「ちばてつや追想短編集 あしあと」(小学館)
2021年に発表された「ちばてつや、23年振りの短編集」。
まず、その表紙をみれば、ちばてつやの巧さと線の太さを理解できます。
カメラは天井にあり、ちばてつやの仕事場を映します。机があり、それより高い位置にベッドがあり、下の階へ続く階段も確認できます。なんという巧さなのか。短編集に収録された作品との関連はないけれど、ちばてつやの巧さを見せつける表紙です。
収録作品は以下の4編。
「家路 1945-2003」(2003年/64歳)
「赤い虫」(2008年/69歳)
「トモガキ」(2008年)
「グレてつ」(2021年/82歳)
一番印象に残るのは「赤い虫」。
「赤い虫」の幻想に惑わされている作者が編集者とキャッチボールをしたら少しの時間なのに汗だくになり、覚醒したかのように漫画を書き出すシーン。
「ちかいの魔球」の原作を受け取った時の話なので、1961年の話です。ちばてつやは1939(昭和14)年生まれなので、そのときは21歳。16歳で貸本漫画家としてデビューしているので5年は机にかじりついた生活をしていたことになります。
そこで身体を動かすことの重要性に気づき野球チーム作った、とまとまります。
当初は抱えている締め切りが多く、編集者から間に合うかを心配されていましたが、汗だくの後、休むことなく「絵や文字がくっきり見えるぞ」となり、一気呵成に漫画を完成させていきます。
メガネ越しの目は描かれず、メガネが発光しているような表現には凄みがありました。
話として面白いのは、ちばてつやの未完成原稿をトキワ荘の面々が仕上げる「トモガキ」。
その場にいたかのような臨場感をもって描くのはフィクションなら可能です。しかし、「トモガキ」は作者が入院していた裏で起きたことを描いていて、その再現性に驚かされます。どんな取材をして、どこまで詳細に聞き取っていたのか。想像は何パーセント含まれているのか。興味は尽きません。
旧満州出身の作者が体験した太平洋戦争と終戦後の引き揚げの様子を描いた「家路」。
「のたり松太郎」が作者に降りてきた瞬間を描く「グレてつ」。
どの作品も体験から発しているのでエッセイ漫画のようであるけれど、そのままを描いているようでいて、それだけでもない何かがあります。エッセイ漫画には密度の薄さがあるけれど、この4作品にはそれがなく、普通の創作された物語と同等の密度があります。起きた時点からの年月があるので、体験が物語に昇華されたのだろうか。
「トモガキ」は2008年8月に赤塚不二夫の葬儀へ参列する場面で終わります。
その数ページ前には「少年マガジン」の10周年記念号(1969年)のために撮影された漫画家の集合写真が載っています。
19人の集合写真の1列目は手塚治虫、水木しげる、横山光輝。撮影されて50年経つので多くの方が亡くなっています。
「あしあと」。この短編集は「ちばてつや」と同時代と生きていることの貴重さを体感できる作品です。