆・推敲」(ダイヤモンド社/2021)という3冊の文章指南書を既に出版しています。
「取材・執筆・推敲」の帯には担当編集者が「この一冊だけでいい。100年後にも残る「文章本の決定版」を作りました」と書くだけあって、定価3,000円の大著です。
「取材・執筆・推敲」は買ったきり読めてないけど、本の風格、タイトル、価格からいって著者の集大成に感じていました。
しかし、前作から2年経って出版された4冊目となる新しい文章指南書はキラキラした装丁の児童書でした。
本書は学校生活に悩む中学生のタコジローとヤドカリのおじさん対話で話が進みます。おじさんはタコジローに日記を書くことを薦め、タコジローが日記を書き薦めるなかで突き当たる悩みをおじさんに相談し、おじさんが指南していきます。
説教くさくならず、平板な会話にもならないのは著者の力量です。文章指南の本で文章が面白くなかったら何の説得力もありません。
ノート8ページにわたって抜き書きしたなかで、最も印象に残るのは以下のところです。
書くときのぼくたちは「手を動かすこと」が面倒くさいんじゃない。「頭を動かすこと」が面倒くさいんだ。
「考える」と「思う」の違いは「答えを出そうとすること」にある。
考えるのはすべて、なんとかして「答え」を出すため。そしてどんな問題でも真剣に考えていけば、いつかは答えにたどり着く。もちろん数学と一緒で、答えを間違えることはあるだろう。結果的に不正解だったということもあるだろう。でも、考える力さえあれば、自分なりの答えを出すことはできる。
筆算するとき、つまり計算式を解くとき、ぼくたちは答えもなにもわからないまま書きはじめるよね?それと同じで、まずは書いてみる。書きながら考えていく。そうすればいつか、自分だけの答えにたどり着く。
印象に残ったのは、20年以上繰り返し唱えているMr.Childrenの「CENTER OF UNIVERSE」の一節と呼応したせいもあります。
悩んだ末に出た答えなら 15点だとしても正しい
後半になって、耳の痛いフレーズも出てきます。
ことばにするのがためらわれることもある。なぜか。それはことばにすることが、「現実を直視する」ということでもあるからなんだ。
ことばにするとね、見なくてもすんだはずの現実を直視しなきゃいけなくなるんだ。だれかのいやな姿とか、自分のドロドロした部分とか、自分が置かれたほんとうの立場とかをね。
書くことは答えをだすこと。
これが本書を読んだ私の解答です。
樋口毅宏「無法の世界 Dear Mom,Fuck You」
樋口毅宏の発禁後第一作「無法の世界」を読む。
正確には『中野正彦の昭和九十年』が出版社イースト・プレスの担当とは異なる編集者にイチャモンをつけられて回収に追い込まれた後の第一作。
本作は本作で江口寿史がなかなか装画を仕上げてくれず、やきもきする様をツイッター(現X)に公開していました。このことについては雑誌「フリースタイル」にも寄稿しているらしいので、あとでチェックします。
私は樋口毅宏作品を買うけど、読まないタイプの読者です。デビュー作「さらば雑司ヶ谷」のころから何作も買っているけれど、読み通したのは「ドルフィンソング」と「タモリ論」とコラム集くらい。
そんな私は本作「無法の世界」をどう読んだのか?
年間ベストに入る作品ではないけれど、本棚に残り続ける作品であると感じました。
また、樋口毅宏は日本の出版界にとって必要な作家であるとも。樋口毅宏のいない出版界は窮屈だし、文芸界を拡張する作家が樋口毅宏です。
近未来を設定にしながらも、「ツイッター」とか「Clubhouse」とか「お台場の観覧車」とか既に名称が変更されたり、だれも使わなくなったり、撤去されたりしているものはありますが、パラレルワールドの先の近未来ということで、そこには目を瞑ります。
樋口毅宏は作品を通して何かを訴えたい作家ではなく、頭に浮かんだものを作品として出している作家だと思うので、ストーリーはあってないようなもの。
気候変動が進行した近未来の日本で、久佐葉イツキが同性パートナーと少年と一緒に故郷へ向かおうとするロード・ノベル。
「エロ&バイオレンス」の要素もあるので嫌悪感を抱く読者もいるだろうけど、私的にはエロはもっとゆっくりしっとり書いて欲しかったし、バイオレンスは痛みを想起させなかったので物足りなさがありました。
樋口毅宏作品には「引用、影響、パスティーシュ、オマージュなど」があるようです。
今回の作品で気づけたのは、以下の2ヶ所。
女優を妻に持つコピーライターが遠回しに援護ツイートした。
“おくにのわるぐちをいうひとはきっとバチがあたるんだろうなあ”
「聞いたことがないか。東京ドームの下に地下闘技場があって、そこで現役の金メダリストや横綱やボクシングのヘビー級チャンピオンが禁断の対決をしていると。東京ドームは隠れ蓑なのだ」
樋口毅宏作品が本棚に残り続ける作品である理由は物としての趣向が凝らされていること。
「無法の世界」の装画は江口寿史でしたが、過去には柳沢きみお、岡崎京子を起用しており、読み終わってもメルカリメルカリということにはなりません。
リアリティはないけれど、読者を引き込む力はある。
樋口毅宏作品について書けるのは今のところこのくらい。
あと、「中野正彦の昭和九十二年」(メルカリの最安値は6,980円)が改めて刊行されることを期待しています。
雑誌のファイリングの正解
マンガ雑誌「ビッグコミックオリジナル」には「オリジナリズム」というコラムページがありました。毎号3名が寄稿しており、読み物ページとして愛読していました。
「ありました」「いました」と書いたように、2023年7月5日の号で突然「オリジナリズム」が最終回を迎えたのです。
いずれ「オリジナリズム」をまとめた単行本が発行されることを期待していたけれど、なかなかその気配もありません。
最終回にあたり、慌てて家にある数号分の「オリジナリズム」を切り抜きました。
さて、そのファイリングはどのようにすればいいのか?
以前から構想していたわけではないけれど、すぐに最適解へと辿りつきました。
用意したものは「ゲージパンチ」(カール事務器)と「テフレーヌ」(キングジム)。
「ゲージパンチ」はルーズリーフを自作するためのパンチです。
普通の穴あけパンチだと紙の辺から9〜10mmのところに穴が空きますが、ゲージパンチは3.6mmのところに穴があきます。
雑誌はフチギリギリまで印刷されているので、この差は小さくありません。
「テフレーヌ」の利点は、通常のルーズリーフファイルと異なり上下2ヶ所で紙をまとめるので、穴を開ける数が少なくて済むこと。
「ゲージパンチ」と「テフレーヌ」を組み合わせることで、ファイリングの正解に辿り着いてしまいました。
結構、使えると思うので、この組み合わせはおすすめできます。
新潮文庫「海外名作発掘シリーズ」
「海外名作発掘シリーズ HIDDEN MASTERPIECES」をご存じでしょうか?
大々的な宣伝はせず、証しは帯に描かれた小さなマークだけ。そんな「わかる人だけわかる」感もマニア心をくすぐる「海外名作発掘シリーズ」が、新潮文庫で継続中だ。エンタメの旧作を中心に国もジャンルも幅広く、オール初邦訳で紹介する。
https://book.asahi.com/article/14796140
シリーズ第1作は2022年5月の「気狂いピエロ」で、最新刊は2023年6月の「愚者の街」。約1年で7作が刊行されました。
松岡祐一さんという「早川書房時代にジム・トンプスン「ポップ一二八〇」の「ミステリマガジン」翻訳掲載にかかわったマニアック」(滝本誠の解説より)な新潮文庫の編集者が単独で行っているシリーズのようです。
以前は文庫の帯のマークだけが目印でしたが、「愚者の街」からは新潮社のPR誌「波」に掲載される新潮文庫の新刊紹介広告にもマークが添えられるようになり発見しやすくなりました。
7作品8冊のうち、私が所有しているのは4冊。品切れになる前に揃えておこうと思う。
ちなみに、読んだのは「愚者の街」上巻のみ。今は「悪魔はいつもそこに」を読み始めました。
2022年5月
「気狂いピエロ」ライオネル・ホワイト
2022年8月
「ギャンブラーが多すぎる」ドナルド・E・ウェストレイク
2022年9月
「スクイズ・プレー」ポール・ベンジャミン
2023年1月
「罪の壁」ウィンストン・グレアム
2023年3月
「はなればなれに」ドロレス・ヒッチェンズ
2023年5月
「悪魔はいつもそこに」ドナルド・レイ・ポロック
2023年6月
「愚者の街(上下)」ロス・トーマス
「老人と海」の5日間で起きていたこと
(訳・高見浩、新潮文庫)
1日目(P7~)
P7 漁師は老いていた。一人で小舟を操って、メキシコ湾流で漁をしていたが、すでに八十四日間、一匹もとれない日がつづいていた。
P8 全身、枯れていないところなどないのだが、目だけは別だった。老人の目は海と同じ色をしていた。生き生きとしていて、まだ挫けてはいなかった。
P12 希望と自信を、老人はまだ失ってはいなかった。それはいま、風が立ち上がるように息を吹き返していた。
P33 いまはツキに見放されているだけだ。でも、わからんぞ。きょうこそは運の潮目も変わるかもしれん。毎日が新しい日だ。運が向けば言うことはない。とにかく正確な手順を守ることだ。加えて運が向けば、何もかもうまくいく。
2日目(洋上1日目、P26~)
P42 正午ころ、カジキが掛かる
P66 「二フィートはこの舟より長いな」
※大魚は18フィート(5.486m)なので、舟は4.877mくらいか。
3日目(洋上2日目、P55~)
P76 シイラを釣る
P82 夜、シイラを捌く(胃袋からトビウオ2匹が出てくる)
P84 老人は切り身の一枚の半分を食べ、腸を抜いて頭を切り離したトビウオを一匹腹におさめた。
P90 (トビウオは)腸を抜いて、いつでも食べられるようになっている。左手でつかむと、老人は骨もよく噛んで、尻尾までむしゃむしゃと食べてしまった。
4日目(洋上3日目、P90~)
P100 カジキを釣り上げる
P103 小エビを食べる
P105 最初のサメが襲ってくる(大型のアオザメ)
「だが、人間ってやつ、負けるようにはできちゃいない」老人は言った。「叩きつぶされることはあっても、負けやせん」
P112 船べりから魚に手をのばして、サメが食いちぎったあたりの肉をすこしむしった。食べてみると、上質で味もいい。牛肉のようにしまっていて旨みがあるが、赤くはない。筋もないから、市場に出せば最高の値がつくだろう。それはいいのだが、この匂いだけは海中からなくせない。最悪の事態を老人は覚悟した。
P113 二匹のサメに襲われる
P119 日が落ちる直前、二匹のサメに襲われる
P122 魚にはもう話しかけられなかった。見るも無惨な姿になってしまったからだ。
P122 「闘う」老人は言った。「死ぬまで闘ってやる」
P125 夜半になってサメの群れに襲われる
P127 とにかく、風はおれたちの友だちだな、と老人は思った。もちろん、場合にもよるが、と頭の中でつけ加える。そして広い海には味方もいれば敵もいる。それからベッドだ。ベッドは味方だぞ。素晴らしいんだ、ベッドってやつは。いざやられてしまうと、気楽なもんだな。それが初めてわかった。で、おれは何にやられたのか。「そんなものはない」と声に出した。「ただ沖に出すぎたんだ」
5日目(P129~)
P130 「鼻から尻尾まで十八フィート」
※18フィート=5.486メートル
デルモア・シュワルツ「夢のなかで責任がはじまる」
2023年7月2日の読売新聞の書評欄で宮部みゆきがスティーブン・キング『死の舞踏』(2017年9月ちくま文庫/1993年)を紹介していました。
書店に在庫はなく、Amazonに注文したら730ページという分厚すぎる文庫が届きました。書店に実物があれば厚さに尻込みして買わなかったはず。
買ってしまったからには少しは読んでみようかと解説を読み始めました。
町山智浩による解説は以下のように始められます。
筆者が『死の舞踏』を初めて読んだのは遅かった。一九九八年、アメリカのニューヨーク州シラキュースに住んでいた頃だ。
妻がシラキュース大学で修士課程にいる間、自分も暇つぶしに州立オノンダガ大学で「ホラー映画」の授業をとった。
『死の舞踏』と同じ日に注文したのが『柴田元幸翻訳叢書 アメリカン・マスターピース 準古典篇』(2023年7月)。
デルモア・シュウォーツ「夢のなかで責任が始まる」が収録されていることが購入を決めた理由。
坪内祐三「変死するアメリカ作家たち」(2007年3月)は「日本であまり知られていない作家たちの変死ぶりから、20世紀アメリカの時代精神と彼らの反逆や渇望を描」いた評論集。
その評論集の冒頭を飾ったのが「デルモア・シュワルツの悲劇」。
「夢の中で責任が始まる」を読み返す前に「デルモア・シュワルツの悲劇」を再読し、「長いとはいえない生涯の晩年に彼が教鞭をとったシラキュース大学での教え子ルー・リードは彼のロック・バンド、ベルベット・アンダーグラウンドのデビューアルバムで「ヨーロッパの息子」という曲を彼に捧げている」という一節に目がとまります。
ルー・リードについては、「リー・ルード」というアナログフィッシュの初期曲やアンディ・ウォーホルのバナナのジャケットくらいの知識しかない私なので、デルモア・シュワルツの教え子だったというのは「トリビア」程度にしか思えません。
私のアンテナが反応したのは「シラキュース大学」というワード。
「シラキュース」という聞き慣れず見慣れない言葉を目にした覚えがあったのです。
『死の舞踏』を届いたのは7月17日。ここ半月で起きたことなのに、「シラキュース大学」を知った順序は曖昧。
とはいえ、本を読んでいて面白いのはこういうことが起きること。こういう現象をセレンディピティというらしい。
余談ですが、新潮社のPR誌「波」の2020年6月号に小澤身和子訳による「夢のなかで責任がはじまる」が掲載されており、高崎俊夫の「デルモア・シュワルツと坪内祐三」という解説も載っているという。
「波」は定期購読していて解説を読んだ覚えもあるが、すっかり忘れていた。捨ててないはずで、バックナンバーは自宅に運んだはずだから、今度取りに行こうと思う。
デルモア・シュウォーツ「夢の中で責任が始まる」をまだ読んでいない。
TANBUN No.175~178(印象に残ったテレビ)
No.175 一番カッコいい名前の料理名は?
6月3日放送の「人志松本の酒のツマミになる話」。
千鳥・大悟が「一番カッコいい名前の料理名は何だと思います?ワシはこれだって言うのがあるから、最後に言います」と話を切り出します。
私が瞬時に思いついたのは「ビーフ・ストロガノフ」。
松本人志は「ポーク・ジンジャー」。
おいでやす小田は「青椒肉絲(チンジャオロース)」。
中島知子は「チキン南蛮」。
板野友美さんは「ビーフ・ストロガノフ」と私と同じ答え。
ボディビルの横川は「ドラゴンフルーツ」と言いますが、それはずるいと言われていました。
松本人志は「月餅」と大喜利のようにズラしてもきました。
千鳥・ノブは「クアトロ・フォルマッジ」と閃いた顔で言い、他の人も同調していました。
さぁ、大悟は何というのか?
「サーターアンダギー」。
沖縄の人のイントネーション含めて、のんびりした印象があります。出演者も違うと思ったのか同意を得れず、「クアトロ・フォルマッジ」が暫定チャンピオンのようです。
ちなみにビーフ・ストロガノフはロシアの牛肉料理らしいです。
No.176 2023年6月1日(木)放送の『アメトーーク』
テーマは「ひとり飯大好き芸人」。
ケンドー・コバヤシとぼる塾・田辺さんが店を探すときのこだわりについて語っていました。
ケンドー・コバヤシは「〇〇食べたいんだけど、どこが良い?」と聞かれるのが「一番嫌」であるそう。
「だからいつも厳しいこと言うんすよ。痛みなくして前進なし、やぞって。自分で探せ、と」。
田辺さんもケンコバの主張に同調して言います。
「こっちがね、がんばって歩いて見つけた美味しいお店を、簡単に取ろうとしないでよ、あんた、って」。
「だから、このアメトーークの簡単に店教えてくれっていうシステム、俺、大っ嫌いなんすよ。痛みなくして、前進なしやぞって言うてんのに」とケンコバは締めていました。
No.177 『100カメ』
テーマは「余命と向き合う人」。
2020年1月に結婚式を挙げるも1ヶ月後に病気が発覚した妻(32歳)。
夫妻は結婚記念日に結婚式を挙げたホテルへディナーを食べに行きます。
妻はこの1ヶ月で体調は急激に悪化しており、食べれないし、飲み物も飲む気になれません。
夫は「なんか1人にさせてたなって」と反省を口にします。
「LINEとか返ってくるありがたみとか今となって気付いているから。情けない。こういう状況で気付いてるから。絶対治るとかって思ってたから。言い聞かせてたって言うのもあるから。その辺がちゃんと向き合ってないなって。」
妻は「そんな感じはしてた」と返します。
「私は、そこは自分でもう、あぁ治らないって思ってたから。(あなたは)治るって言ってたから、なんかちょっと違うなって思って」
「そこがちょっと本当に後悔っていうか」
「ごめんね、ありがとう」
「ホンマに謝ることだらけで」
「全然」
沈黙が続きます。
結婚式の日と同じデザートプレートが出、妻は「来れてよかった」と涙を流し「また来年も来れるかな?」。
「おいしい」と言ってケーキだけは食べることができました。
その後「この2週間後亡くなった」とテロップが告げます。
航空自衛官の夫は基地の近くに住まねばならず、妻は実家で生活していました。
夫の語る後悔は、寄り添えなかったことに起因します。
妻があと3年で死ぬとわかっていれば、休職して妻と生活していたでしょう。しかし、妻が死ぬことを受け入れられず、治ることを信じて休職しなかった夫。
右太ももの骨にがんが見つかってすぐに向きあえずとも、肺に転移した翌年には向き合わなくてはいけなかったのではないか。
生活のことを考えると休職することは判断しにくいけれど、なにもしないまま失われていくのを見るよりは、、、。
なかなかその判断はできないよな。妻が死ぬとは思えないよな。
No.178「セブンルール」最終回。
YOUの「その後がきになる人」は大阪府のお好み焼き屋の高姫順。
80歳を過ぎても日本語の読み書きをするのが日課だった。
そのノートに書かれていた印象的な言葉が。
しょうばいは、たべるぶんだけ。
よくばらない。
前回の密着から2年半。日本語を書き続けてきた練習帳には繰り返し何行にもわたって書き続けた言葉がある。
好きなことをずっとする「いつも来てくれるお客さんが来たら嬉しくて。もう楽しい。好きなことはやって、やって、やりたい。それがやっぱり幸せになるわな」