「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」麻布競馬場
川名潤さんの装丁なら「物」として、その本には買う価値がある、と考えている。
川名潤さんが自身の装丁した書籍を紹介しているインスタグラムを見ればタイムラインの横列のうちの1枚、つまり3冊に1冊は所有している本であることに気づく。
そのインスタのストーリーで近刊の紹介をしていました。金原ひとみ「デクリネゾン」らと並んで紹介されていたのが「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」。タイトルと麻布競馬場というペンネームに引っかかる物があり、そのままAmazonで予約注文しました。
9月6日に配達され、数編ずつ読み進め、昨日(9月18日)に読み終わりました。
織り込まれた新刊案内には「〈ツイッター文学〉の旗手による虚無と諦念の掌編集」とあります。
190ページで20編の掌編が収録されており、20ページの少し長いものもありますが、大半が10ページ前後です。
自分にとっては、東京で就職していたもう一つの人生を見せられているような掌編集でした。
20編の掌編は全て語り手が異なりますが、慶応大に入っている人が多くいます。慶応に入れるほど優秀な人たちでさえ、その後の人生が「虚無と諦念」を抱えたままならない人生になってしまうとしたら、2.5流大卒の私はどうなってしまっていたのだろうかと考えます。
もっと早くに諦めて、そこそこの場所で折り合いをつけられていたら理想ですが、どんな道をたどっていたのでしょうか。
この小説の語り手たちは、「他人との比較」と「東京への憧れ」で身動きが取れなくなってしまっています。
そのことは生きていくうえで避けられないこととも思います。
地方に住んでいれば、結婚、子ども、マイホームという形で他人との比較は命題として突きつけられてきます。
同じ職場の妻帯者でアパート暮らしを続けているのはどのくらいいるんだ、年下ばっかりじゃないか、一生アパートなのか、と袋小路に入った気になります。
「東京への憧れ」は、ライブや映画など物理的な距離がネックになる物は諦めることに馴れてしまいました。それでも、ネットとSNSで心理的な距離はなくなったような気がします。
とはいえ、本や音楽でも身につけているブランドでも誰も知らないのを自分きりが楽しんでいることは、自己満足と近づくので、いつまでもこんなことを続けるのか、というジレンマはあります。
「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」を手に取るような人は「他人との比較」と「東京への憧れ」に身に覚えがあるでしょう。
強制的に「他人との比較」と「東京への憧れ」を自覚させられてしまうから、恐ろしい本です。読まずに済ませられるようになっていたかった。
メルカリで広告関係の本はすべて売りましたし、SNSでは広告関係の人たちのフォローも外しました。(中略)今日は新作AVでも巡回して、早めに寝ようと思います。
私は広告関係の本をまだ何冊も所持しています。処分できないんだよな。